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(私のエピソード集・15) どっちが偉いの?

「どうして今年は、1978年なの?」と、次男が小4のある日、ふいに こんな質問をしてきたことがある。

 一瞬、どう答えようかと戸惑ったが、なぜそんな質問をするのか訊いてみると、何万年も昔から、人間はいたはずなのに、どうして今が、たったの 2000年足らずの年号なのか、と不思議がっているのだった。

「それはね、イエス・キリストの誕生した年から数えているからよ。日本には日本の暦や年号があるけど、今は西洋の暦が、世界中で使われているの」

すると息子は、すぐさま次の質問をくりだしてきた。

「生まれた赤ん坊はいっぱいいるでしょ? どうしてその赤ん坊が選ばれたの?」

この説明には骨が折れた。

 いずれ「救い主」が現れると予言する人がいて、イエスが馬小屋で生まれた時に、予言どおりの不思議な印が、星となって空に現れたこと。成長したイエスが、いくつも人助けをし、神の国を説き、隣人を愛せよと説いてまわって、弟子や信者が大勢できたこと。でも、敵視する人もいて、最後は十字架にはりつけにされたこと。

 死後に彼の愛の教えは、大きく広まって、キリスト教として、その頃世界一の大国だった「ローマ帝国」の国教になったこと。それで、暦を作る時、キリストの生まれた年を、「西暦元年」にしたけれど、国教になったのは、400年後だったので、実際に生まれた年とは、少しずれているのだと、うろ覚えの聞きかじりを伝えた。

 すると今度は、さらに難しい質問をしてきた。

「イエスとお釈迦さまは、どっちが上で、どっちがえらいの?」

「そんなのくらべられない、どっちもえらい」と、答えたのだが、息子は納得しない。しつこく何日も、問い詰めてくる。私が答えに困っていると、その頃うちに来ていた、中学生の男の子が、いとも簡単に答えてくれた。

「そりゃ、お釈迦さまだよ。仏教が先にできてたし、この世にあるすべて、動物もひっくるめて、すべてを考えている。だからキリスト教も、その中に含まれるけど、キリスト教は人間だけを考えているから、仏教よりは考え方が狭いんだよ」と。

 その時は感心し納得したが、それがほんとに正しいのか、まだ確かめてはいない。


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