見出し画像

誰もが翼を持つイノベーター

note の楽しさの1つに、他の人が書かれた記事を読むというのがあります。自分だけかも知れませんが、ブログをやっていると発信ばかりになりがちでした。まして演奏活動の中心となるHPではなおのことです。

今朝目が覚めてちょっと note 巡りをしていたら、気になる言葉を発見。

イノベーター

新しいことに対しどのように反応するかによって分類する考え方があるそうです。
上の話題ではちまたで有名な「チャットGPT」に対する子どもたちの反応がネタになっていますが、これは新しい出来事の全てに起こる分類かと思いました。イノベーターなんてインベーダーの親戚みたいで(おいっ)格好良い言葉ですけど、別に「好奇心の強さ」とか「新しいもの好き度」と考えれば良いことかとも思いました。

これもどっちが良いとか正しいというものでなく、最初に新しいものに飛びつき、何かを感じたり向き合い方を研究してくれる人が必要だし、それを参考に同じように動いてくれる後続の人達がいるから社会が予測に近い形で回っていく。
どちらも大切な存在だと思いました。

赤ちゃんは全てイノベーター

羽を気にする小鳥たちの写真

この世に生まれてきてその全てが新発見という状態の赤ちゃん。
赤ちゃんにとってはこの世界の全てに対し、イノベーターとしてのアプローチをしていることになりませんか?すごい、最強の存在。

沖縄の民謡に「童神」という歌がありますよね。赤ん坊は神に近い存在と言われているとか。すべての可能性が開かれているから、本当にそうだなあと思います。
もしも鳥の世界で育てられたとしたら、自分もいつかは必ず飛べるようになると信じられるんじゃないかなって思います。

成功と失敗のカテゴリー

親や学校の教育が始まると、成功と失敗という2つの箱に行動の結果を仕分ける癖がついていくと思うんです。特に大切なのはこの2つの箱の仕切りの位置をどう定めるかではないかと思います。

えんじろうの場合、恥ずかしいことに算数のように成功は「正解」と同じだと思っていたのです。だからひとつしかない成功の箱がむちゃくちゃちっちゃい。それ以外は全部失敗で、それを大人たちは「ダメ」という言葉で表現していると思っていました。みなさんの子供時代はどうだったのでしょうか?

清らかな水の写真

心の中の2つの箱

生まれたときのイノベーター度は、大人になるに連れて抑制されるようになる。えんじろうはそう感じています。そしてその決め手になるのが「成功体験」と「失敗体験」の比率ではないかと思うんです。

過去を振り返ると

中学時代のえんじろうの失敗の箱は、とにかくでかかった。最高の結果以外の全部を受け止めるので、それらが全部「失敗体験」となるのです。
膨大な「失敗体験」はいつしか自分の行動は失敗しか産まないと考えるようになり、行動するから失敗するという究極の理論に陥ります。ならば行動しなければよいということで、イノベーターからは最も遠いポジションに落ち着くわけです。

本当は落ち着いてない

でも人間にも心の翼がある。それを無理やり押し込めているのは実は物凄くストレス。中学時代だからこそ、そのストレスは「心の翼がきしむ音」が聴こえてくるような思いでした。
いろんなことにビクビクして、ただ立っているときも「これでおかしくないのだろうか?」と周りの様子をうかがい、そんな自分に腹が立って腹が立って仕方ない日々。

安全第一主義で本当にイノベーター意識を捨てされていたのなら、逆にこの状況でも何のストレスもなかったはずなのです。しかしストレスを感じるということは、イノベーター度がゼロではない証拠。救いです。

正解と成功は違う

えんじろうはここを勘違いしたまま、中学高校時代を過ごしたのだと思います。いや30になるまで、オカリナと出会うまでそんなだったと思います。

正解とは?
正しい解答または解釈。

Google 検索より

成功とは?
普通には困難な目的がしとげられること。

Google 検索より

改めて意味を調べてみると、観点が違うのですね。
イノベーターは成功を目指して新たな手段にも挑戦する者。まだ見ぬ目的に向かって「まずやってみたい」という気持ちが強い者。そこに他人から見て正しいかどうかは関係ない。そういうことのようですね。

怒られないために

子供は周りの人が自分のことを思って怒ってくれていると本気で思えるのでしょうか?僕はずいぶん大きくなるまで思ってませんでした。そうしなければ先生ももっと偉い人に怒られるからだと思っていました。

怒られない道が正解。いつからかそればかりを探すようになっていました。これが失敗の箱ばかりがばかでっかく成長した原因ですね。子供えんじろうはこの周りの正しさを含む正解だけが「成功」だと思っていたので、それにもう少し早く気が付きたかったです。

たくさんの成功体験を

昼間の月の写真

子どもたちにはとにかくたくさんのやってみたかったことをやり遂げられたぞという「成功体験」を積み上げてほしいですね。
あの頃の僕のように「どうせできない」でなく、最低限「やったらできるかも」と思える状態でいてほしいです。正解不正解の判断と成功失敗の判断は別物だということ、こうして文章にしたらなおいっそ整理ができてよく判りました。

これから先も、変なことにならないよう気をつけたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?