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2章-(5) ミス・ニコルと編み物

ママは香織の食べ物のスキ嫌いのせいで、栄養不良にならないように、捕食しなさい。お金は気にしないで、果物でもケーキでも・・と、またひと言をつけ加えて、電話を切った。

かえで班では、香織の好き嫌いはもう知れ渡っていた。キウイ、セロリ、 ネギ、納豆、しいたけ、チーズも食べない。直子が助け役だった。

「こんなにおいしい物がたべられないなんて、かわいそう」

渡辺さんがなっとうを引受けて、代わりにフライドポテトをまわしてくれた。

夕方、4時半頃から、香織は学園内を少し早歩きで、散歩することにした。江元先生が勧めて下さったり、若杉先生とワンゲル登山の時のために、30分でも歩いてみよう、と決めたのだ。直子は、ほとんど毎日、同じC組で テニス部の直井さんと、テニスに夢中になっている。

その日、散歩の時に、ミス・ニコルの学長館の側を通ったら、先生はお庭の椅子にすわって、編み物をなさっていた。薄い紫色の細い糸で、セーターか何かを編んでいるようだ。香織が脚を止めると、ミス・ニコルが、にっこり手招きするので、おずおずと入って行った。

「ミス・ササノ、ニッテイングはお好き?」と英語で質問されたので、
「イエス、ミス・ニコル」とすぐ応えたら、
「ザッツグッド、シッダウン、ヒア」
と、近くにあった椅子を引き寄せて、香織はすわることになった。

「何を編んだことがありますか?」これも英語で。
「ショール、マフラー、グラブズ、ソックス、 ベスト(=チョッキ)、 スヱーター・・」
と、香織が思い出しながら、英語で答えるにつれて、先生が目を丸くした。

「おお、そんなにたくさん! ザッツ ヨー スペシャル タレント(特技) 、ほんとにお好きなのね。私は自分の着る物は、縫ったり、編んだり、すべて自分でやっていますよ。ゆっくり少しずつ編み足したり、縫ったりしてね」

ミス・ニコルが一語ずつゆっくり話してくれたので、香織にも聞き取れて、香織も目を丸くしてしまった。洋服まで,ご自分で縫われるのだ!

「ほら、これをごらんなさい。ここにひとつバラの花を編み込もうと思って、やり始めたところなの」

先生のかたわらには、香織が前に作ったような、方眼紙に製図が描いてあって、セータの前身の片側に、ピンクのバラが描きこまれていた。

香織は思わずえがおになった。

「ミー、ツー。私もあじさいの花を、入れたくて、製図を作りました。モチーフですけど」と、香織。これは日本語になった。

「おお、ハイドレインジア! ザッツグッド、あなたもドラフテイング (製図)をしてるとは、本格的ですね。編めたら、見せてくださいね」

香織は思わず肩をすくめた。

「いつできるか・・時間がないです。勉強の方をいっぱいしなくては・・」

そこまで言うつもりはなかったのに、口に出てしまった。先生はうなずいて、こう言った。

「あみものは、一度に編まなくても、製図にそって、2筋でも3筋でも重ねて編んでいけば、いつかは仕上がりますよ。私も学長会議とか教授会とか、地方回りとか、仕事が多いから、編み物も縫い物も、時間をかけてやっています。根気はいりますね」

ミス・ニコルが立ち上がって、「紅茶でも・・」と言いかけたので、香織は急いで
「ノーサンキュー、もう帰らないと、寮の夕食になりますので」とおことわりした。

「どちらの寮ですか。私は2つのどちらにもパーテイに招待されましたよ」
「あじさい寮です」
「それで、あじさいなのですね。あの庭のあじさいは、アメイジングリー・ビューテイフル」

ミス・ニコルと握手してお別れした

「会話の時間にも、今のように、気楽にお話なさいね」
と、先生はそうつけ加えてくれた。

香織はいいアドバイスをもらって、気持ちがほっこりしていた。そうだ、 編み物は諦めずに、2筋でも3筋でもちょっとずつ、編めばいいんだ。それから、会話も緊張しないで、片言でも、日本語とまぜても、言いたいことを言えばいいんだ。先生は香織の製図を作っていることをほめてくれた。これまでにいっぱい編んできたことも驚いてくれた。先生は、香織のスペシャル タレントだと言って、私の特技だと、指摘してくれた。なんて、嬉しい日だろう!

ユキさんも、ミス・ニコルを訪ねてお話したことあるだろな、と香織はまたふっと思い出していた。だって、元気者でだれとでも仲よくなれる人なら、ミス・ニコルはもちろん、門衛さんや地下室のシンさんとでも、友だちだったかもしれない、と思う。

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