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エッセイ:どっきり体験集(1)~(10) 8.不親切同盟

 大学4年の3月、寮の仲間と4人で、福岡や長崎を巡る卒業旅行をした。若い娘ばかりのせいもあってか、どこでも、皆が親切に対応してくれた。

 大分で私は仲間と別れ、中津駅からバスで、耶馬溪の最奥にある、父の実家を初めて訪ねた。「青の洞門」の近くを過ぎると、そそり立った岩山のふもとに、目指す家があった。父が話すたびに、語尾に「~ちこ」と付けていたが、ここでは誰もがそう話しているのが、なんだかとても嬉しかった。特に、女の人が話すと、愛らしく感じがよくて、感動したほどだった。ここでも実に親切に接待された。

 ところが、その帰り道の東京行きの列車の中で、思わぬ体験をすることになった。

 向かいの席の大学生と話すうち、彼も東京の大学の卒業式へ出た後、4月からは入社するのだとか。同じ私立大学でも、男子校に近い彼の大学との違いに驚きながら、話がはずんだ。

 そのうちに、私は雨のため使った折り畳み傘を、窓下に立てかけておいたのだが、たたんでしまっておこうと思い立ち、傘を取り上げた。

 実を言うと、折り畳み傘をたたむ作業が、その頃の私には、大の苦手だった。いつも、手のどこかに傷を残してしまうのだ。

 案の定、たたみかけてはやり直したり、手をはさんでイタッとつぶやいたり、悪戦苦闘しているのを見かねたらしく、向かいの彼が、貸してごらん、と傘を私の手からもぎ取った。

 そして、初めからていねいに、一枚づつをなで伸ばしつつ、しかめ顔で何やらつぶやいている。耳をすますと、「オレがこんなことをするなんて・・違反だな」 と、聞こえた。ぼやいているのだ。

「女には親切にするな、って会で決めてるのに、やっちまってるよ」と、はっきり聞こえて、 驚いて、思わず口に出して訊いていた。

「そんな会があるんですか。女に親切にしない会?」

 彼は言いにくそうに、半分迷うような表情で、頷いた。「・・・女は充分強くなってるのに、男を手に入れるために、たぶらかそうとして、弱いふりして甘えたり、すねたり、化粧や服で飾ってみたり、いろんな手くだを使うでしょ。オレたち、そんなものに、だまされないようにしようと言い合って、不親切同盟を作ったんだ。だから、こういうことをするのは・・・」 違反だし、恥ずかしいよ、と口の中でつけ加えた。

 ひやあ! そんなことを考えてる大学生の一団がいるんだ、と度肝を抜かれた。でも、なんとなく頷いてしまう面もあるな、ともちらと思った。

 彼の手元では、折り畳み傘は見事にたたまれて、留め紐がかけられ、柄(え)に結んであった袋に収められた。無言で差し出されたものを、私も無言のまま、深く頭を下げて受け取った。

 仲間内のきまりを破ってまで、私のためにやってくれたのだ。反論とか賛同とか、何かひとことでも言いたいのに、その時は、思いがぐるぐる巡りをして、何も言えなかった。

 列車は東京駅に着いてしまい、私たちは無言のまま、笑顔で手を振り合って別れた。

 その会のことは、なぜかいつまでも心に残った。彼らは卒業後、どう女性に対したのだろう。伴侶を得るのに、意思をつらぬいて、不親切を続けたのだろうか。

 名も知らない彼とは、二度と会えないし、そんな会がひとつでもあるとは、聞こえてはこなかったが、まるで宿題をもらったような気分が、残ったままで、日が過ぎた。

 40代後半に『あじさい寮物語』を書いた時、2巻めの『窓べの少女』の中で、不親切同盟の会員である少年から、手紙をもらう主人公の少女が、反論する手紙を送る場面を作って、長い間の宿題にけりをつけた。

 どんな中身の反論手紙だったか、簡単に言うと「雑誌の記事で、女子全体を判断されるのは、迷惑です! 純粋に学問好きの女性もいるし、歴史や古典、未来のエネルギーのことなど、学んでいるし、神について議論したりもしてる。男性の場合も、雑誌や漫画で、暴力やヌードなど美しくないものが、うんざりするほど載ってる。男女どちらも、いろいろな分野で、気高く真剣に生きてる人も多いはず。一部だけ見て決めつけないでほしい」と。これは当時の週刊誌や雑誌の記事を念頭に書いたものなので、最近とはすこし違う気はするが・・。

 最近は、結婚願望が薄くなった、草食男子が増えた、恋人を持つのもおっくうなど、男女関係の変化が、報じられているが、50年あまり前には、こんな会を作っていた男性陣もいたのだと、記しておきたくなった。書きながら、時代って、ほんとに変わっていくものだと痛感しながら、でも心の片隅では、変わらず連綿と続いているものもある気がしている。

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