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オカリナこそ教祖様

さていよいよ始まりました。オカリナ教の教祖であるえんじろうとしての、記念すべき第一歩(なぁんて)
今回はこの世界に神様って本当にいるんだろうかということについて、えんじろうの意見を考えてみました。つぶやきを楽しんでいってください。


個人の神への気付き

神様からお告げがあったとか、あれこそ神様だったに違いないとか、これにはきっと神様が宿っているに違いないだとか。
いろんな言い方をして「神の存在」を伝えようとする人がいますが、それらはどれも、1人1人がそう感じたという話なだけで、他の人はそれを信じるか信じないかということになってしまいます。

画像 話す人のバッチ

真実と事実

真実しんじつ 真(本当の)実(ありのまま)
   意味 嘘偽りがないこと
      本当のこと
   対象 私にとって
   変化 する
事実じじつ 事(できごと)実(ありのまま)
   意味 実際に起こったできごと
      現実に存在すること
   対象 誰から見ても
   変化 しない

マイナビニュース より

引用元ではやや違いがあるなんて言い方していますが、えんじろう的には「やや」なんて生易しいものじゃないほど違うと感じます。
特に上の引用に書き加えさせてもらった「対象」の部分が全然違います。真実は語っている本人の中では「嘘偽りない」と言う話です。極端な話、詐欺師に遭っている人が「あの電話の主は息子で、息子が本当に困っているのだから救ってあげるのが親の勤め」と信じているのなら、それが「嘘偽りない」真実なのです。これに対して振り込まれたら連絡も取れなくなって、息子に電話したら「何の話?」と言われたというのが事実。

画像 電話の前で悩む人

でも面白いことに、それに対して親が「騙された」と思った場合は真実が事実を踏まえたものになる。
でも「いいやあれは絶対息子の声だった!警察もテレビも周りの人たちが全員ぐるになって騙そうとしている」と考えれば、事実とはまったく違う真実となるのでしょう。

これも追記してありますが、真実はいつでも捉え方とともに変化するもので、事実は何が遭っても変わらないのです。もっと言えば、真実は事実に遭遇した人の数だけあることになるのです。
これが、えんじろうが昔YouTubeのラジオで名探偵コナンのセリフ「真実はいつも1つ」に対して「嘘つけー!」と言ったことの真実です。

画像 炎の灯る扉

神への気付きはいつも真実

多くの言われ方は、ある人が神様の話を聞いただとか、ある人が神様らしきものを見た。あるいはある人があれはきっと神様が宿っているに違いないと感じたというところから始まっているように思います。
これらはすべて「ある人」が真実(嘘偽りなく)そう感じたということになります。本人にとっては素晴らしいことで、その気付きをみんなに知ってほしいと思うのはごく自然なこと。えんじろうが思いを込めた新曲を作って、それを聴いてほしいのと同じだと思います。

でも「伝えなければならない」とか「それが使命だ」まで言ってしまうと、それは本人にとっては強迫観念のようでもあり、周りからしたら押し付けでもあると思います。ある人と同じことに興味がある人にだけ聞かれたときに教えてあげるくらいがちょうどよいと思うんです。
まあそんな風に考えているから、えんじろうは商売が下手なのかも知れませんけれど。でもやっぱり必要に思ってくれた人にだけ伝われば、確実に喜んでいただけるから、その方が良いって思っちゃいます。

事実である必要性

さてそれでは、流れ的に真実では人によって神様はあったりなかったり。つまり信じるものにはあるという話になりますね。そんな曖昧なままで良いのでしょうか?
今の日本をしる限りでは、そんな曖昧なもので十分良さそうに思います。つまり神様が事実として存在していないといけない理由な別にないかなって思います。

ただ他人を巻き込もうとする性質は厄介だなあと思ってしまいます。選ぶのが自由なことが価値で、それを他人に強要するのは傲慢だと思うから。
信者がそうでない人を「可愛そう」とか「救ってあげねば」とか思うことは傲慢。信者じゃない人が信者を見て「よく判らないものを信じるなんて間違っている」と決めつけることも傲慢。
えんじろうは真実そう思っています。

事実が神様な宗教

結局神様というのは人の真実の中だけにあるのかというと、驚いたことにあったんです!真実でなく、誰から見ても共通な事実を神様としていた人物が。

画像 変化する光の輪

アインシュタインの考え

偉大なる物理学者、というよりもえんじろうには「あっかんべーの人」の印象がものすごく強いアルベルト・アインシュタインさん。この方は、この世界を構成している「自然現象を起こす法則こそが神様」だと言う感じのことを言っているらしいんですね。
これなら単に明かせていないだけで確実に神様はあるといえるってことですね。そしてその恩恵により我々は存在できている。なんかそう考えるとたしかに自然法則は神様っぽいですね。
慈悲もなければ一方的に決める正義もないから、ある意味全てに平等。なんかこれなら納得できます。

因みに「あっかんべー」の事実についても調べてみたら、こんな記事がありましたよ。うーんやっぱり最高ですね。

彼は有神論者としても知られていますが無神論者とも言われています。
彼の神は自然法則であり、人格のある神はいないとする考えを持っていました。

TEAM CAFE TOKYO より

そして今調べていて知ったのですが、アインシュタインは亡くなったらすぐ火葬され、その灰は大地に撒いて地球に還ったとか。もうこれはえんじろうの理想そのもの。
えんじろうの楽曲に「星への旅路」というものがあります。CDを持っていてジャケットを見てない方は、ぜひジャケットの曲紹介を見ていただきたいです。僕もお墓に閉じ込めず自然に撒いてほしいな。CD持っていない方はぜひこちらをお勧めします(さっき押し付けるの良くないって言ってたのはどいつだ?)

スピノザの考え

神即自然かみそくしぜんとか言って、理解力が乏しいえんじろうにはその説明がすごくややこしい感じなので、まとめてくれている人の話から引っ張ってくると、哲学者のスピノザという人も、世界のすべてが神であるという言い方をしているようです。汎神論はんしんろんというらしいのですが、それも厳密に言うと下記のようになるようです。少し引用文をまとめ直します。

汎神論と自然崇拝や自然神秘主義は、厳密には違ったものである。
自然崇拝や自然神秘主義者たちは人工的でないものを「自然」としているのに対し、汎神論者は自然法則や物理世界の現象全体を「自然」としている。

ウェブリオ辞書 より

自然物と人工物に分けてから自然を崇拝するのが自然水は嫌自然神秘主義で、自然から生まれたものが作ったのが人工物だからそれだって自然の一部だろうと考えるのが汎神論ってわけですね。いやあ素敵だわ。

えんじろうは汎神論とか知らなかったから、自分の求めているものは日本の八百万やおよろずの神何かをたたえる神道的なものが近いのかなと思った時期もありました。
ギリシャ神話や古事記も、いろんな現象を人格がある神様に仕立てていて面白いなと思いましたが、求めているものとはちょっと違うなと。

アインシュタイン同様に、汎神論という考え方もまさに、事実そのものというか事実を起こす仕組みを神様と言っているので、すごく現実味があってというか僕にはこれを否定のしようがないですし、腑に落ちる考え方です。

汎神論

画像 自然のイラスト

この世界が神なのだから、この世界で起こる現象も神の起こした奇跡です。夏の日本でセミが鳴くのも、人間が音楽を美しいと感じることも、笛の音が心の琴線に響きやすいことも、全部神の御業みわざです。えんじろうは神の御業みわざに従って生まれ、同じように生まれた人が作ったオカリナという神の御業みわざの産物でえんじろうの考えたメロディーを吹かせてもらうことで、神の御業みわざに従って生まれた人々に共感をしてもらう。
面倒くさい言い方でしたが、起こっていることすべてが神様という法則の上で動いている「神の御業みわざ」ってやつだから、存在も現象もぜーんぶ神様の一部だということですね。

判ったこと

えんじろうが信じる「オカリナ教」は、汎神論の一部に触れたものなのであったということかな。
日々を「ただ当たり前の日常」として過ごしているか、日常は神様の中だからそのすべてが「神の御業みわざによる奇跡」と考えるか。どの道を選ぶかだけで、世界の見え方は変わるのかも知れませんね。

救いの神器

画像 2つ並ぶオカリナ

とかまるで他人事のように言っちゃいましたけど、えんじろうはオカリナに出会うまでは「ただ当たり前の日常」に生きていました。それどころか「当たり前」な振る舞いが満足にできない自分は、社会の役立たずで人に迷惑ばかりをかけてしまう厄介者だと思っていました。
自分のことが恥ずかしくていたたまれず、何のために生まれてきたのかを考え始めると「生きててよいのだろうか?」というところにたどり着いてしまう人間でした。

そんなえんじろうに一緒に奏でることで世界に1つの代わりがどこにもない音色を提供してくれる楽器が「オカリナ」だったのです。オリジナル曲「紫陽花彩あじさいさい」も「大丈夫のうた」も、その喜びから生まれてきた神の子どものような大切な曲たちなのです。

とりとめのないこのような超長文記事をここまで読んでくださった方(もしもいらっしゃれば)、本当に感謝します。
・・・いやいやさすがに、この下にリンクを貼るのはやめておきますよ。ぜひえんじろうのお店の方で、色々物色していただけたら嬉しいなってことで。



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