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スマホ必須の時代

もうとっくの昔からですが、私たちの大半はスマホに依存して生きています。ニュースや天気から時計やカレンダーまで、知りたいことが何でも調べられる上にメールや電話まで(いやこっちが本業ですが)できてしまう。

しかし本当に、我々はスマホを使いこなしているのでしょうか?
むしろスマホを通して様々なことに使われているのが、我々なのではないでしょうか?

ふとそんなことを思う時があるのです。

40代の昔話

ポケベルとかPHSとか、そんな名前を耳にするようになったのがえんじろうが高校生だった頃。そして目の前にモバイル通信機器が現れたのは、高校生時代を終えた後(あー年を感じる)でした。
今では「ガラケー」と呼ばれるそれが、携帯電話の始まりでした。

ガラパゴス携帯電話

日本独自機能にこだわったガラケー。それこそ最初は本当に通話のみのものでした。これぞまさに「ザッ携帯電話」です。電話を携帯するためのものだから、これこそが真の正統派なのですよね。

そこから16文字程度のメッセージ機能が追加され、携帯電話用に容量を最低限まで削った携帯電話専用ウェブページが現れたことで、音声以外のネットワークを意識するようになりました。
やがてネットワーク機能が強力になり、ウェブページがカラーになって機種側もそれに対応するべくフルカラー液晶画面になっていった。初期の携帯電話って、ゲームボーイよりも遥かに弱い、暗いバックライトに数字しか表示できないような画面だったのですよ。

カラーで明るくなってきた画面を待っていたかのように、カメラ付き携帯電話が出始め、写真を送れるようになりました。今とは比べ物にならない小さな写真データでさえも、当時の通信網では送るのに時間がいりました。
写真のせいで本体の保存容量が手一杯になると、SDカードが登場します。当時はバカでっかい標準サイズのSDカードを直接携帯に入れたんですよね。

なお、えんじろうが携帯電話を手にした理由は、通話はついでで「オリジナル着メロ作成機能」があったからです。

スマホデビューは極最近

とは言え、えんじろうのスマホデビューはかなり遅かったのです。実は持ち替えてから10年すら経っていません。それまではガラケー(しかもらくらくフォン)ユーザーだったのです。

初代のスマホの写真

初めて購入したスマホはファーウェイの「Mate9」というやつで、カメラ機能にあこがれて購入したのです。スマホがあれば自分の目よりよく見えるの原理は、ここで誕生しました。

初代スマホのカメラ部の写真

カラーとモノクロの2眼カメラに指紋センサーまで付いている。最近流行りのディスプレイに指紋認証があるやつよりも、ずっと使い勝手が良かったです。手で触るのだからその場所が手で判らないと使いづらいのに、どうしてツルツルの画面内に収めたがるのかがさっぱり判りません。

それにしても、ガラケーとの桁違いな性能にはかなり驚きました。
もはやPCレベルの内容に加え、電話もできちゃう(だからそっちが本業)更に標準で音声サポート機能もついている(使いにくいけど)から、びっくりでした。
ついでに信じられないほど酷くなったのは電池持ちの悪さ。待受一週間が2日になることが、僕がなかなかスマホにしなかった理由の1つでした。でも確かに使ってみると、5日分の待受時間を捧げてもいいと思うほどの機能の充実ぶりでした。

何よりもPCのように、必要なアプリをインストールして使えるというところが大きいですね。

そして立ち昇る疑問

スマホを持つようになり、着信やメール以外のプッシュ通知がどんどん増えるようになってきました。
画面上部にはプッシュ通知の山が並び、下ろす動作をされるのを待っている。いざ下ろす動作をするとまるでだるま落としのように次から次へとお知らせの濁流。それはもう診察室で先生が面倒くさそうに「はい次の方どうぞ」と言っているシーンを想像しそうになります。

いつしか通知を切るようになりました。
嫌なんです。向こうから「見ろ」と言われるのはすごく嫌。必要なら必要なときに自分の意志で見にゆきたいのです。
メールを見るぞと思えば、その時メールアプリを立ち上げれば良いじゃないですか?それを他のことをしているときに向こうから「あーせいこーせい」言われるのがとても嫌で、今でも電話といくつかの重要なお知らせ以外は切っています。

まだ存在感の薄いイメージを元に作曲をしているときなどに、こんな通知が来た日には、営業妨害でしかありませんからねえ(笑)

押し寄せる情報と選択

情報は「取りにゆくもの」という常識が、いつの間にやら「選択するもの」という風に置き換わっていた。しかしここに落とし穴があることに、しばらく気が付きませんでした。
提示された選択肢の中から選ぶだけで良い、つまりそれ以外は「考察もしない」というのが当然のようになってきたのです。

これは知らないうちにはめられている「れっきとした不自由」だと思いませんか?本当は提示された以外にも選択肢があるかもしれないじゃないですか?
更にそう思わせる暇を与えないために答えを急かしてくるんです。もういやーってなるわけですよ。

情報化社会なんて言われていましたが、現代では情報支配社会だと思います。
SNSとか、あっ note は悪くないけどね(おいっ)見方を変えれば閲覧可能な人に制限をかけて整理した上で、独自の形式に揃えて提供しているだけだと思うのです。いつしか「みんなやってるし」という理由で動くことが増えている。面白いからではなく「時代について行かないとなんて」言いながら、追い立てられるように始める人も現れる。

スマホを使いたいのです

まあこんな風に、スマホからあれ見てこれ見てと急かされる我々ですが、そんなスマホも使い方次第では自分の強力な味方になってくれます。

カメラは単眼鏡

カメラが充実しているスマホは、えんじろうのような弱視者にとってはかなり生活を支えられるポテンシャルを秘めています。

バス停での時刻表、駅での電号掲示板、電車やバスの行先表示などあらゆる情報は今でも視覚頼りで発信され続けています。
スマホカメラを起動すればそれはもはや単眼鏡(双眼鏡の1つだけのやつ)です。しかも「オートフォーカス」ですよ。拡大表示させたいならビデオ撮影モードで見ると「手ぶれ補正」まで働くのですからすごいですよね。
じっくり見たければとりあえず撮影し、それを拡大して時間を調べたりもできます。

マクロ撮影にも対応しているカメラだと、ルーペとしての役目すらこなせてしまいます。アプリによっては「白黒反転」などもできますから、視覚障害者専用機器の肩代わりにもなっちゃうんです。しかも小型で持ち運びができる。まあ専門機器の使い勝手にはちょっと届きませんが。

アシスタントも便利

オーケーグーグルは普段から聞き耳をたてられている感じだから使わないのですが、必要なときにホームボタンを長押しすると「Googleアシスタント」を利用できますね。
僕はお天気を聞くのにしょっちゅう使うのですが、これも声でのコミュニケーションなので目を経由せずありがたい機能です。

これからご紹介

そんなわけで、また連載記事として弱視者のえんじろうが購入したり利用している愛用のアプリたちをご紹介していこうと思います。
どれも障害関係なく便利なものなので、ぜひ御覧くださいね。


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