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1章-(1) 隣の一家は?

3月3日、みゆきは小学校から家までの20分の道を、走り通した。嬉しくてはずんでしまうのと、連絡もなく欠席した、隣の明美のことが気がかりでならず、静かに歩いてなんかいられない気分だった。

ママが〈ひな祭り〉のごちそうを作ってくれてるはず。教員で忙しいママが、明美たちをお客によんでくれるなんて、何ヶ月ぶりだろう!

夕べ耳が痛いと言いだして、ママは今日高校を欠勤したけど、耳鼻科の診察の結果は大丈夫だったかな。

それも気になるけど、もっと気になるのは、とにかく明美だった。夕べ明美に電話をかけた時、あんなに喜んでたのに、今日、学校を休むなんて、どうして?   ケイタイも切ってるなんて、なんで?

担任の小山幸子先生に、お隣でしょ、明美の無断欠席は初めてだけど、何か聞いてる?と問われても、みゆきには答えられなかった。みゆきの日直当番は昨日だった。今日は明美の当番のはずで、そんな日はいつも先に1人で行く人だから、今日もきっと先に行ったに違いないと思っていた。明美は人を待つのは大嫌いで、待たせるのは平気な人なのだ。

夕べママが、耳の診察さえうまくすめば、そのあと時間ができると思うわ、気晴らしに、お隣の親子3人も招いて(おじさんのは持ち帰りにして)〈ひな祭り〉をしましょ、と言いだしたのだ。みゆきは、ぬいぐるみのゴリラのダブダブといっしょに、はねまわった。みゆきと明美の〈私立中学合格祝い〉も兼ねて、だって!

嬉しくて、すぐに明美に電話して(ケイタイは充電中で待てなくて)、ママと弟の健くんもどうぞ、と伝えた。あの時、明美は大喜びして、ママと健くんに叫んでるのが、みゆきの受話器に聞こえてたのに・・・。

バス通りから、植木屋の広い庭園の側を過ぎると、このあたりではひときわ高く目立つ、土屋明美の家の3階のサンルームが見えてきた。

サンルームのカーテンのないガラス越しに、ピンクや赤の紙で作った大きなバラが、ちらちら透けて見えている。

明美と2人で大はしゃぎであの花を飾ったのは4日前だ。その日、明美の 〈香園女学園中学部〉に補欠合格の知らせが、ずいぶん遅れてやっと届いたのだった。

みゆきも含めて最終的に5人合格したが、明美だけは補欠だった。2週も 遅れて通知が届くまで、5人でどれほどやきもきしたことか。でも明美本人は、補欠合格を恥ずかしがるどころか、ぜんぜん反対、通っちゃえばいいの、補欠でも何でも、だって!

卒業お別れピクニックを、2組のみんなに提案しよう、とその時言い出したのも、いつものように明美だった。次の日、明美はいつものようにクラス中を盛り上がらせて、委員長となり、みゆきも委員に加えられた。その相談を今日するはずだったのに・・・。

長い大谷石の塀がとぎれて、ようやく明美の家の門まで来て、みゆきは足を止めた。あえぎながら、柵の間から車庫を覗くと、あれ、車が2台ともない。出かけてるの?  固いつぼみを無数につけたハナズオウの木が、塀の上から見下ろしている。
みゆきのきらいな花なのに、つい目をひかれてしまう。明美のママが大好きなのだって。

広い庭の左手の池の方から、循環式の水の音だけが、同じリズムで聞こえていた。屋敷の窓は、サンルームをのぞいて3階まですべて2重のカーテンが引かれていて、人の気配はないようだった。

へんだな、みゆきは首をかしげながら、その隣の我が家へ駆けこんだ。  玄関のドアを開けると、家中に甘酸っぱい香りがたちこめていた。ママ特製の  ちらし寿司だ!

台所からは、ママのごきげんな歌声が聞こえる。

「ママ、耳はだいじょぶだった?」
「なんとかね。切られるのは痛かったし、薬もイヤだけど、泣きませんよ」

ママはガーゼを詰めた左耳を見せて、おどけた。みゆきは手を洗いながら、土屋家のふしぎを話した。

「明美はどこかへ行ってるのかな。学校は欠席だし、先生が電話しても、 だれも出ないって。車はないよ」

「誰か具合が悪くて、病院かもね、私みたいに。それとも、何か急用でも できたのよ」 と、母はあまり気にしていない風だった。

「それよりお花の水やり、お願いね」

2月半ばに受験終了いらい、みゆきの手伝いのひとつが、復活していた。 ペットボトルを片手に、広い廊下に並べたシクラメン、オンシジュームや コチョウランの20鉢をこえる花鉢に、水やりを始めた。

自宅でもピアノ教師をしているママには、教え子からの贈り物が多くて、 たまっているのだ。 隣の明美たちを気にしながら、大急ぎで花鉢すべてに 水を注いでまわった。 

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