自分の足元を疑う能力(もしくは特性?)
為末大さんのこのツイートを見て、ビックリしました。
何にビックリしたかと言うと、まず僕が「自分が立っている地面を疑うこと」が結構あったということ。
そしてそれは、社会に適合しづらい変人だからこそ感じる「生きづらさ」であり、「能力」というよりも「特性」に近いと思っていたんです。
それを、為末さんほど思考の深い人が「知的な能力」だと言っている…!
しかも「憧れる能力」だとも…!
この「特性」について、もう少し分析してみようと思い、この記事を書きました。
確かに以前僕は、常々他人に対してこう思っていた時期があります。
「もっと足元を疑おうよ」と。
でも、それがなかなかできないことも今は理解できます。
だって、足元を信じているからこそ、どんどん先に進むことができるわけで。
もし、「足元に地雷が埋まっているかも」とか「見えない落とし穴があるかも」……なんて考えていたら、ほとんど進むことができなくなります。
そして、前提を元にして(当たり前のものと考えて)、前に進んでいくというのが脳の基本機能というか、人間の常識というか、そういう類のなんだろうと思います。「潜在意識」とも言えるでしょう。
もちろん、僕も基本はそうですし、普段、外を歩いている時に、地雷や落とし穴の存在なんて気にしません。
でも僕は、「特性」と言いましたが、「地面がよく分からずにつまずく」という感覚のほうが強いかもしれません。
普通に歩こうと思って、歩けない感じです。
例えば、僕の苦手な質問がこれです。
「趣味はなんですか?」
多くの人はきっと、趣味をパッと答えられるんだろうと思います。
でも僕の頭に浮かぶのは、こういう考えです。
「“趣味”ってどういう意味?」
辞書を引いたならば、こういうことが書いてあったりします。
でも、世の中には「仕事が趣味です」って答える人もいます。
それに、上記の定義だと、仕事をしていない子どもの時には当てはまらないことになってしまいます。
(学校とか勉強以外で好きなことなのかもしれませんが、やはり「勉強が趣味」だと言えるわけで)
要するに、趣味という言葉は、人によっても状況によっても意味が違うわけです。
(↑すでにここまでの文章を「めんどくさい」と思う人もいるでしょう。
でも僕は実際に、こうやって「地面がよく分からなくてつまずいている」んです。
僕もこういうのがめんどくさいから、人とのコミュニケーションを苦手に感じたり、生きづらさを感じてたりするんでしょうね…)
とにかく、「好きなことを答えればいいんだよ」と言われるかもしれません。
でもその場合にも、僕の中で考えられる答えとして
「仕事が趣味です」
「深い話をすることです」
「弓道です」(←ここ最近できていませんが)
など、いろんなバリエーションがあって、どれを選ぶべきかで困るんです(笑)
できるなら、聞かれていることに対して、ベストな答えをしたいじゃないですか。
でも、何が聞かれているかよく分からないし、どの答えを選んでいいか分からない……。
それが「趣味は何?」という質問なんですよ。個人的には。
そして、この特性のために、一般的な人達が気づかないことに気づくことがよくあります。
例えば、AさんとBさんの話が合わない時に、それを横で聞いていて、
「それは多分、●●という言葉の定義が2人で違っているからだと思いますよ。
Aさんは、●●という言葉を「△△」という意味で使っていますが、Bさんは「□□」という意味で使っているんです。
だから結局、2人のしゃべっていることは一緒ですよ」
みたいな仲裁(?)ができてしまうんです。
また、僕は英語を教えているわけですが、うまく理解できないところがある生徒さんの話を聞くと、だいたい、
「こういう捉え方をしているから、この箇所が理解できないんだ」
ということが、その人の話から見えるので、その思考をなぞりつつ、「こういう風に考えたらいいですよ」という指摘ができるんです。
このような思考は、他人から見たら「足元を疑っている」ように見えるかもしれません。
昔の僕は、他人に対して「もうちょっと足元を疑おうよ」と思ったこともあります。
でも、僕流の英語の教え方を人に教えようと考えた時に、いつもここがハードルになるんです。
この「足元(前提)を疑う力」は、人に教えることのできる能力なのだろうか?
それとも、僕自身の特性であり、結構特殊な能力なのだろうか?
その答えは、全く分かりません。
だから、もし可能ならば為末さんに掘っていただきたいです。
対談希望。
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