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負け犬の遠吠え

酒井順子『負け犬の遠吠え』講談社
講談社文庫のPR雑誌「IN☆POCKET」の連載を1冊にまとめたものらしい。

既に内容については色々な媒体で触れられていて、今更ここで紹介するまでもないが、作者は、自分がそこにカテゴライズされる「三十代・独身・子なし」の女性を「負け犬」と定義し、「勝ち犬」(既婚・子どもありの同世代の女性)と対比し、それぞれの人生のあり方について、色々な角度から語っている。

簡単に片付けてしまうのであれば、いつの世でも、隣の芝生は青いのであり、人間いつでもないものねだりをしてしまうものなんだよね、ということだが、別に作者は自分の「負け犬」人生を恥じたり後悔したりしている訳ではない。人生の様々な局面で、なんとはなしにしてきた選択の数々の結果、今のような境遇に流れ流れてきた訳だが、所謂「勝ち犬」は、自分の人生を計算し、ある意味打算をした結果として、今の境遇にいて、自分の好奇心や本能を優先させて生きてきた人たちが、ふと気づくと「負け犬」になっていた、というトーンが、この本の中には見える。
ある意味、負け犬の方が、ロマンチックでピュア? なので高望みをして、結果として、新たな家族を築くことなく今日に至っている...。
考察で面白かったのは、日本にはカップル文化というのがないため、負け犬が負け犬同士でつるんでいても違和感がない社会が形成されている、というか、カップルが、カップル単位で登場しなくてはならない場というのが極めて少なく、日本人は人生の大半の部分を同性同士で過ごしている(勝ち犬負け犬かかわらず)、という部分。この本の中でも触れられている『ブリジット・ジョーンズの日記』などを読んでもあきらかなように、他国の都市圏(負け犬は、都市部以外の場所では大量発生しない構造になっている)では、負け犬も、負け犬同士だけではいられない場、というのがあり、結果として、負け犬には、恋愛関係にはならない男友達が必須(ゲイであったり、あまりに幼馴染過ぎて恋愛対象にはならなかったり)らしい。

この本は負け犬も勝ち犬も礼賛していない。見た目華やかで格好いい負け犬は時として空虚な思いにとらわれる時もある。勝ち犬(何回書いても変な響きのことばだね、こりゃ)は、安定した生活に安住しているが、緊張感のない人生を幸せと感じているかはよくわからない。そして、二極化しないと書きにくいので、あえて触れられていない中間的な立場の人、どちらの範疇からもはみ出ている人だっている。結局、二元論では片付かないんだけど、便宜的に分けると面白く読める、ってことだよね。

自分の人生を振り返り、考えると、わたしの勝ち犬負け犬分岐点は、22~25歳頃にあった。
それまで適当に流して楽しく生きていたわたしは突如、呪いにかかったような、男ひでり状態になったのである。
訳わかんない悪循環ループから脱出する手をさしのべてくれたのが今の夫であり、また呪いにかかってはかなわん、と、結婚を急いだ結果、わたしは20代後半で結婚、30代突入直後に出産し、なんだか勝ち犬になってしまったのである。
あそこに何かのきっかけが転がっていなかったら、好奇心体質のわたしは、そのまま負け犬街道を突っ走っていた可能性が大きかった。母とかにも「30になっても結婚していなかったら、自宅を出て自活しなさい」と、負け犬前提の話をされていた。
『負け犬の遠吠え』を読んでいると、パラレルワールドにいる自分を見ているような気がする。きっと誰もが、何かのきっかけで今いるカテゴリーと違う方のカテゴリーにいたかもしれない自分を思い浮かべながら読むのではないか。

(2004年07月06日のブログ記事の転載)

#読書 #酒井順子 #負け犬の遠吠え #講談社 #INPOCKET

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