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第二話 『旅をする木』とはじめての旅

写真家・星野道夫さんの『旅をする木』を、とりわけその中の「16歳のとき」の章を繰り返し読むうちに、私は長野県の北アルプスにも目が行くようになった。
山岳雑誌に出てくるその山域は、アラスカを連想させる広大な山々が広がっていた。
星野さんのように16歳でアメリカに行くことは難しいが、ここには一人でもいけるだろう。

1997年の夏—―。
16歳の私は、北アルプスの北穂高岳から剣岳まで縦走した。
知識もお金もなかった。
ザックの中はドライフーズではなく、キャベツやニンジンなどの生鮮野菜。着ていた服は、化学繊維ではなく、安物の綿製だった。
当時はまだ「山ガール」や「ソロキャンプ」という言葉はなく、大きな「夏フェス」もまだ行われておらず、アウトドア業界に勢いがない頃だった。
今よりもずっと静かな登山道を一人で歩いていると、必ず声を掛けられ、同じ方向の人とは、しばらく一緒に歩き続けることが多かった。

3日かけて槍・穂高連峰の切り立った岩稜を縦走し、満点の星空の下でテントを張ると、星明りに槍ヶ岳の岩峰が照らされていた。
『旅をする木』のこんな言葉を思いだす。
「ルース氷河は、岩、氷、雪、星だけの、無機質な高山の世界である。しかし何もないかわりに、そこにはシーンとした宇宙の気配があった。情報が少ないということはある力を秘めている。それは人間に何かを想像する機会を与えてくれるからだ。」

その後、「アラスカ庭園」と呼ばれる黒部川源流部を眼下に、北アルプス最奥の水晶岳の稜線を歩いた。
その稜線の途中でガスコンロのバーナーを落としてしまったが、テント場で他の登山者にバーナーを借り続け、剣岳を目指した。ひとりで歩いてきたというと、誰もが、親身になってこれからのルートのアドバイスをくれた。
黒部湖から雪が残る五色が原の草原を登り返し、さらに北へ。
星野さんは「16歳のとき」でこう書いていた。
「十六歳という年齢は若すぎたのかもしれない。毎日、毎日をただ精一杯、五感を緊張させて生きていたのだから、さまざまなものをしっかりと見て、自分の中に吸収する余裕などなかったのかもしれない。しかしこれほど面白かった日々はない。一人だったことは、危険と背中合わせのスリルと、たくさんの人々との出会いを与え続けてくれた。」
私はアメリカではなく、北アルプスだった。日数もわずか10日ほどだった。
だが16歳だった私は、星野さんの「16歳のとき」を少しだけ追体験できたのかもしれない。

最終日、テントに荷物を残し、ウエストポーチだけで未明から剣岳山頂を目指した。
ヘッドランプの灯りを頼りに、岩稜に繋がれた鉄の鎖をたどり、垂直の壁にかけられたハシゴを登る。
夜明け前の漆黒の空が、徐々に青みを帯びはじめてくる。
その変化と競争するように、平たんな部分は走って進んだ。息を切らせ小さなピークをいくつも越えていく。
そしてなんとか太陽が顔を出す前に、山頂にたどり着いた。

そよ風が、山頂の祠にかけらた木製のお札をカタカタと揺らしていた。それ以外は、音のない静寂の世界。
まだ暗い黒部渓谷に、雲海が、うねりながら流れていた。
息が落ち着き、鼓動が静まると、寒さを感じるようになった。だが、防寒具はペラペラの雨具しかない。朝日があがり、真っ赤に雲海が焼けていくのを震えながら見た。
歩いて来た稜線が、雲海の上に竜の背びれのように突き出し、それがどこまでも続いてた。
太陽が、その山陵を、どんどん鮮明なものに変えていく。
青黒かった上空の空は、見る見るうちにインディゴブルーに変わっていった。
光が、足元の岩々の朝露を反射していく。
その陽光にあたたかさを感じながら、私は一人で、美しく変化する世界を眺め続けていた―。

その日のうちに山から下山し、鈍行列車を乗り継いで、家に戻った。
下界のねっとりとした空気に包まれながらも、私はあの静寂の山頂から見た自分の軌跡を思いだし続けていた。
壮大な山脈を歩き通して見えたものは、まぎれもなく自分自身の姿だった。
初歩的なミスも多く、体力もなかったが、学校で先生から言われるほど、自分は弱くはなかった。
勝ち負けや、偏差値といったモノサシとは別の次元で、はじめて私は自分自身を感じることができたと思った。

10日ぶりのシャワーを浴びた。
さっぱりしてリビングに入ると、母親が言った。
「あなたが山に行っている間に、星野道夫さんが亡くなったのよ。」
「……えっ。」
アラスカではなく、ロシアのカムチャッカ半島だった。普段のように一人での撮影ではなく、テレビ番組の取材。湖畔に設営したテントで、ヒグマに襲われたという。
「アラスカに行って、会うつもりだったんでしょ」
と、母親は静かに言った。
私は返す言葉が見つからなかった――。

星野さんは、『旅をする木』で、こうも書いていた。
「子どもの頃にみた風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。」

そして、この本の最終章のタイトルは「ワスレナグサ」だった。
「ワスレナグサは、英語で、forget me not、このいじらしいほど可憐な花が、荒々しい自然を内包するアラスカの州花であうことが嬉しかった」

Forget me not.

星野道夫さんの物語と、剣岳山頂から見た光景は、あれから26年が経った今も、色あせることなく、私に勇気を与え続けてくれている。 (つづく)


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