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生きづらさの意味とか

大学生の頃、チェーンのカフェでバイトをしていた。

同じバイト先にいた2学年上の先輩。
彼はMARCHクラスの大学に通っていたけど、茶髪にパーマをかけ彼女がコロコロと変わり、酒と煙草に溺れている人だった。
人間的にあまり好きになれない人だったので、彼が就職浪人したと聞いた時、私は内心喜んだ。

先輩は、就職浪人が決まったくらいの時期にバイトを辞めた。
1年後、彼が再びバイト先に顔を出した時、あまりの変わりように絶句した。

先輩は別人だった。
リクルートスーツに身を包み、落ち着いた色のネクタイをまっすぐつけ、真っ黒い髪と白い肌に日焼けの名残はない。
なんだか騙されている気分になった。

人っていうのは、自分をその時必要な自分に変えることを、こんなにもたやすくできる。
この先輩だけじゃなくたぶん大体の人ができるんだろう。

就職の時期が来たら髪を黒くする。
隠れて煙草を吸っていても何事もなかったかのように面接で愛想を振りまく。
外では男を拾ったり男に拾われたりしながら会社では清楚で清純な女の子を貫きとおす。

みんなほんとうに嘘つきだ。

真っ向からぶつかっていくことしかできないわたしは、いつもそんな人のことをずるいと思ってきた。
なにも隠さず真正面から戦ってる人間がうまくいかないなんて理不尽。
そんなのに負けてたまるかと息巻いてきた。

先輩の変身に衝撃を受けてから、もう10年近く経つ。

相手と環境に合わせて自分を変化させ、うまいこと波を乗りこなしていた人は、有名企業に就職したりやりたいことで成功していたりする。
空気を読む力は大事だ。
周りのニーズを捉えて対応するのは仕事の基本だ。
だけど、やっぱりどこか小骨が刺さったような引っ掛かりが残る。

日本の小・中学校では「普通」の枠に収まることで居場所が得られた。
「普通」からはみ出した人間には厳しい世界だったと思う。
義務教育は、みんなと同じでいるのが正しいと教えたし、その教育に従わなければ本当に身の危険がたくさんあったのに、社会人になったら突然、枠をはみ出して! 飛び抜けて! と、人と違うことを要求されるようになる。

去年、「内定式に自由な髪型で参加しよう」というキャンペーンがあった。化粧品会社が「顔採用、はじめます。」のキャッチコピーを使い、就職活動の面接には自分をいちばん表現できる髪型・服装で来てください、とのメッセージを打ち出した。

影響力のある会社やマスコミの発信で、世の中は簡単に変わる。
否応なしに変化の波が私たちを飲み込んでゆくのだなあ、と絶望に近い気持ちを感じた。

こうやって、世の中の基準が急に変わることを誰か教えてくれただろうか? しかも、どこかの企業のマーケティング担当や採用担当の鶴の一声で途端に変わっていくものだってたくさんあるのだ。

環境が、常識が、評価が、突然変わるなんて知らない。

わたしは、いつも枠からちょっとはみ出したとこにいた。
その時その時の「普通」を把握するのが苦手で、「普通」の全容をつかんだ頃には、もう新しい「普通」がうまれていた。

「普通」でいれば安全と腹をくくって追いかけていたら、いつのまにか世の中は「自由に生きろ」になっていた。

いつも「普通」からちょっと外れてしまう。
世の中の波に乗り切れない。
こういうのを生きづらさっていうのかもしれない。

これから未来がどう変わるのか。
正解を教えてくれる人は誰もいないのに、みんなは軽々とその波を乗りこなしている(ように見える)。
変われる人は強い。現状にこだわりすぎる人は弱い。
だけど時には変わらない良さがあるから複雑だ。

つまり、変わることにも変わらないことにもそれぞれの難しさがある。
波を乗りこなせない自分が必死に生きてきたように、わたしがずるいと思っていた人たちもみんなきっと必死だったんだ。
たくさんの葛藤の中で、自分の道を選びとっていったんだ。

生きづらさなんて、自分が独占できるようなものじゃないんだよな。
そんなことを思うようになって、少し大人になった気がした。

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