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就活が暴き出したもの(就活①)

先日より、ブログを始めました万年ホケツです。
これからただただ自分語りをしていこうと思います。

記念すべき最初のテーマは就活です。

なぜいきなり就活の話なのか
それは就活が自分自身を語る上で避けては通れないからです。というより、就活を通して、初めて自分自身を知ったからです。

これから書く内容のうち、就活っぽい話はほとんどありません。面接のテクニックだとか、企業分析のやり方だとか、そんなものは出てきません。ただ、就活を経験して、自分がどうなってしまったか、そして就活に対してどう思うかを書いていこうと思います。

まずは、私の就活の簡単な流れを説明します。
就活、というもの自体は大学3年の9月から始めました。私の周りの中では、割と早めから就活を始めました。最初はとりあえず説明会に参加し、インターンに参加し、ごく普通の就職活動をスタートさせました。
そこからは、人生で最も無力的な日々が続きました。業界を絞れたのは3月からで、そこからはひたすら説明会・ES・面接を受ける日々。そして、落ちて落ちて落ちまくりました。6月になり、周りが内定を貰い始めても、落ちて落ちて落ちまくりました。夏になり、周りが就活を終え始めた頃も、落ちて落ちて落ちまくりました。気づいたら8月も終わりました。まだ内定はありませんでした。

初めて道がないことに気づきました。
社会という巨大なシステムに自分という歯車は必要ないと感じました。
もうここまでくると訳がわかりませんでした。
何を頑張ればいいのかわかりませんでした。
そして、何を信じていいのかわかりませんでした。
人事や先輩社員のありがたい言葉か、
就活本や就活サイトの攻略テクニックか、
企業のクチコミや業界の将来性か、
自分から見た自分か、他人から見た自分か
毎日近くの山に登り、夜景を見ながら考えました。

こうした精神状態の中でも、就活は続きました。
就活対策において、よく行うべきこととして謳われるのが、企業・業界分析、ES・面接対策、
そして自己分析です。

わけがわからなくなった私は、
この自己分析を、狂ったようにやりました。
自分は何者か、この問いの答えを必死で模索した結果、それは一種の哲学となり、そして自分自身の真理に辿り着きました

そんな中、9月、初めて内定が出ました。
しかし、そこに嬉しさや安心という感情はなく、
むしろ後悔という不思議な感情となりました。
結局、その内定を承諾し、私の長い長い就職活動は幕を閉じました。

続く

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