最悪で最高の4年間
けっこう前になっちゃったけど、大学を卒業した。
半年くらい前まではあの私が卒業出来るなんて思ってもみなかった。
授業もまともに出られないし、頭も良くないし、単位ギリギリだし…。
だから、憧れていた袴もなかなか予約出来ずにいた。
「卒業出来なかったらどうしよう」という不安がここ2年くらいずっと胸の中に重くのしかかっていた。
卒業出来る事が分かってから、お世話になった人達に報告して回った。
誰一人、私に「卒業出来るん?」と聞いて来た人はいなかった。
皆、心の中で「どうやったんやろなぁ。卒業出来るんかな」と思いながら、私が言いに来るまで待ってくれていた。
はじめに報告したのは、タイミング的に私の事をずっと診てくれている主治医の先生だった。
「私、卒業出来ました」と報告するとすごく低く、でも優しい声で
「良かったなぁ。これで、もう息がしやすい大学になるな」と言ってくれた。
主治医と初めて会ったのは、私が閉鎖病棟に入院が決まり、Pゾーンという隔離された部屋にいる時だった。
精神を病んでいた私を医療的に助けてくれた、命の恩人である。
次に報告したのは、大学の事務でお世話になった職員さん。
その方は、今はもう違う部署になってしまって私の状況があまり伝わっていなかった。
職員さんにも「卒業出来るんです」と報告したら、「本当に良かった。卒業式、袴見せに来て!」とあの笑顔で言ってくれた。
なかなか普通に授業が受けられなくなった時、この職員さんが色んな教授に連絡してくれたから単位が取れて、今の私がいる。
そして、一番に報告したかったのはやっぱり指導教官である。
指導教官は私が報告する前から既に知っていたようだが、私が報告しに行くまで待ってくれていた。
「卒業出来るって!」とぴょんぴょん跳ねながら報告した。
「ほんっまに良かったなぁ!院でも頑張ろな!!!よー頑張ったな」とハイタッチを交わした。
卒業出来たのも、今生きているのも間違いなく指導教官のおかげ。
何回も私の命を救ってくれてありがとう。
他にも色んな先生方や家族など、私と関わって来た人達が「おめでとう」と言ってくれた。
こうして考えると、私は本当に人に恵まれている。
人に恵まれている。
何度も「生きてやるもんか。死んでやる」と思って、薬を大量に飲んだり、屋上の塀の向こうに立ったりして来た。
いじめられて本当に沢山のものを失った。
いじめられてできた傷はきっと一生消える事は無い。
肉体的な傷も心理的な傷も。
なんか、表現が難しいんだけど、「いじめられたから得られたものもあるな」って最近思う。
いや、だからと言って「いじめられて良かった」とは決して思わないし思えない。
ただ、私がいじめられていない世界線では、人の傷みが分からない薄っぺらい人間になっていた気もする。
これは本当にレアケースで、私みたいな人はなかなかいないと思う。
私は確かにいじめられてどん底まで堕ちたけど、周囲の人に恵まれて支えられ、今の位置にまで戻って来たなと思う。
私は将来、教師になろうとしている。
いじめなんて絶対に悪で、いじめられて良い人なんてこの世にいない。
けど、正直、いじめは無くならないと思う。
悲しいし、そんな学校を何とかしたいとはもちろん思う。
心の痛みを知っている私だから、未来の生徒達に出来る事があると思う。
きっと、いじめられてない世界線の私といじめられた世界線の私では、子供達に出来る事が変わってくると思っている。
いじめられた事がある私だから、出来る事があるし紡げる言葉があるはず。
だから私は、今の世界線で良かったのだ。
卒業式が終わり、帰り際、私は指導教官に「ありがとう」と言った。
「命を救ってくれてありがとう。貴方のおかげで、今私は生きています。生きていて良かったと思います」と伝える事が出来た。
そしたら先生は、「俺もあなたを助けて良かった。実は何度も考えていた。死にたがっている子を生かして良いのかと。あなたが今『生きていて良かった』と思ってくれている事によって、俺が生まれた意味が一つ出来たよ」とこんな私に言ってくれた。
私には勿体無いくらいの言葉。
私と指導教官はただの大学の学生・先生という関係ではないと思う。
これからあと2年、この指導教官の下で、この環境で吸収出来るだけ沢山の知識や経験を積んでいきたい。
そして、あわよくば友達が欲しい。
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