思弁逃避行 08.おかわり

【08.おかわり】

 死のうと思ったのではなく、生きるのをやめようと思った。

 追われるように駆け抜けた就活の末、なんとか搾り取った内定で会社員という身分を手に入れた。しかしそんなことももう数年間の話であり、今やただただ起伏のない時間を消費し続けているだけのような気がする。何かとんでもなく楽しいことは起きないものかと友人たちで退屈を嘆いていたあの学生時代の日々こそがすでにとんでもなく楽しかったのだと思い知ったのは最近のことだった。

 仕事は別に嫌いでもないが 好きなわけでもない。やりがいのようなものは続けていくうちに見つけられた。しかしそれが心を潤す継続時間が思っていたよりも短かったということが問題だった。仕事仲間に恵まれていないわけではないが、言われたことを断れない自分の性格をいいように使われているような気がどこかして、どうも心を開ききれずにいるのも事実であった。

 恋人はいない。特別容姿に恵まれなかったわけでもないので、何度か付き合ったり別れたりの経験はあったが、付き合っている期間が長くなるにつれて、ずっと一緒に居たがる相手にうんざりして結局円満に終わったためしがない。別れた相手たちは皆、早々に新しい相手を見つけては何が楽しいのかわからないテーマパークに通い、知らない間に結婚を済ましていく。式の招待状は当てつけか何かかとも思うし、そんなとってつけたような幸せでいいなら、そのしょうもないものを幸せと呼んで、つまらない人生を歩んでいけばいいとも思う。もっとも、そんな悪態をつく自分は幸せと呼べるしょうもないものですら持ち合わせていないのだ。

 結局は何においてもまあまあな状態で、大成功をしたことがない。そして大失敗もしないから、バネになるものもない。そんな感じだった。

 ことのきっかけは午後6時頃。仕事の電話をしている時だった。メモを取るため手に取ったボールペンのインクが切れていた。別のペンに持ち替えると、それもまたインクが切れていた。受話器から待たせている相手の苛立ちが染み出してくるのがわかる。突然どうしようもない無力感に苛まれる。ふと気がつけば自分は人生で何がしたいのか、さっぱりわからなくなっていた。というよりも、ずっとわからないままだったということに気づいてしまったのだ。

 自分が今日生きるのをやめても別になにも問題ないのではないか。そう思えた。

 帰り道、最後の晩餐は何にしようかと思うと少しだけ心が踊ったが、すぐになんでもいいと思えてきて自分のつまらなさを思い知った。目の前を通りすぎていく、幸せそうな恋人たちを乗せたタクシーを目で追うと、対向車線側に天下一品をみつけた。

 店に入るとカウンター席の真ん中あたりに案内された。こってり普通麺ネギ多め、明日のことを気にする必要はないのでニンニクも入れてもらう事にした。ラーメンを食べるのは久しぶりな気がする。学生時代は毎日のように食べていたというのに。

 大学の卒業と同時にめっきり連絡を取らなくなってしまった友人たちは、いまはどんな生活をおくっているのだろうか。皆いそがしい日々を送っているのだろうという憶測から、大した用事もなく連絡する気にはなれず、というよりも、小さなプライドのせいで強がって連絡を取っていないだけであった。

 そんなことを考えているうちにラーメンはほとんど食べ終わってしまった。ふと丼の中を覗いてみると、内側に文字が書いてあった。

 「明日もお待ちしてます。」

 こんな脂っこいもの明日も食べなきゃいけないのか。

 でも久しぶりに食べるとやっぱり美味いな。俺、言われると断れない性格なんだよな。明日も一人で食べるのはさすがに飽きる。久しぶりにあいつらをラーメン誘ってみようか。

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