宗教法人法についてのあれこれ その1宗教に教典は不要?
このシリーズでは、私、宇治味あやめが宗教団体を設立・運営するにあたって宗教法人法を学んでいく中で、「え、そうなの?」と疑問に思ったことをぶつけるコーナーになります。
1・宗教に教典はいらない…?
先ずは第一回目のテーマは、タイトルの通り、宗教に教典は不要か?です。
先ずは、教典とは何でしょうか?
教典とは、宗教上の基本となる書物であると定義されます。キリスト教では聖書、イスラーム教ではコーラン、仏教では仏典のように、大体の伝統的宗教には備わっております。
投稿者の感覚では、その宗教の発生理由や真理の探究方法が記載された、言わばガイドブックのようなイメージがあります。
さて、話は変わり、法律的には教典がどのように扱われているのでしょうか。宗教に関する法律については、宗教法人法を読む必要があり、第2条には宗教団体の定義が記載されております。
宗教法人法 第一章 総則 (宗教団体の定義)
第二条
この法律において「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。
一 礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体
二 前号に掲げる団体を包括する教派、宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体
宗教団体に必要なものは以下である、と解釈が出来ます。
・宗教団体に必要な活動(目的)
①教義を広めること
②儀式を行うこと
③信者を教育・育成すること
・宗教団体が所有すべき人・モノ
④信者
⑤指導者
⑥礼拝堂のような物理的宗教的施設
つまりは、大まかな規定は明記されているが、「どのように」①②③を達成すべきかは各宗教団体に全面的に一任する、ということです。
また、宗教法人法を全て読みましたが、「宗教団体及び宗教法人には教義を記した物理的な書物」の必要性が記載されておりませんでした。
ですので、少なくとも法律レベルでは、宗教団体の条件或いは宗教法人の認可の条件には必ずしも教典は必要ではない、ということです。
2・感想と考察
感想
私には、宗教には教典が必要であると主張致します。教典の必要性には内部的必要性と外部的必要性に分かれるかと思います。
・内部的必要性
これは、私が教祖として実務レベルで実感したことですが、宗教団体の条件には「信者の教化教育」が必須です。確かに、教団が信者に対し真理への探究方法を伝授しなかったら、その団体は宗教ではないでしょう。なので、教祖や宗教家は信者に教えを説くときに教典がなければ、どうやって教化教育をするのでしょうか。また、多くの教典には戒律やタブーのような、すべきこと、してはならないことが記載されるケースが多く、もしこれがないと信者も何をすべきか、何をしてはいけないのかが判然としないのではないかと思います。
・外部的必要性
また、教典の不在は、その宗教が何を目的に活動しているのかが不透明になってしまい、社会的な役割が外部の人間に分からなくなってしまいます。「我が教団はこれを行います、信仰しています」が明確でないのに、どう教え広めるのでしょうか。そもそもの話、宗教法人とは、「公益法人」に該当するので、外部客観的に一定の透明性を担保する必要もあるでしょう。
…といった具合に、教典とは、学校でいうところの学生証に載っている就学規則であり教科書、会社でいうところの就業規則じゃないでしょうか。
なぜ、それが不要なのか考えていきます。
考察
思いつくのは3つあります。
1つ目:憲法的な配慮
教典の所持を義務にしてしまうと、日本国憲法第20条1項の信教の自由に違反してしまう可能性があったため、そのような配慮があった可能性があります。
(以下、ロースクール卒の知人の見解を記載しておきます)
「なぜなら、近代自由主義は、中世の宗教的圧迫に対する抵抗に由来します。このような歴史的背景から、信教の自由は精神的自由権を確立する支柱となり、いわば人権宣言の花形とも捉えられ、各国の憲法には等しく信教の自由が設けられています。また、日本国憲法は、同じ内心の自由であるのにもかかわらず、19条の思想・良心の自由とは別に、あえて20条1項前段によって信教の自由を規定していることからすると、信教の自由、ひいては信仰・宗教的行為・宗教的結社の自由の重要度を窺い知ることができます。よって、憲法の視点からは、信教の自由の制約に対しては、相当程度謙抑的な姿勢が望まれるため、かかる配慮があるのではないかと思われます」
2つ目:伝統的要因
日本の伝統的宗教である神道には教典が無かったりしますので、教典の必要性が、他国の伝統的宗教よりも低いのかもしれません。
3つ目:私の解釈がおかしい
宗教理念としては必要だが、法的レベルでは不要の可能性。
教典がない宗教は、経営理念や就業規則が明文化されていない企業のようなものだとは思いますが、思えば企業には労働者と契約者との契約が必要ですが、宗教には教祖と信者との契約はア・プリオリには発生していない(もっとも、私的自治によって私法上の契約をすることは妨げられませんが…)ので、上記のたとえ話自体が不成立となるでしょう。故に、別に教典の不備は宗教団体の条件には影響しません。
3・結論
結果的にはセルフ論破をしてしまったのですが、やはり「宗教」には教典は必要だという意見は曲げません。
今現在(2024年投稿時点)、我が焉明教の教典を鋭意執筆中です。教典は必須ではないため、法律レベルでの優先度は低いですが、早めの完成を目指します。
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