見出し画像

連載10・「神秘」は摩訶不思議じゃないって?

19世紀、フランスで
タロットカードに深淵さを持たせるために
エリファス・レヴィが関連づけた「神秘学」ですが

「神秘学」と聞いて(読んで?)
まず、なんだと思いましたか?
 
「神秘」。。。という言葉から連想されることは
"スピリチャル"や未知の世界、
怪しいもの、オカルト、
目に見えない何か。。。などでしょうか?
 
確かに、神秘学は目に見えないものを扱いますが
摩訶不思議なもの。。。ではありません!

「神秘」なのに「摩訶不思議」じゃないって
どういうことでしょう!?

例えば。。。そうですね、
例えば江戸時代の人にWi-Fiの仕組みを説明できますか?
 
難しいですよね?

だって、その頃はそもそも電気も家電もないから
最初の状況想定の基盤が違うし、

Wifiは目に見えないものだから
説明しようとしているこちらの方が
怪しいと思われるのがオチでしょうね〜? 

つまり、
Wifiは今の私たちにとって
全然摩訶不思議じゃないけれど
江戸時代の人にとっては理解不能の
摩訶不思議な怪しいものだと考えられます。

人は、自分が理解できないことや
知らないことを
「怪しい」とか「怖い」とジャッジする傾向があります。

誰でもそうですし、
どんな時代の人だってそうだったと多います。

けれどもひとたび理解できれば
不思議でも怖くもなくなるので

私達、人間は知識を大切にします。

そして何かを理解することを
「へ〜、そうなんだ〜!!」と
楽しくて嬉しいことだと感じます。

神秘学は、
人類(正確には西洋文明)
五千年以上の歴史の中で
培われてきた考え方です。

現代のような科学がなかった
ずっとずっと大昔を考えてみてください。

人は
「どうして空が青いのか」
「どうして風が吹くのか」
「どうして四季はあるのか」
「どうして生き物はメスだけが妊娠するのか」
「妊娠の仕組みを体の外で行うことができないのか」

こんなシンプルな自然現象を
説明することができたでしょうか?

今ではちょっと調べれば
説明を見つけて
納得することができますが

そんな説明や理解がなかった頃は
この世の全ての自然の摂理が
摩訶不思議にみえて
あらゆることが「神秘」で
「神の御業」だと思われていたでしょう。

だから「神秘学」というのは、
科学のなかった時代に
世界と人生、
そしてこの世の現象を知って
理解したいという気持ちが「種」になって、

ゆっくりと、時間をかけて
いろん「人の好奇心へ対する答え」を
まとめて発展してきた
知識体系の呼び名。。。と言えますし、

「神秘」を研究することは
人が科学で説明できない
自然の摂理と在り方を知ろうとする。。。
というだけのことです。


*****

タロットを本質から知る連載、続きます😃♪

*****



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?