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3章-(2) 檜原村・御前山へ

車内は行楽客でいっぱいだった。香織は入り口近くの手すりに、やっとつかまった。

香織が帽子をつつかれてふり向くと、

「グッモーニン・・」

ポールだった。香織は驚いて見まわした。結城昌治もポールの後ろにいた。

「探してくれて、光栄、だね」と、香織を見つめて結城君が言った。

探したわけじゃないけど、図星みたいで、もう! 言い返せないのが悔しい!

「この間のレッスン、ひどすぎたから、お山でやり直し、もいいね」

結城君は電車の揺れに合わせて、身体をぐうと香織の方へ近づけて、つぶ やくように言った。他の人に聞こえないよう、気を遣ってるのだ。でも、 グサッと刺される。香織は帽子を深くかぶって、聞こえないふりをした。

ポールとの初勉強がさんざんだったのは、認める。質問への受け答えが、 のろすぎる上に、間違えたり、トンチンカンになったり。日本語の「ぼくはやる」と「ぼくがやる」の、〈は〉と〈が〉の違いを問われて、答えられ なかった。

あの時、結城君が同じへやにいなかったら、そして、忍び笑いなんかしな かったら、もう少し落ち着いて答えられたかもしれないのに。近くで新聞 を読んでるふりをしながら、聞き耳立てているのが気になって、混乱して しまったのだ、と自分で言い訳している。ほんとは知識不足、勉強不足なのは、充分わかってるけど・・。

「オリ!」

中ほどでつり革につかまっていた直子が、人混みをかきわけて、香織の側 まで辿り着いてきた。

「来てるね」                            直子は身をかがめて、香織の帽子の中へささやいた。結城君が来てると気づいたのだ。

「チャンス! 紹介、たのむね」
「あとでね!」

直子は期待でワクワクしている。寮のへやを出る間際に、もう一度コイン様を投げ上げて、ダークブルーのズボンに履き替えたせいで、ぐんと締まって見える。今朝、三つ編みのリボンに挿した矢車草は,人混みにもまれて落ちてしまったらしい。

「ポールとオリ、あたしと結城君、カラーペアーになるよ。ペア登山できたらな!」と、気楽な直子。

まさか直子、紹介したとして、彼女の第一声が、その提案する気じゃないよね。確かにポールと香織は黄色系、結城君と直子は紫とラベンダーのトレーナーが、おそろいのようだった。でも、結城君がデカのデブは苦手、と言ったことを直子には言えないし、香織はなりゆきにまかせるしかない・・。

西国分寺駅でかなり車内はすいてきた。

「笹野、そこへ座れ」

若杉先生が、子供の下りた後の細い隙間を指さした。直子に押されて座ると、先生の側にいた宮城千奈がとげのある目で、香織を見下ろしていた。 大型のカメラを胸に提げている。新聞部らしい構えだった。

今日は先生には近づかないでいよう。香織は先生の足元を何気なく見ながら、そう思っていた。先生の靴下は、ブルーに白線の毛糸の靴下が、思ってた通り、古びて色あせ、フェルト化している。

実は1週間前に、先生の誕生日に何かお礼がしたいと思いついて、ワンゲル部なら靴下だと、こっそり編み始めていた。〈あじさい〉の方は後まわしにして・・。その日は、先生に「予習がよく続いているな」と2度目の褒め言葉をもらって、気が大きくなってもいた。

最初は大きすぎてやり直し、次は小さくなりすぎてほどき直し、やっとちょうど良さそうな具合になりかかっていた。まだ右脚の足首の長い長いゴム編みを半分ほどまで進んだところだ。靴下は何度も編んだことはあるのに、先生用に、と思うと、力みすぎて、迷いすぎて、やり直したくなるのだ。

夕べもファッションショーの後、ワクワク気分で、編み物に手をつけ、床についたのは12時近かった。壁のカレンダーの方は、この7日間、△や×の日もあり、○は小さいのが4個だけだった。

「オリ、終点だよ」

直子に揺り起こされて、香織は目を覚ました。五日市駅だ。途中、立川駅で乗り換えしたのも夢うつつだった。

登山の目的地は、御前山、標高1542mのハイキングコースだ。清和のワン ゲル部員15名と、星城の部員13名と、バレー部員から特別参加のポール君と結城君と、両校の引率教員6名の計36名が、五日市駅から、檜原村小岩行きのバスに乗り込んだ。

直子は香織が眠っている間に、ポールに話しかけたらしい。バスの中で、 背の高い2人はつり革につかまって、盛んに話し合っている。直子は英語は流暢ではないが、ポールの話をじっと聞き、声上げて笑ったり、問い返したり、うなずいたり、楽しそうだ。ポールも香織に対するときのまじめな困った表情とは、大違いだった。

香織は帽子のひさしを深くした。直子がうらやましい。実力以上の力を発揮させるのは、直子の明るさと人懐こさなのだ。まねできたらいいのだけど。

・・いじけるヤツはサイテイだ。

若杉先生の声が聞こえる。わかってます、先生。香織は目をしばたたいた。

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