見出し画像

「豊饒の海」東出昌大主演・紀伊国屋サザンシアターTAKASHIMAYA

三島由紀夫原作「豊饒の海」四部作、初の舞台化。2005年に『春の雪』が映画化され(妻夫木聡・竹内結子主演)151分の映画ですら汲み取り切れないものが沢山あったのに、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』すべてを、3時間にも満たない舞台で全部取り上げるのか! 一体どうやって? 興味は高まる。

(以下、ネタバレあります)

東出昌大が松枝清顕、友人本多繁邦を大鶴佐助、本多は壮年(『奔馬』『暁の寺』)は首藤康之が、老年は笈田ヨシが演じる。舞台上には何もセットはなく、場面転換の際に黒子が大道具小道具を巧みに出し入れし、場の雰囲気を作る。

冒頭は滝のシーン。ポスターやチラシに「又、会ふぜ。きっと会ふ。」とあり、原作ではその次に「滝の下で」と続くので、滝は大事なモチーフ。最初は水を落としているように見せるフェイクかと思ってみていたが、何回か滝のシーンがあり、舞台の真ん中に穴があいて、上から降ってきた水をそこに落とし込むようにしているようだった。その滝に、清顕、勲、ジン・ジャン、透が触れ、周囲で舞い踊る。水が消えると、舞台上部から紅葉した楓の枝が降りてきて、松枝家の庭で紅葉を見るシーンに。舞台は清顕のシーン、透のシーン、清顕のシーン、勲のシーン、と目まぐるしく入れ替わりながら、大筋となる『春の雪』の物語が進む。当然端折るところもあるので、物語の展開で、元々のストーリーを改変している部分もあり、三島的にこれはどうよ、という感じもあるが、これはあくまでも長田育恵の脚本が舞台化されたもの、と思うべきなのだろう。呆然とする若い繁邦、中年の繁邦を、老年の繁邦が諭す場面もあるし、勲の割腹のシーンと、清顕・聡子の鎌倉の海での情事を舞台の上で重ねたりもしている。

今回、舞台を見るにあたって、『春の雪』を読み返してみたのだが、この物語の真の主役は蓼科(聡子の乳母)だったのでは、という印象を持った。そういう意味では、蓼科が必要最低限しか現れないこの舞台は、三島が提示した世界とはかなり違う。長年の怨念を限られた場の中で表現するには、蓼科を主役に据えた別の舞台が必要なのかもしれない。

東出昌大は、神経質で耽美的な清顕を美しく再現していて、好キャストだった。一方、わたしのイメージの中で、清顕より屈強でひたすら清顕を守ることに専心する繁邦は、もっと大柄で大人っぽい人だったのだが、大鶴佐助は、いささか幼く、単純で、しかも小柄で、かなり思っていたのと違う印象。聡子役の初音映莉子も、雰囲気がやや幼すぎて、映画の竹内結子の存在感には敵わなかった印象。勲の裁判のシーンはとても上手に構成されていたと思う。ジン・ジャンの部屋に繁邦が忍んで行くシーンのエロさにあっと言わされたり。清顕、勲、透、繁邦以外はみんな一人で何役もやっていたと思うが、どたばた感もなく、大変スマートな舞台だった。

とても面白かったが、原作を全く知らずに見に行っても、何がなんだかわからない気がする。そして、十数年ぶり(たぶん、大学時代に1回読んで、映画「春の雪」公開前に再読し、それ以来)に読んでみて、三島の文章の豊かさ、美しさにくらくらした。三島が最後に到達した境地、なのだろう。変身とか生まれ変わりとかについても繰り返し語っていて、三島は今はいったい何に変身しているのだろう、と思ったりもする。

#豊饒の海 #三島由紀夫 #長田育恵 #東出昌大 #大鶴佐助 #春の雪 #奔馬 #暁の寺 #天人五衰 #松枝清顕

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?