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上手い人とは?

実家に帰ると、父が見ているテレビがついている。歌が好きな父はいわゆる「歌番組」を率先して見ている。そうそう、普通に視覚障害者でもテレビは聴くではなく「見る」と言いますよ。
僕も一緒に見ていたら、大川栄策さんが「さざんかの宿」を歌っていました。父が「俺と同い年だ」とちょっと自慢げに言います。

ほうほうと僕も思わず真剣に聴いてしまいました。大川栄策さんのCDは父に借りて聴いていた時期もありました。

年を取っている

CDの声と比べるとだいぶお年を召されているのが判る。でもとてもずっしりときっちりと歌い上げられていて、純粋に格好良いなあと感じた。
評論家でもないくせに偉そうに感じたことを書いてみますと、晩年の歌手には様々な年齢との向き合い方があるように感じます。

過去を追いかける

全盛期と言われた頃の歌い方を、なるべく再現するべくあれこれがんばる感じの向き合い方です。見ているのは全盛期の自分であり、努力と根性で体にむち打ち頑張るような雰囲気で、一生懸命さというものがずんと伝えられるのがメリットなのかな?
しかし体の状態は正直なものなので、どうしても苦しそうな雰囲気もにじみ出てしまうのがデメリットに感じるのです。音程が不安定だったり、ひっくり返して元に戻すはずだったのが、そのまま声が戻らなかったとか。結構痛い結果になることも。

今の自分をただ歩む

全盛期と今とでは体が違うからというのもあるでしょうが、それを認める認めないというよりも、当時の自分はそれはそれでひとつの完成形。
今の自分もその都度その都度の完成形として再構築をしているので、無理のない安定した表現ができるところがメリット。もちろん当時と比べると丸くなっているというか穏やかになっているので、過去を求めて聴く人には物足りなく写ってしまうこともあると思います。
そんなときに要望に答えようと焦って過去に答えを求めるのではなく、今目指せる答えを探すというスタンスが、僕は格好良いなと感じました。

大川栄策さんは?

歌い上げる栄策さんのテレビ画像の写真

このときの大川栄策さんは後者の歌い方のように思いました。当時ひっくり返すような歌い方をしていたところの多数を普通に歌うようになっており、その技は見せ所の一箇所に限定しているように聴こえました。

当時は当時で素晴らしい。今は今の自分に合った歌い方を見極めて、今の自分を最大限出せるようにしているように聴こえてこれもまた素晴らしい。

今を生きる男

僕にはそんな風に聴こえて、格好良いなあと思いました。再度書きますが、好みの問題なのでどちらが良いという話をしてはいませんからね。

ただ僕もこう見えて演奏活動で生きてます。だから晩年になったら晩年の歌い方(演奏表現)を描けるような歩み方をしたいなあと、有名でもない今からそんなことを思うのでありました。
まずはそこまで長く続けられるといいなという夢からですね。

おまけ

同じ日に懐かしのサザエさんも見ました。
オープニング曲が昔と全く同じ音源で、途中でちょっとテープの回転が変わるような、音程がふわっとなる部分があるんですよね。ちょっとタイムスリップしたような気分になりました。

しばらく見ていないうちにフネさんとタラちゃんの声優さんが変わったらしく、でも本当に変わったのか自信が持てないくらいそれまでのキャラクターの癖を引き継いでいて、その再現度に感動したのです(って実は変わってないとかだったらどうしよう)

あくまで変わっている前提で話を続けます。
声優さんの底力ももちろんですが、キャラクターを引き継ぐという意識の高さ、そのために声のトーンやイントネーションの付け方までを事細かに研究し尽くした真剣さに、脱帽でした。こういう心意気こそを「本物」と言うのかなって思いました。

いやーこれだけ書いて、実は「声優さん変わってないよ」というオチだったら相当に恥ずかしい!もし変わっていないようならこっそり教えて下さいね。そっと記事を撤去します(笑)


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