見出し画像

能登半島すずウルトラマラソン(1)

2018年10月21日(日)、第7回能登半島すずウルトラマラソン100kmの部を走ってきた記録です。

能登半島すずウルトラマラソンは、2012年の発足当初からラン友みやもが運営に携わってきた大会だ。6年前からずっと走りに来てよ、と誘われていたが、第1回はまだウルトラを走れる気がしなくて回避、第2回は行こうと思ったら家族に反対され(子どもが大学受験の年の秋だった)、第3回は同じ月に開催されたえちごくびき野ウルトラマラソンに行ってしまいごめんなさい、第4回は11月に富山マラソンと金沢マラソンを連荘で入れてしまっていたのでそれ以上遠征の企画が立てられずごめんなさい、第5回は同月にアクアラインマラソンと大阪マラソンを連荘で入れてしまったのでごめんなさい(日もアクアラインマラソンと同じ日)、第6回こそ行こうと思ったら大学の大同窓会の幹事年で、幹事はしていないが、同級生の幹事たちへの義理立てで行かないわけにはいかずまたごめんなさい、と、5年くらいずっと「行く行く詐欺」を繰り返してきた。

本当に本当に、今年こそ行きますから!、と、申し込み開始時に意気込んでポチ、すぐにみやもからメッセージ貰った。運営の手伝いをしている人たちは大会実行委員長の家に泊めていただけるということで、手伝いでもないのにそこに混ぜていただけることになり、宿の心配もなく、大会後に休暇取ってどこに遊びに行こうかという計画だけ練りながら夏は過ぎていった。5月の萩往還以来、ロング走もせず、大会も入れていなかったのでモチベーションもあるようなないような状態、夏は例年に比べても殊更に暑く、1ヶ月の走行距離がなかなか200kmにも達しない。

大会のスタート・ゴールになっている珠洲市は、能登半島の一番奥にある。かつては国鉄が珠洲まで来ていたが、途中の穴水から先は廃線となり、交通手段は穴水、またはのと里山空港、または金沢からバス。高速道路もないし、かなり遠い(多くの人が金沢からこんなに遠いとは思わなかった、と言うらしい。東京から金沢が2時間半で、その金沢からまた2時間半かかるのだから)。わたし自身もどうやって珠洲まで行くか考えあぐねていたが、大会スタッフが朝、車で金沢から珠洲に行くというのを聞いて、これに便乗させていただくことに。但し、金沢には始発のかがやきで来なくてはいけない。9時金沢出発で昼前に珠洲に着いて受付の手伝いがあるので。

さて、転び癖があるわたし、ここ2年位殆ど転んだり捻挫したりしていなかったのに、ここに来て転倒連発。8月に佐倉までロングランしていて終盤に転び、9月に友達と横浜を走っていて、公園の縁石ですっ転んで両膝打ってタイツに穴をあけ流血。キズパワーパッドをようやくはがした10月14日(ウルトラ1週間前)に、家の近所でまた転倒、全身で倒れ、右膝強打&出血、左の腿の外側にこぶと内出血、左肩に大きな擦り傷、左ひざと手の甲にも出血を伴う傷。どうやって転んだらこんな変な傷のつき方をするのだ? 風呂で服を脱ぐとまるでDVを受けたみたいな体、そして半端なく痛い右膝。腫れてないので骨折の心配はなさそうだが痛みがひかないので、月曜から毎日接骨院に通い、超音波あてたり施術していただいたりしてあとは包帯で強めの圧迫。レースシーズン入ったのにこんなでどうする、と自己管理ができてない自分を責めながら先週は休足。反省の意味もかねて月曜から禁酒したが、火曜日に人と会って少しだけビール飲む。その後は本当に禁酒。

10月20日(土)の朝は4時半起床。そして、起きた瞬間に左のふくらはぎでこむらがえり。たまに早朝にこむらがえりが起きることがあるが、何もレース前日にこむらがえりにならなくても(泣)。激痛をなだめながら起き出し、出かける準備。右膝も相変わらず痛いし、両足痛みをかかえて100kmなんて走れるんだろうか? よろよろと大荷物を抱えて家を出る。2週前のえちごくびき野マラソンが台風のため前日夜になって中止決定し多くの人が涙を飲んでいたのだが、この週末は天気の心配はなさそう。なので装備もそんなに色々考える必要はないのだが、それでもこの荷物の多さはどう?、と大型キャリーケースを引いて歩きながら思う。


6:16東京発のかがやき501号、車中に荷物を入れて、朝食を買おうとホームを歩いていたら職場の上司に遭った。吃驚。新幹線の中では位置ゲーをやりながら、合間にコースマップを研究。今更研究かよ、という気もするが、試走が出来る訳でもなく、でもそんなに迷ったりする要素はないコースということで、ざっと上り下りの地点とか、途中のエイドで出る食べ物とかだけ予習。8:46金沢着、鼓門の下でバニーさん、尾山さんと会って、寺本さんの車を待つ。車は軽自動車で、わたしのキャリーケースが載らないかもという位ぎりぎりの大きさでした、すみません。

金沢の市街地を抜け、しばらく走っていくうちに日本海の外海が見えてくる。新幹線に乗っている間は途中どんよりしてきて、軽井沢~長野では雨が降ったりもしていたのだが、金沢では上がっていて、天気はぐんぐんよくなってきた。海が青い! 空も雲に覆われている部分がだんだん減ってきた。のと里山海道という道はしばらくずっと海沿いを走り、気持ちいい。羽咋まで来てここで右に曲がり、山中に。半島を突っ切り、内側の七尾方面へ。途中、別所岳サービスエリアで能登島など、能登半島内側の海景を愉しむ。引き続き山中を進み、のと里山空港の脇を抜け(サルビアが咲き乱れる沿道が印象的)ひたすら進むとようやく珠洲市に入る。遠い! ようやく海沿いに出たらもう、ウルトラマラソン受付のラポルトすずであった。ラポルトすずは割と大きなホールと、画廊的な施設を兼ね備えたきれいな施設。前日に現地入りしたスタッフさんたちで、受付会場の設営をしてくれていて、わたしたちが到着したら、もう準備は終わっていた...大会も7回目となり、みんな手慣れてきている感じ。なので、到着したわたしたちが最初にしたことはスタッフ弁当を食べることであった。おにぎり3個とおかず色々。

13時から受付開始。他の人は慣れているので、わたしは手薄そうなところでなんとなく立っている役回り。連続参加の選手には粗品を差し上げているので、そこのコーナーで引換証受け取ったり、商品の補充をしたりする。今年の参加者は600人位だが、そのうち3分の1近くは連続参加、連続でなくてもリピーターの人はもっと沢山。こんなに遠いけれど愛されている大会だ。毎年参加賞のTシャツの絵を描いているあこたちゃんも前日から来てお手伝いをしていて、今日は、前年までのシャツやスタッフ用タオルの残りの販売をしながら、買ってくれた人のシャツに似顔絵を描くサービスをしていた。買った人はみんな大喜びで、見ているこちらもテンション上がる。

14時から参加者への説明会。必須ではないけれど面白いよ、と言われ、コースの説明も聞きたかったし、受付会場から離脱してホールへ。「炎のランナー」の流れるDVD映像を見て(そのせいで翌日ゴール前に頭の中に「炎のランナー」が鳴り響いて大変でした)、それから挨拶、コース説明。しかしせっかくのコース説明なのに、ここで早起きのつけが来て結構うとうと。地元ランナーの方とみやもで映像見せながらコース案内していたが、一番印象に残ったのは、ラケット道路と狼煙の灯台への道だけは歩きます、と言っていたこと。これは翌日走るときにラケット道路までは歩くまい、という指針になって、それに後押ししてもらって走り続けるモチベーションになった。

コース説明の後、輪島和太鼓虎之介という子どもたちの和太鼓の演奏。勇壮で技術も高く、大きな掛け声かけながら乱打する太鼓に感銘を受ける。

それにしても、じっと座っていると逆に膝がじわじわ痛い。なんで転んじゃったかなー、と今更ながらに悲しくなる。

説明会場から出て、物販コーナーの輪島のパン屋さんでパンを3個買う。1個は夕方空腹時に食べ、2個は翌朝の朝食に。ランニング用品なども売っていた。スタートが暗いうちで、ゴールもたいがいの人は日が沈んでからになるので、ヘッドランプまたは懐中電灯は必携だが、忘れた人はここで買うことも可能。

車で来た参加者がばらばらと受付していき、あとは、ツアーバスで金沢から来た人たちは一気にどーっと流入したが、何しろ大会規模が大きくないので、混んでるとも言えないほどのどかなものである。隣の部屋がおもてなしコーナーになっていて、過去の大会の動画を流したり、写真の展示販売があったり、飲み物の提供があったり、和やかな雰囲気。夕方の飛行機でのと里山空港に来た人たちがバスで来たのが最後のラッシュで、あとは本当にぽつぽつという感じ。明朝も3時からスタート会場(珠洲市健民体育館、ラポルトすずから2キロ位離れている)で受付があるので、今晩金沢に泊まって早朝に車で来る人など、かなりの数のゼッケンがまだ残っている。

受付すると貰えるのは、ゼッケン、靴につけるチップ(何故か2個、両足につけることになっている)、プログラム、参加賞Tシャツ、スポンサー提供のオーマイスパゲティとカロリーメイト。あとは当日預け荷物用のミズノのビニール袋(自分でマジックでゼッケン番号と名前を記入する)。ゼッケンにも抱負などを書ける欄があり、受付会場には大量のマジックペンが置いてある。

茨城県行方市で来年春600人規模を想定したウルトラマラソン大会を発足させる予定で、今回は視察兼PRに来ていて、受付会場の外で大会のチラシを配ったりしていた。珠洲よりは近いが、行方も東京から微妙に遠いな、と思って話を聞いていたなり。

前日受付は18時終了。17時過ぎから撤収を始め(何しろラポルトすずは全部片づけて、健民体育館に運ばなくてはならない)不要になった机やいすを少しずつたたんだり、掲示物を少しずつはずしたり、ごみをまとめたりする。18:01位に最後の参加者がすみません、と謝りながら入ってきたのにゼッケンや参加賞を手渡し、あとはひたすら運び出し。荷物はトラックが運んでくれるので、とりあえず車で移動し、健民体育館で、先に運ばれていた荷物を開けたり、壁にポスターを貼ったり、荷物預けの掲示をしたり。人が足りているんだか足りていないんだか、ボランティアはどこからどこまでやることになっているんだか、初めて来たわたしには皆目見当がつかない状況だが、他の人たちがやっていることを単純作業中心に手伝う。

20時過ぎに片がつき、宿(今日は実行委員長の家が使えず、普通の宿)へ移動。会場から少し離れていたので、20:30過ぎ到着、まず風呂に入ってきてそれからご飯。昼のスタッフ弁当の残りを貰ってきたのと、コンビニで買ったつまみやおかずで飲むことに。えーと、水曜から禁酒していたが、さっと寝るために少しアルコールとったほうが、ということで弱い酎ハイを1本だけ。なんだか長い一日だった。そして解散したら22時、明日は3時には体育館でスタンバっていなくてはならないので、2:15には宿を出なくてはならない、ということは1時半には起きなくては。ということは、22時半に眠りにつけたとしても3時間睡眠? え、昨日もやや寝不足だったんだけど。大丈夫か俺、と思いつつ翌朝の準備をして22時半消灯。膝は、ふくらはぎは大丈夫か? 不安を抱えておやすみなさい。

(続く)

#ウルトラマラソン #完走記 #能登半島 #マラソン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?