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2023.3.5 東京マラソン2023 なんて幸せな!

2019年に、11回目の抽選でようやく当たった東京マラソンを走り、なんて幸せなことだろうと思った(記録はここ)。また11年待たないと走れないのかなぁ、と思っていたら2020年大会も当選! 生涯の運を使い果たしてしまった気持ちで当日を待っていたら、新型コロナウィルスの影響により、東京マラソン2020はエリート、準エリートだけの大会に。
権利は繰り越されたが、返金はなく、参加賞のランナーローブと防寒銀シートとプログラムだけが送られてきた。当初は数か月で収束すると思っていた新型コロナウィルス、1年たっても2年たっても事態は改善されない。その間に自分自身が膝を傷め、半年以上ランオフし、その後徐々に走り始めはしたが、以前のようにガンガン練習できず、タイムはがた落ちに。
昨年3月の東京マラソン2022の時点では、まだがっちり走れる気がしなかったので、権利を更に1年繰り越し。結局3年も待ってしまった。あまりに長い待ち時間だったので、永遠に出走権を持っているような気持ちにすらなっていた。実際に参加の案内が来てもなんだか実感が湧かず。

2月26日から健康観察アプリの入力を始め、その途中経過の記録を持って、3月3日に東京ビッグサイトの東京マラソンEXPOへ。なんだか外国人が多い...と思ったら、今大会は参加者の3分の1が外国の方だったとのこと。2019年のEXPOが、お台場の公園にテントを立ててそこを経めぐる感じだったので、夜行ったこともありなんだか盛り上がらない感じだったのだが、今回は展示場で、広々として明るく、写真スポットで写真撮りまくったりして楽しく過ごす。2019年はリストバンドを巻いてもらって、それで替え玉を回避するスタイルだったが、今回はスマホに個人情報(写真含む)をてんこ盛りにしたものを提示することで身分証明とした感じ。EXPOで抗原検査キットを2箱貰ってきて、2日連続して陰性が出るのを確認し、それも健康観察アプリに登録したが、当日受付では条件クリアされていればきちんとしたチェックもなく、あの抗原検査に意味があったのか、きわめて謎。

2019年同様、スタート地点の近くに住むひろみさんが泊まって、と言ってくださったのでお言葉に甘え、泊めていただく。夕食は力うどん、朝食はおもちを4個(きなこ)と牛乳と大きめのバナナ。
お天気は曇り。まだひんやりしているが、日中は暑くなるのだろうか。2019年はレースの間ずっと雨だったが、今日はたぶん雨は大丈夫。
前日の晩から、Facebookなどで、応援やボランティアに来る友達の応援ポイントを確認し、メモ帳に書いていった。レース中は見ていられないが、書くことで暗記する、試験勉強みたいな感じ。当日の朝まで記録更新続ける。
ひろみさんと一緒に家を出て、都庁方面へ歩く。ひろみさんの家から一番近いゲートはわたしの入るゲート2ではないので、ちょっと遠回り。ひろみさんと別れ、スマホを起動するが、全チェック項目がクリアされていることを表示するページを出す方法がわかりにくく(QRコードを読むと、アプリのダウンロードページが出てくるのってどうよ)、結構混乱が発生していた。その後の荷物検査のところもかなり時間かかっていた。
混んでいる場所でじっと列が進むのを待っていたら狭い階段で上の階に上がらされ、そこにトイレが沢山あったので、並んでみる。8:45までに各ブロックに入るように指示されていたが、トイレ終わったらもう8:35、小走りで進む。
膨大なDブロックに入ったところでかえるさんと会い、記念写真。しばらく喋っていたらそこにしみちゃんもやってきて3人で記念写真。Dブロックは他にも知り合いが沢山いたのだが、会えなくて残念。中入っちゃったらもう探すどころではなかった。陽気な外国人たちがずーっと喋っている後ろでじっとスタートを待つ。スマホ見たら電池が41%になっていて(ひろみさん家出るときは100%だったのに)、ゴール後家族と連絡取れないと困るので、スマホも封印。
スタートに向けて前にじりじりと進み、スタートラインの道の角のところまで来る。そこで9:05の車いすマラソンの号砲を聞き、更に9:10のマラソンの号砲も聞く。Dブロックはぴくりとも動かず。2分くらいしてゆるゆる進み始めるが、スタートライン、遠いなー。結局、スタートまで6分かかった。スタート時に吹き上げられる紙吹雪ももう宙を舞っているのなんてない。というか、いつもは桜の花びら型の小さい紙吹雪なのが、今年はかなり大きいハート型だった。拾おうと思えば拾えそうな。スタートラインの台の上に都知事がいて、ゆりこー、と声をかけている人がいた。
前回までは、スタートラインに衣類のリサイクルボックスを置いて、家から着てきた上着等をここに入れることでファイバーリサイクルをするという試みがホームページ等でも喧伝されていたのが今回は一言も書かれておらず、EXPO会場でもメンションがなかったので、今年はないのかと思ったら、リサイクル用の籠は置かれていたよ。今年は暖かかったので、ビニール袋や、100円レインコートをかぶっている人が多かったのだが。わたしは今回処分しようと思っていたショートコートは結局ひろみさんの家に置いてきて、ゴール後はそれを着て帰ったよ。スタートまではウィンドブレーカー着ていて、スタート前にたたんでウエストポーチに入れて、持って走ることに。

コースは、2022年大会から微修正があり、スタート時は従来と逆向きにワシントンホテル方向に走ってUの字型にターンしてから靖国通りに向かうコースになった。そして、飯田橋で右折せず、水道橋まで行って白山通りを右折して、神保町で靖国通りを左折して、更に須田町交差点で中央通りを一旦左折して上野広小路まで北上し、折り返して須田町をまっすぐ抜けて、従来の神田駅下~日本橋、というルートになる。知っている場所も多いしそんなに難しいことはないが2月にこの前半のルートは試走もしてみた。前は日本橋が10㎞だったがこのコースだと末広町が10㎞。

スタートまで6分、最初の1㎞が5分24秒。最初は混んでるし仕方ない、と思ったが、2キロになっても3キロになってもキロ5分を切れない。体重はこの2年位あまり変わってないが(多め)、身体の切れが悪い。最初の方は知り合いの応援がなかったので、淡々と走り、曙橋の高架の脇でふきんさんを探すが見つけられず。次は5キロの市ヶ谷エイドに花ちゃんとあきえさんがいる筈、と給水まで来て、テーブル番号まで聞いていたのに、両側にあるエイドのどこにいるのか結局見つけられず(夕方聞いたら、後半紙コップがなくなってしまって、大混乱だったそうだ。お疲れ様)。その後しばらくまた知り合いはいないな、と思って走っていたら、神保町でまずシゲヤンに声をかけられ(応援場所聞いてなかったので、会えてよかった!)、その直後に、パンダのかぶりものをしたひーちゃん(こちらも応援場所聞いてなかった)をこちらから発見、振り向くようにして声をかける。中央通りでは、ざっくりとした応援場所を聴いていたナカジとかわたんを見つけられずがっくり。しかし10㎞のエイドでポカリスエットを配っている花岡さんを見つけ(テーブル番号聞いてなかったが、そんなに混んでいなかったので、顔をざーっと見ながら走って、ここだ、と思ったところで止まってみたら当たりだった!)挨拶。上野広小路で折り返し、秋葉原を通過して須田町に戻り、神田方面へ直進、JRくぐって新日本橋、三越前。13キロ地点(三越の真ん前)でパンダのかぶりものをしたにこぱにこちらが先に気づいて声をかける。日本橋を渡ったところに夫と娘たちがいるということでガン見していたが、夫の顔しか認識できず。日本橋で左折、設置された巨大ディスプレイをチラ見したが、どこの光景をやっているのかよくわからず。14キロ地点に梅ちゃんがいる、と聞いていたのに見つけられず。痛恨。14キロのタイムが1時間18分位。げげ、最初に6分のロスがあるとはいえ、1時間20分でサブフォーなのでこれはぎりぎり過ぎる。
水天宮前で幸人さんに声かけられる。水天宮前で応援する、と聞いていたが、具体的な地点はわからなかったので、会えてよかった! そして、浜町中ノ橋交差点でデュークさんが走路員やっていると聞いていたが見つけられず。帰りにもう一度探そう! この辺で車いすランナーとすれ違ったがこの人は最後の一人だったようで、その後数分で、トップランナーたちが走ってきた(2019年の日記では、トップのランナーとすれ違ったのは蔵前橋上だったようなので、前回と全然スピードが違ったことが、ここで露呈されたな)。大きな集団で黒人も日本人も沢山いた。明治座付近では恒例のちばっくまエイド、主幹事のきのこちゃんは来られなくなってしまったが誰かいるかな、と探したがわからず。帰りも見つけられなかったが、ラスターさんがいたと、レース後に聞いた。見つけられず残念。ミッキーの耳つけた雅美ちゃんに後ろから声をかけられ、さっそうと抜かれる。今日は完敗の予感。浅草橋で応援しているドナルドマクドナルドハウスのチャリティのグループの中によーこりんがいると聞いていたが、ドナルドマクドナルドハウスのポンチョの色が、思っていたのと違って、通り過ぎてしまう。次は、えーとえーと、17.7キロ地点に玉ちゃんがマイメロディかぶっていると言っていた。発見! 無事声かける。そして、18キロ地点でブルーレッドアンドブルーのボードをかかげたそぶさんと小西君が先にわたしを見つけて声をかけてくれた。写真も撮ってくれた。そして、駒形橋西詰で陸連の黒ベスト着たバニーさんも無事発見し(前回は見つけられなかった)声をかける。あっという間に雷門。曲がってスカイツリーをのぞみ、またすぐ曲がって復路へ。道幅があったので、バニーさんもそぶさん小西君も玉ちゃんも見つけられないまま蔵前橋通り左折。橋の上り坂がきつい...。橋の上で20㎞。
横網公園右折して清澄通り南下。中間地点のタイムが1時間58分22秒(グロス)、激ヤバである。朝のおもち4個が多すぎて身体が重いのかな。但し空腹感は全然ない。22キロのエイドにカロリーメイトゼリー(バナナ味)があったので、これを摂取する。
清澄白河で、ひーちゃんカオリン、そしてシゲヤンの声援を受ける。なるほど、神保町から清澄白河は都営新宿線1本で来られて便利だね、と気づく。幸人さんも水天宮前から移動して来ていて再度応援してもらえた。門前仲町まで来て、左折して富岡八幡の前通って(鳥居の前でお神輿がわっしょいわっしょいしていて、外国人選手が嬉しそうに見ていた)折り返し。この辺は土地勘のない人には退屈で辛い道だが、比較的なじみのある道で、橋の上り下りはきついけれど、それなりに楽しく走る。清澄公園の入り口で、エアーサロンパスの配布をしていたが(100m位手前からずっと、清澄公園でエアーサロンパス配布してますー、って放送していた)、いや、結構遠回りだし行けないです...。25キロのエイドに志保子さんがいたはずだが、発見できず、残念。東京マラソンはどうしても沿道の応援に気をとられてしまって、対向車線を走るランナーの中に知り合いを見つけるのが難しい。ミニオンの仮装をしていたちゅうちゃんや、ピカチュウの仮装をしていた令子さんを探したが見つけられず。
蔵前橋をぜいぜいと越え(この辺で28キロ、2時間37分)、蔵前側に戻って南下、浅草橋で、ドナルドマクドナルドハウスの集団をガン見して、往路側(まだ最後尾のランナーが走っている)のよーこりんを見つけて大声でよーこりん、と叫んでみたが、届かず。この少し先で関門が終わったようで、対抗車線のランナーはいなくなり、徐々に撤収の準備が始まった。明治座前ではちばっくま見つけられず(明治座の手前だったらしい)、浜町中ノ橋交差点では、往路に見つけられなかったデュークさんを無事発見! 茅場町まで戻り、往路見つけられなかった梅ちゃんいるかなー、と思ったがいないようだった。日本橋で巨大ディスプレイ見ながら左折し、中央通りに入る。曲がってすぐの32キロエイドで塩ようかんを食べていたら、その間に4時間のペーサーに抜かれる。げげげ。
京橋の、アーティゾン美術館の隣の工事現場前で愛ちゃんがキーボードで「負けないで」を演奏し、にこぱが歌っているのがかなり手前から聞こえる。にこぱもこちらにすぐ気づいてくれた。そして銀座に入ったところで、夫と娘たちと、家から荷物を運んできてくれたひろみさんの応援を受ける。
銀座は、道路横断のために道路を半分ずつ仕切ったりしていたので、悦子さんがいると聞いていた松屋側は通れず、草間彌生コスの悦子さんを見つけられず。2019年までは芝公園方面でやっていた333エイドも今のコースだと松屋前、悪代官や女将にも会いそびれたー。
晴海通り右折、回収車のはとバスが笑っちゃう位沢山待機していたが、ここからゴール地点って歩いたほうが早い位だよね...。丸の内仲通りに吸い込まれていく高速ランナーを眺めつつ日比谷通りに入る。帝国ホテルの前で職場のくもんちゃんの声援を受ける。ありがとう! 少し進んだところで、おそろいのシャツを着たさのくんがさっそうと走ってきて「NEOさん!」と声をかけてくれた。ありがとう! 35㎞が3時間21分25秒、あと7キロちょっとをキロ6分で走ったら4時間超えちゃうよ、と思うが、実際そのくらいのスピードしか出ていない。ネットなら4時間切れそうだが、今からそう思っているとネットもやばくなりそうなので、グロスでどこまで4時間内に近づけるかを考えつつ走る。とにかく今日はたまに日差しが出てもまたかげり、でも極寒でもなく、雨も降らず、風もなく(たまに横風が吹くと涼しくて気持ちがいい、と思う位)、言い訳の出来ない気候とはこのことだ。自分自身も膝も痛まず、足も攣る感じが0ではないがあまり心配ない感じだし、練習不足なのが本当に悔しい。スピードは上がらないが、1月末に走った勝田全国マラソンとは違い、え、もう何キロ地点に来ちゃったよ、と残念に思う位、一歩一歩がいとおしく、貴重な時間だった。
かわたんとナカジはまた発見できず。芝公園の前あたりでひーちゃん、カオリンの3地点目の応援。感謝感謝。前半のコースが長くなったので、日比谷公園から第一京浜に出てすぐ、田町駅前で折り返し。折り返してちょっと戻ったところでしょうくんが「NEOさん!」と声をかけてくれた。ありがとう。芝公園では向かい側の道からひーちゃんカオリンが声をかけてくれた! そして新橋あたりで、移動してきたくもんちゃんがもう一度声援を送ってくれた。日比谷公園脇でピンクアフロのみちるんを見かけたが、通り過ぎながら気づいたので声かけられず。
40キロが3時間51分10秒、キロ5分で走っても4時間は切れない...。がっくりしつつペニンシュラの角を曲がり、丸の内仲通りに入る。入り口あたりに家族とひろみさんがいたらしいが気づかなかった。石畳でデコボコだけど、狭い道の両側にびっしり応援の人が並び、テンション高まる。ブリックスクエアの先でボランティア終わって移動してきた花ちゃんが応援してくれて、あとビル幾つ分でゴールだ?、と思いながら走る。最後の応援は42キロを過ぎて、行幸通りに曲がる角のところの特別観覧エリア、懸賞(?)に当たって、そこに入ることができたというふきんさんが、京子先輩と一緒に応援してくれていた。写真も撮ってくれた。あと200m弱、あまり目の前に人がいるとゴール写真(買うかわからないけれど)がせせこましくなるので、人が少なめの場所を選んで走る。うわー、もうゴールだよ、と残念な気持ちでフィニッシュゲート通過。4時間04分49秒。ネットは3時間58分49秒。不甲斐ないけど、これが今のわたしの実力だ。

最初から最後までずっと楽しくて、嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいだった。また走りたいな、とゴールした次の瞬間から思っていた。
ゼッケンの色ごとに決まった動線を誘導され、まずマスク配布、それからメダル、それから防寒の銀シート、ポカリスエットと水のペットボトル、大塚薬品のボディメンテ(ゼリー)、汗拭きシート、ランナーズローブ(2020年の走れなかった大会の時から導入。赤ちゃんが風呂上りに着せられるタオルのマントみたいな感じ。ポリエステルなので風呂上りには向かないけど)、最後にみかん。その後、ワールドマラソンメジャーズに登録している選手
(大体外国人)は、6大会のマークの付いたでっかいメダルも貰っていた。
荷物預けは有料になったので、荷物預けなしの人も貰えるものは同じ(2019年は荷物預けなしだとフリースのジャンパーとポンチョが貰えた)。そして、荷物預けなしの人は着替え場所がないので、ランナーズローブかぶって丸の内~大手町をうろうろしていて、なんだか間抜けなのであった...。
ゴール直後に倒れている人がいて、どうやら両足攣ってしまったようだったが、その人は車いすで運ばれていった...。わたしもアクアラインマラソンの時は足攣りで悶絶していたので他人事ではない。
一気に書いたので後で思い出したことなど追記するかもしれないけれど、これがわたしの東京マラソン2023でした。

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