ベージュでいること

黒い衣服は、失敗することがないし、群衆の中で孤立する自分を簡単に演じることができる。もちろん近くで観察すれば、上品な黒い衣服と、そうでない衣服との差を判ずることができるけれど、それでも下品な黒というのはなかなか存在しないんだ。

けれども白やベージュのような明るい色の衣服をまとって開かれた感覚でいることは難しいことだし、美しいと言える組み合わせの工夫をするには時間と集中力がいるんだ。よく観察して、「これだ」と言える組み合わせを考えつくのには時間がいる。

白系統の色を着て、統一感のあるコーディネートで外に出ることは、この群集だらけの街で、周囲に溶け込み、輪郭を曖昧にしていくのと同じ感覚なんだ。

それは他者に対してー あまりにも他者は多すぎるのだが ー、オープンな心でいることでもあるし、色に「かける」ことでもある。色をグラデーショナルにスライドさせていくこと自体がー 同トーンの中で ー、情報に対してオープンでいることなんだ。

黒い衣類が「シャットアウト」の象徴であるとするならば、白い衣類は、特にオーバーサイズ のシルエットであれば、流入する情報に対してオープンでいることでもある。ベージュやナチュラルはね。

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