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チームメンバーの意見を素直に聞くことができなかった過去

先日もnoteに書きましたが、ヨガ哲学にハマっています。

ヨガ哲学の本を探して読んでみてますが、難しいものが多いんですよね。そこで最近見つけておすすめなのがヨガ・ジャーナルの「漫画で読むヨガ哲学」です。

漫画で読みやすく、また、現代に生きる我々に起こりがちなことが例示されているので、ヨガ哲学初心者にも親しみをもって読める内容だと思います。

ヨガ哲学とは、ヨガの考え方をベースにした、より幸せに生きるための指針。 不要な物や考え方を手放し、軽やかな心を取り戻すために大切なのは、「心のクセに気づき、考え方を少し変えてみる」こと。ヨガのアーサナ(ポーズを取ること)と同じように、心の使い方についても繰り返し練習することによって心地よい状態をキープできると言われています。

何千年も前、インドのカースト制度が強固な社会において、物質的にも貧しく、今よりももっともっと自由がなかった時代に、人々がどうしたら心穏やかに暮らしていけるか、人々が編み出し言い伝えてきたのがヨガ哲学なのだそうです。ちなみに平安時代には日本にヨガが大陸から伝わっていたらしいですよ。
大昔のインドと現代の日本、環境は違えどいつの世も人間が抱える悩みの本質はそう変わらないのだろうなと思うので、先人たちの知恵を借りるべく、わたしは今ヨガ哲学を学んでいます。

アヒムサー(非暴力)とは

ヨガ哲学において、悟りに到達するためには8段階のステップがあるとされています。そのひとつめに「ヤマ(日常でやってはならない5つの戒め)」があり、その中に「アヒムサー(非暴力)」があります。

「暴力なんてしてませんよ、当たり前じゃないですか」と思いません?わたしは思いました。でも、そんな簡単な話じゃないんです。

暴力には殴るけるなどの「肉体的な暴力」の他に、罵詈雑言を使う「言葉の暴力」、相手に対して敵対心を抱く「心の暴力」があります

この「心の暴力」ってのがやっかいなんですよねえ。心の中に暴力的な思いが渦巻いているとそれが相手にも伝播し、敵対関係が生まれる、つまり、周囲との敵対関係は無意識のうちにふるっている「心の暴力」が原因だといいます。

この「心の暴力」について、文字で書かれてもピンとこない方は前述したヨガ・ジャーナルの漫画を参照を読んでくださいね。わたしはこの漫画を読んだとき、思い当たることがアリアリでした。

チームメンバーの意見を素直に聞くことができなかった過去

数年前、仕事でとあるプロジェクトのリーダーを任されていました。当時長男を出産して職場復帰していたわたしは、もう日々の生活をまわすことだけで精一杯の状況。仕事も私生活も何一つ満足にできていないと自分に落ち込んでばかりでした。

そんなとき、プロジェクトで他部署と連携をすることになりました。具体的には、まずはチームでタスクを分担して、それをまとめ上げて期日までに他部署に繋げる必要がありました。そんなとき、仕事のできる頼れる後輩がチームミーティング中に「アマンダさん、この案件、指示出しお願いします!」って言ったんです。

わたしがそのときどう感じたかというと、「わたしが指示を出さないことにはみんなが動けない。わたしの仕事がまわっていないせいでみんな迷惑をしているんだ。チームメンバーはわたしがリーダーで嫌だと思っているんだろうな」でした。

当時はその場で慌てて謝って指示出ししたのだと思うのですが、その後落ち込みました〜。そして、後輩もみんながいる前でわざわざ言わなくても良かったのでは?なんて逆に後輩に対して苦手な印象を持ち始めてしまいました。

ヨガ哲学を学び、ヨガ・ジャーナルの漫画を読んだ今思うことは、まず「誰もわたしを否定していないんだから落ち込む必要はなかった」ということ。「できていない」と自分にマイナスイメージを抱いていたのは紛れもなく私自身で、このわたしの心の中に渦巻いていた暴力的な思いが後輩との間に敵対関係を作り出していただけなんですよね。

電話口で怒りをあらわにした人をこう捉える

ここ数日の話です。とある家事代行サービスを利用した際、わたしの勘違いからサービスの規則を逸脱してしまったことがあったんです。
後日、規則の逸脱を派遣元の家事代行会社の事務担当者から指摘され、追加料金を支払うこととなりました。

その際、事務担当者から電話口で叱られたんです。

規則を逸脱した内容といっても、わたしがその日選択したメニューにはそのサービスが含まれないというだけでごく一般的な依頼内容です。だから家事代行のスタッフさんを守るためでもなさそうだし、彼女がそこまで怒る理由がわかりません。

彼女から向けられる怒りに困惑しながらも謝罪して電話を切ってしばらくすると、「定期的に利用していて、わたしが今回悪気なくメニューの選択を誤っただけというのは想像できるはず。なぜそんなに怒られなければいけないのか」と正直ムッとしてしまいました。

これまでのわたしならば「この事務の人嫌いだな!もうここの家事代行は利用するのやめよう」とプンスカしていたに違いありません。

でも今のわたしはヨガ哲学オタク。これまでとは違います(ドヤ)。ムッとしたことがチャンスに思えました。

この感情をヨガ哲学ではどう対処すべきなんだろうと調べ、考え始めました。

ヨガ哲学では、まず人に対して想像を巡らすことはしません。相手の反応を自分はどう受け止めるかが大事であって、すべて自分ごととして捉えるのです。

この事務所担当者がどんな気持ちでそれを言ったのかはわかりません。メニュー選択誤りにより彼女の手間が増えたから?虫のいどころが悪かったから?真相はわからないし、それは考えても仕方がないこと。

自分の受け取り方にフォーカスしてみます。わたし自身、日頃から事務手続きでミスが多いタイプなんです。それで過去、特に新人時代は失敗をしてきました。電話口で叱られた際に咄嗟に仕事でミスを咎められたかのような感覚を思い出しました。

加えて、顧客対応を長年仕事でしてきたこともあり、「わたしだったらこんな言い方はしない」と余計に彼女に悪印象を抱いていたように思います。

電話を切ったあと、ここの家事代行サービスを今後も利用し続けるか考えました。利用する上で、この事務担当者とのやり取りは最低限発生します。わたしのミスを差し引いても「え、これって怒るほどのこと?」という思いは拭い去れず、今後もやり取りの中でいたずらに感情が乱されるのも気が進まない。

それでも、定期的にきてもらってる家事代行のスタッフさんとの関係は良好で、あの人との関係を終わらせたくない。そのほかにも諸々の事情から他の業者にはないメリットが大きくて、やはり今後も家事代行サービスを使い続けることにしました。

そこで、電話の翌日、メールで「同じメニューで今後も定期利用していくつもりであること。もしメニュー選択の誤りがあった際は事前に知らせてもらえたら嬉しいこと」「普段は電話に出られないことが多いため急ぎでない連絡はメールでほしいこと」を送信しました。その後、件の事務担当者から承諾のお返事が届きました。

苦手なことは他人に頼る、そして、苦手な人との会話からの逃げ道も作ってみました。

自分はそんなに悪くないはず!そんな言われ方をして逆に被害者だ!と殻に閉じこもってしまうのは簡単ですが、どんどん自分の世界を狭めていってしまう原因にもなります。またモヤっとした際にはヨガ哲学応用のチャンス!と活かしてみようと思います。

(余談)

ヨガジャーナルのヨガ哲学漫画より抜粋。この、外に出ると傷つくからずっと家の中でひとりでこもっていたい感覚、昔はよくあったなあ




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