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言葉

めっちゃ急なんですけど、口癖ってその時の自分の姿を表していると思いませんか。

私が大学一年生の頃の口癖は「なんかな・なんかさ」でした。
話し始める度に「なんかなー、〇〇がな、〇〇しとってん」とか「なんかさ、この部屋良い匂いせん?」とか。
当時を振り返ると、とにかく誰かと話したいという気持ちが先行していて、無の静けさを嫌っていました。(大学一年生の頃は友達がいました)

小学校低学年の頃の口癖は、「多分」でした。
「多分鍵持ったと思う」とか「多分、先生に怒られる」とか。
幼い頃の私は、誰かに怒られる事が怖くて、保険をかけたがっていたんだと思います。
純粋に自分の事を信用する事が出来なかったのかもなとも思います。

そんな今の私の口癖は「しょうがない」です。
「先生からご立腹のメールが送られて来た。しょうがない。謝ろう。」「今日大学行けなかった。しょうがない。」
この口癖にはどんな意味が込められているのだろう。
なんとなく、ポジティブな意味ではない気がする。
全てを諦めてしまっているような、少し寂しい気持ちになる。

口癖とは少し違うかもしれないけれど、誰かと別れる時、皆さんは何て言いますか?
「さようなら」「じゃあね」「またね」「バイバイ」…。
色々あるけど、私は無意識に「じゃあね」をよく使っている事に最近気づきました。

でも、私の大切な人はいつも「またね」と言ってくれます。
何かで見たんですが、「じゃあね」と「またね」って、同じ別れの時に使う言葉だけど、意味が少し違うらしいんです。
「じゃあね」は、単純に別れる時に使う言葉。
「またね」は次も会う事を約束する言葉。

それを知った時、「またね」って言葉って素敵だなと思った。
それと同時に、「またね」という言葉に対して「じゃあね」と返していた私は大切な人を少し寂しい気持ちにさせていたのではないかと思った。

言葉ってすごくすごく重たいものだと思う。
だから、たった一言で一喜一憂する。
たった一言で、人生を左右する決断をする事もある。
今までそんな事考えず生きて来たから、無意識に言葉の選択を間違えて誰かを傷つけてしまった事もあると思う。

幼い頃、よく両親に「頭で考えてから口にしなさい」と言われていたけれど、この年齢になって身を持って実感する。
私の両親は、本当に大事な事をずっと教えてくれていたのだなと思った。
当たり前だけど、忘れていた。

きっとこういう「大事なのに忘れている事」が他にもあると思う。
色んな経験をして、自分磨きをして、そういう事を思い出させてくれる素敵な人に出会いたい。
そして、その素敵な人に優しい言葉をかけたい。

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