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#100 127円と136円

#100
区切りが非常に良い。

昨年の10月から番号をつけて記事を書き始め、

愛着が湧いていたこちらのnote、ついに#100まできた。純粋にとてもすごく非常に嬉しい。

今日は今日の話をしよう。


今日、レジに持って行った商品の金額よりも持っていたお金が少なく、戻すことになっても動じなかった。

なんの話。

これは、瞑想の成果が出たという結論に繋げたい話だ。

仕事の休憩の間に、130円だけ握りしめてコンビニへ向かった。私は糖分を欲していて、脳内はクラフトボスのカフェラテ一択だった。

たった今答え合わせをするように調べたのだが、クラフトボスのカフェラテは127円。いつも珈琲をコンビニで買うときもクラフトボス一択であり、私はクラフトボス信者と言っても過言ではないのだが、珈琲もたしか127円。

絶対に130円があれば目指している糖分を必ず得ることができると、信じて疑わなかった。

なのにレジに持って行ったら136円だったのだ。よくみたらダブル?ミルク?というような、なんだか特別なカフェラテだったようで、以前買ったものは店頭にそもそもなく、

違う136円カフェラテが、初めから「私があのときのカフェラテです」と言わんばかりに鎮座していた。

6円足りない。

普通に6円足りない。

レジで金額が出る前に当たり前のようにトレーに130円出して待っていた。


何故か、焦らなかった。

書いていながら何を記録しているのだろうと少しだけ思っているが、それは置いておいて、焦らなかったのだ。

今までならそのシチュエーションだったら、一度あたふたしてからちゃんとお断りをするという思考に至っていただろう。

しかし今回は、予想外の結末にもかかわらず「なるほど」と他人事のように思って

「すみません、戻してください」と言って、別の糖分を探そう、と店内を歩いた。

意図していない結果になったとき、思った通りにいかなかったとき、落ち着いていられることが増えたように思う。

今回のような日常の出来事で実感できたとき、その時にきっと「瞑想してるから?」と根拠を感じられることが瞑想のメリットだろうか。

瞑想によって落ち着いているのか、シンプルに心が落ち着いていることが増えたことの根拠として瞑想があることで確信に変わって行動にさらに反映されているのか。

どちらもなのか。

どちらにせよ、なんだか嬉しいし、瞑想が日々に繋がっているのはたしかだ。


クラフトボスは全部127円にして欲しい。




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