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辻村深月『東京會舘とわたし』(上:旧館、下:新館・毎日新聞出版)

辻村深月は多作な作家で、人気も非常に高い。友達でも、新刊が出るごとに飛びつくように読んでいる人がいた。しかし、わたしにとっては何故かハードルの高い作家で、何冊か読んでも、なんだかピンと来ない。この人はどういう作家なんだろう、ということが捉えられない。面白かった、と思ったのは『ハケンアニメ!』、でも、これはなんだか辻村深月の本流ではない気がする。大学オケが舞台の『盲目的な恋と友情』も、ちょっと実情とずれているような感じがして、違和感。相性が悪いのかしらん、とずっと思ってきた。

なんとなく思い立って、『東京會舘とわたし』を読んでみる。明治から平成にかけての東京會舘でのさまざまなエピソード。実在の人物も出てくるし、架空の人物も出てくる。事実に基づいて、でもストーリー自体はオリジナルの小説。田舎から出てきた作家志望の青年が、東京會舘と帝劇を結ぶ地下通路で、演奏会を終えた直後のクライスラーとすれ違うエピソード、大政翼賛会に接収された東京會舘の一日、戦時中に出来る限りの心づくしで行われた結婚披露宴、GHQ接収時代のバーの従業員たち、東京會舘の土産菓子プティガトーの開発。ここまでが旧館の物語で、最初は東京會舘のホスピタリティーの押しつけとか、NHK「プロフェッショナル」に出てくるような神様のような従業員の物語か、と思って読んでいたのだが、この、プティガトーのエピソードの途中で、読んでいて急に涙が出てきた。持ち帰ったお菓子を食べる家族の顔、みたいなところから、突然、登場人物たちが自由に動き出したのだ。

新館の最初のエピソードが金婚式目前で夫を亡くした女性が、久々に東京に出てきて、思い出の東京會舘はなくなってしまったが、その息吹が新館にも残っていることを確かめる物語、そこでまた泣く。続く越路吹雪と岩谷時子のエピソードでは東京會舘はむしろ脇役的。東日本大震災の夜の物語は、かつて東京會舘のクッキングスクールで共に学んだ友達同士が帰宅困難者となり、東京會舘で不安な夜を明かす物語、ややクッキングスクールマンセー的な部分が鼻につくが、それもまた「プロフェッショナル」的。そして、東京會舘といえば芥川賞・直木賞の受賞者インタビュー→授賞式の会場。直木賞を受賞した作家と両親との相克と和解、これもかゆいところに手が届くような従業員たちのプロ根性がやりすぎ、にも見えるけれど、それもまた小説的。主人公の作家の受賞回は、辻村深月自身が直木賞を受賞した回の設定になっており、本人の体験を小説に昇華した物語ともいえる。最後に、建て直し前の東京會舘で最後に行われた披露宴の花嫁のエピソード。ここで旧館の第3話の花嫁が再登場、と、各回の登場人物が重なり合う物語がまた過去にリンクする。東京會舘のおもてなし力の強さをこれでもかこれでもか、と打ち出してきて、ある意味おなか一杯、本当にこの通りだったら凄すぎだろう、と思ってしまうが、これは東京會舘の名を借りたファンタジー世界の物語なのかもしれない。そして、今年に入って二重橋スクエアの一角に新生本館が誕生。ここでもまた新たな物語が生まれるのか?

泣けたし、辻村深月の物語構築力の高さに感嘆、一方、辻村深月のとらえどころのなさは、今回もまた継続するのであった。読んでいるとお腹がすいてくる、ボナペティ小説でもあります。昔、父が仕事帰りに貰ってきたプティガトーのことなども思い出す。たまに食べると本当に美味しいのだ。

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