カルト宗教の定義とは?フランスの「反セクト法」から考察

日本では、宗教による社会問題が話題になっております。
しかしながら、我々にはカルト=犯罪組織くらいの認識しかないように思えます。
カルトとは、一体何なのでしょうか?改めて考察していきましょう。
※今回は無駄に長い割には表題に追いつかないまま記事が終わるため、読む価値が低いのでオススメしません。供養目的での投稿です。

1・カルトについて


まずは、カルトについて考えていきます。それと同時に、宗教とカルトの違いを紐解いていきましょう。
カルトの定義について、本稿では横道 誠 先生の『みんなの宗教2世問題』から抜粋いたします。

先ずはカルトの語源について。

『「カルト」(cult)という語の語源は「文化」(culture)と共通し、ラテン語の動詞<colo)(耕す、土地の世話を焼く、保護する、守る)を名詞にした(cultus)(耕作、守護、崇敬、教団)に遡る。ラテン語から派生した言語のひとつ、フランス語の(culte)は「宗教」や「崇拝」を意味し、これが英語の(cult)の語源になった。』
P151~

元々の語源は「耕作」「守護」「崇敬」「教団」だそうです。思ったよりもストレートな意味合いですね。個人的に「守護」については、ヨーロッパ社会ではキリスト教徒=人権を有する、という時代が長かったため、守られる存在的な解釈がされたように感じました。

『オクスフォード英語辞典オンライン版(OED Online)には、<cult)の第一義として「神的存在に敬意を表す行為または行動。宗教的な崇拝。今では稀な用法」とある。この場合の「カルト」は宗教的な礼拝行為一般を意味する。第二義(a)には、「宗教的な崇拝または畏敬の特定の形式またはシステム。とりわけ、特定の人物または物に向けられた能式または秘儀で表現されるもの。多くの場合、ofまたは修飾語を伴う」とある。この場合の「カルト」も一般的な宗教のいずれも包摂する。』

ここでは、英語辞書におけるカルトの意味を解説しています。3つの意味があるようですが、後者にはもう一つの意味もあるそうです。

『だが、第二義(b)には「(とりわけ宗教的な)肩念や実践を保有する比較的少数の人々のグループで、よその人から奇妙または不吉と見なされたり、構成員を過度に支配していると見なされたりする」とあり、これが日本で一般に「カルト」という語に感じられる定義だろう。第三義には「拡張された用法として、特定の人物、物事、または想念に対する集合的な強迫観念や強烈な賞賛」とあり、これも「カルト映画」や「カルト漫画」などの用法が日本で用いられている。』

メインは第二義(b)になります。

『問題は第二義(b)だが、「よその人から奇妙または不吉と見なされたり、構成員を過度に支配していると見なされたりする」グループとは、曖味模糊なイメージでしかない。外部からそう見えるとしても、内部ではそのように受けとめられていないだろうし、また外部からの観察も、時代や地域が異なれば、別様な像を結ぶだろう。』

確かに、一見カルトの定義としてはやや不正確な印象を受けますね。
少なくとも、語源だけを頼りに定義をするのは難しそうです。
次に横道先生は「日本脱カルト協会」の公式ウェブサイトに記載されているカルトの定義を引用しています。それによれば以下の通りです。

『「カルトは人権侵害の組織です。組織に依存させて活動させるために、個人の自由を極端に制限します。つまり、全体主義的集団です。そして、
①各メンバーの私生活を制奪して、
②集団活動に埋没させる。そして、
③メンバーからの批判はもちろんのこと外部からの批判も封鎖し、
④組織やリーダーへの絶対服従を強いる
といった特徴がみられますが、これらの特徴は表面的には隠されていますので、集団の外部から見ても区別がつかないことがふつうです。カルトは、こうした人権侵害の正体を隠すためにマインド・コントロールを用いることが多いです」。』

カルトとは、「全体主義的集団」と日本脱カルト協会は定義しているようです。
人権侵害を容易に実行するためにファシズム的な傾向に走る、という主張ですが、これにはまだ改善点があると私も思います。

『明快な文面で、よく参照されてきたものだが、カルトとは何かを考える人すべてに承認されている定義とまでは言えない。
筆者自身は、カルトの本質を宗教的な熱狂に見ていて、その意味ですべての宗教にカルト的なものが備わっていると考える。神道がいう「八百万の神」、仏教の輪廻転生、キリスト教の原罪と贖罪の教義なども、それらが「メジャー」だと見なされているから尊重されるが、歴史上の歯車が少し狂って、それらの宗教が衰退したり滅亡したりしてしまっていたら、つまり「マイナー」なものだったら、ほとんどカルト的に見えるだろう。しかし一般に伝統宗教は、過去のことはともかく、少なくとも現在では、私たちの日常や常識を侵犯しないようにさまざまな配慮をおこなっており、またそのようにすることで支持されている。その点で、多くの伝統宗教は、やはり「カルト的」とは言えない。』

ここで横道先生の考察が入ります。宗教かカルトかを分ける条件は何かというと
・宗教的な熱狂の有無
としたうえで、その宗教がメジャーかマイナーの視点で、社会的な常識に配慮している伝統的宗教は、カルト的要素が内包されているにもかかわらず、カルトの烙印は押されず、マイナーならばカルト的に見られる傾向がある、としています。
(ここの箇所に関しては、後述いたします)

この続きには、横道先生は『ユートピアからの脱出』を参考に、カルトのさらなる定義を深掘りしているのですが、それに関しては別の記事にいたします。
ですので、今度はカルトの比較的普遍的な定義を述べていこうと思います。

2・セクト的現象とは

宗教、特に宗教団体の事件が発生するたびに、よく耳にする反セクト法について調べてみます。
反セクト法は、フランスにて2001年に制定された法律で、セクト(犯罪行為を働く宗教団体や反社会的組織全般を指す…らしい。別記事で補足いたします)とは、これを行う団体で、読む限りでは刑事罰っぽいです。
以下は、反セクト法の先駆け?となったギュイヤール報告書での、セクトの現象になります。

(1)精神的不安定化
(2)法外な金銭要求
(3)元の生活からの意図的な引き離し
(4)身体の完全性への加害
(5)児童の加入強要
(6)何らかの反社会的な言質
(7)公序への侵害
(8)多大な司法的闘争
 (9)通常の経済流通経路からの逸脱
(10)公権力への浸透の企て
出典・中島宏『フランス公法と反セクト法』

確かに、これらのうち一つでも当てはまる団体を宗教とは言い難いなと感じます。
特に(1)精神的不安定化、(2)法外な金銭要求、(4)身体の完全性への加害、(5)児童の加入強要、などは去年発生した統一教会への解散請求や宗教二世問題を想起させます。

3・結論


近年で言えば、2022年7月8日に起きた安倍晋三銃撃事件。その犯人は宗教がきっかけで凶行に及んだことが発覚。そこから、小川さゆり氏により宗教2世問題が一般的になったことは記憶に新しいかと思います。
しかし、これは日本に限らない話です。オウム真理教によるテロ事件以外にも、アルカイダによる9.11事件や人民寺院による集団自殺など、世界的に見れば有史以前から存在する厄介事なため、上記の知識だけでは定義しきれません。
しかし、少なくとも今回の記事で、私が思ったことは、カルト問題は、人類特有の持病なのかもしれない、ということです。

4・感想と反省

1冊の本のみでカルトの定義を行うのはキツかった(笑)というのも、てっきり私は既に、宗教学という学問において宗教の定義が完成しており、そこから相対的にカルトの定義もあらかた決まっているだろうという思い込みがありましたが、「宗教とは何か」「カルトとは何か」という自分なりに納得いく説明すら満足に導き出せてはいないなぁと思いました。それと調べてみて、カルトとセクトの違いが未だによく分からなかったため、今後もし同様の記事を書くならば、「カルトの定義とは__〇〇先生の理論からのアプローチ」だとか『セクトの定義とは_「〇〇(書籍名)」からの引用』という風に複数回に分けて論じる方が無難だし混乱しない風に投稿しようと思います。
それと今回感じたことは、文系の中でも卓越した知能を持つ方は、宗教学ではなく社会科学や哲学の方面での研究に進むのではないか、と思いました。もし、宗教学のアカデミックの中の人材不足が起きているならば、それもまたカルトや宗教の定義の完成の難しさに繋がっているのかもしれません。

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