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モーリス・ユトリロ展(2020年3月、日本橋高島屋)

3年前、ちょうどコロナ禍で、あらゆるイベントが中止になり始めていた時期にみた展覧会の記録。デパートもこの後、食料品売り場以外はすべて閉鎖されてしまったことを思えば、展覧会が開催されただけでもありがたかった、と遥か昔のことのように思う。

高島屋から郵便物が来たとき、ユトリロ展と若冲展の招待券が付いていて、あれ、と思って高島屋のサイト見たら、若冲展は開催中止になっていたが、ユトリロ展は開催中だったので、仕事帰りに行ってきた。ユトリロ展も、巡回先の展示は中止だった。日本橋だけでもやってくれてありがとう。学芸員がちゃんとコンセプト考えて企画した、いい展覧会でした。

こんなにまとめてユトリロ見たのは久しぶりだった。わたしが美術館通うようになったきっかけは、1978年、両親に連れられて佐伯雄三展(国立近代美術館)とユトリロ展(伊勢丹美術館)に行ったのがきっかけだったので、ユトリロは、すごく同窓会感覚の強い画家なのだが、大体、名画展で1,2枚見るだけ、ということが多く、こうしていっぱい見ると充実した気持ちになれるね。今回は、モーリス・ユトリロと、彼を食い物にしてきた家族、というコンセプトで、本人も画家として大成している母シュザンヌ・ヴァラドン、ユトリロの年下の友人だったのが母ヴァラドンと結婚してしまったアンドレ・ユッテル、死期を悟ったヴァラドンが、ユトリロのマネージメントをするためにあてがった妻リュシー・ヴァロール、それぞれが画家を名乗っていて、彼らの作品も展示されていた。いや、やはりユトリロが図抜けているのは一目瞭然。十代からアル中になり、不幸の極致みたいに言われていたユトリロだが、実際は彼を食い物にする家族に半ば軟禁され、絵はがきの写真を元に風景画を描き続け、量産された絵画は大絶賛を浴びていた、大流行画家。本人はあてがわれた安ワインを飲んでいれば幸せだった模様。しかし、妻は相当ひどい人だったみたいだ。ヴァラドンが死んだときは立ち直れない位のショックを受けていたようで、搾取されても母は母だったようだ。

ユトリロの作品は建物がクロースアップされている印象だったが、人物が描き込まれている作品も結構あって新鮮。そういうのはナイーフな印象もあり、グランドマァ・モーゼスにすら近い印象だった。個人蔵の作品も多く、初めて見た絵が多かったかも。絵の原題がフランス語表記だったのがいい感じ、最近はフランス絵画の展示会でも、絵のタイトルが英語表記の展示会が多過ぎだと思う。

チラシも興味深かったのでアップしておく。


展覧会の情報 

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