グリーン・ゾーンとバブル 日本(語圏)という「壁」 続き

 「サステイナブル・ブランド」を立ち上げたというファッションモデルが、日本社会で声を上げたり行動するのが難しいのであれば、「なんとなく知ってはいるけどアクションを起こしていない」という本人試算の6割の層に向けて「まずはグリーンウォッシュでもいいから取り組んで」と語る。その理由には「日本って、幸せな平和ぼけをしているのかもしれない」「もしかしたら、困っていることに気づいていないだけなのかも」という考察も。気づかせることが大事なのは、同感。

 しかし、「化石燃料産業の展示会」と揶揄されるCOP27を含め、世界が過去30年余りずっと気温上昇を止められずにここまで来た経緯を振り返ると、まだ「(やらない善より)やる偽善」と言えるのだろうか?気候危機や生態系危機のグリーン・ウォッシュをグレタたちが厳しく批判するのは、政治家や企業が発する言葉や数字と実際の行動や結果とのギャップが酷過ぎるから。いわば、「やる偽善」が現実から目を背けるように利用されてきたのだから、偽善とは一線を引き、地に足をつけて踏ん張り、抵抗し続けるしかない。それは、近年の10代20代中心の気候運動の原点でもある。

 グリーン・ウォッシュに関しては、グレタが最近出演した英国のコメディ番組The Russell Howard Hourでの子どもたちとのやりとりが面白い。「リサイクル」を謳う商品が本当に再利用で出来ているとは思わない子どもの声を受けて、すべてではないが、イメージが良いというだけの「見せかけ」を分かりやすく伝えている。ラッセルとの掛け合いで終始笑いに包まれ、普段の報道では見れないグレタの表情により親しみを感じるエピソードでもある。表現は豊富。誰かの励みになれば。

 日本の「幸せな平和ぼけ」もグリーン・ウォッシュに起因しているのだろう。なぜなら、日本はエネルギー資源のほぼ全量が輸入頼みで、3本の指に入る天然ガス輸入大国でもあり、世界第5位の温室効果ガス排出国であるにも関わらず、その問題の深刻さを国内の報道機関を筆頭に誰もまともに伝えようとはしないのだから。エジプトのように情報統制が厳しくて政治活動が禁止されているわけでもないのに、一向に情報が出てこないのは、なぜか?不正義と闘わない報道機関や環境団体が体制の「門番」(gatekeeper)に成り下がっているからでは?これは、何も難しい話ではない。

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