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豊島岡の英語入試導入

豊島岡の英語入試導入、時代を汲み取っていていいと思います。

娘よりも下の、ある学年とある学年の間には価値観の大きな境界線があると肌で感じていて、従来いいと言われてきたものが本格的にひっくり返りを見せるのは恐らくその辺り。そこからのフリップを見据えていない学校は今後厳しいと思います。我が家のように中学受験という枠の中だけでない選択肢の家庭も増えると考えると、私立中高内でどんぐりの背比べ的発想で争い合っていては、学校が消滅しかねない危機にもなり得るのではと思っています。

これまでの英語入試は基本的には帰国子女を救うためのもので、そうでない子が英語を強みにしてもその先は厳しいのでは?という印象だったため、「そうでない英語入試」を作るのは素晴らしい流れだと思います。そして、できれば早めに英検依存(癒着?)からも脱却してほしいです。英検は英語力を測るためのものでなく、文科省カリキュラムをクリアしているか測るものですから。大学入試を意識してそれを測りたいのかもしれませんが、英語を使う子どものためにはベターな選択肢がたくさんありますし、シフトしているところはしています。

ここ↑にも書いた通り、英算入試は今の内輪だけで進化して盛り上がっている日本の入試や学力感に必要な流れだと思っています。内需の時代が終わろうとしているのがはっきりと見え始めた今ならば、こういった主張を理解する人も増えるのではないでしょうか。

中学入試の理科社会だって昔とは違って思考力になっているという主張は、中学入試という狭い世界の中で比べた場合の話です。国語だってあんな文章を小学生が読むなんて!と言っているならば、問われていることを見てください。是非「フラットな気持ち」(実質的に世界を取り仕切っている英語圏、フランス語圏で問われていることを理解してからという意味です)で問題を眺めてみてください。私は絶望感しかありません。

学校の意図とは異なるかもしれませんが、教科が減るのだから、塾に通って解法hackに励む時間でなく自分で問題を紐解く時間を増やしたり、面白いことをしようという理想論的な流れを実行する家庭の子どもがもしもここに入ってくることになれば、この入試は三方よしの成功になると思います。大きな目で見れば、日本をいい方向に変えるきっかけにさえなると思っています。(現実ではhackに飲まれる流れの方が多いので、繰り返しますが理想論ですが、学校広報の発信の仕方や持って行き方が肝になりそうだから、頭がちぎれる程考えて練ってほしいし、こちらも理想論であるものの、利害関係者の中でも教育を受ける子どもや国の教育や未来の方向を向いて欲しい。そうすれば、それに同調する人が入る確率が高まるため)

ただ、今の入試制度や学校システムに合わず燻っている優秀層を入試で引っ張ってくることができるという、hack的視点から学校がこの入試を作ったのかなという印象もあるので、入試の部分と学校の性質との相性・整合性を、学校側が俯瞰した視点から一回整理することが必要だと思います。あの合理的な視点を持ち合わせた校長先生ならできるはずなので、その視点を是非。(学校の方向性があの校長先生の価値観とどの程度合っているのか気になる)

それは、私立学校の高い同質性との相性という根本的な部分が問われることでもあると思っています。偏差値の高い日本の私立学校は、ヨーロッパをイメージしたらわかりやすいと思いますが、国内でのエリートを育てる学校ですから。ヨーロッパ内の先進国や英語圏でいう国内と日本国内ではニュアンスが変わりますから、日本という特殊環境をいかに俯瞰できるか。

私立小程「イエ」は絡みませんが、「イエ」の価値観、つまり社会階層的なものと全く絡めずには存在意義を説明することができない(今は大衆化したためできなかった、でもいいのかも)のが私立中学です。結果は数十年も先にならないとわかりませんが、そこに根付く根本的な価値観と相反する流れをどう作っていくのかが腕の見せ所ではないでしょうか。というか相反する流れだと理解しているのかどうか。これは私の高校時代の葛藤にも通づるものがあります。

以前豊島岡の見学に行きましたが、私の母校を彷彿とさせる、典型的な私学特有の「方向性」が強い学校なので、フィットする子が集まった方が幸せだと感じたところから、入試システムだけで選ぶと痛い目を見る子も出てきそう。ただし一回見ただけなので、もう少し時間をかけてみてみないとわからない部分もたくさんあるため自分で確かめてください。

ここから数年でこちらの入試のブラッシュアップしていくのだと思いますが、「グローバル」という言葉を英語圏の学校の入試を突破するという意味で使っているのならば現状維持でいいと思いますが、その先の解像度をあげられるか。ここは、見えている人には見えている基準。集まる人の質が変わる、大きな分岐点になるはずです。


「親視点」での本音中の本音としては、渋渋にしても豊島岡にしても、立地の不利性があるからこそこうやって改革が進んでいくため、一つを選べば一つを捨てなければならない悩ましさ。「本質」ではない気がしてしまうのか、大っぴらには言わないけれど、この悩みを抱える家庭は実は結構いると思っています。

でも、別の「親視点」から見れば、改革する学校があるからこそ追従する学校も出てきて、より魅力的な学校が増えることに繋がるので、ファーストペンギンとしてゴリゴリやっていってほしいと思います。







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