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死ななかったあなたへ


どうもよなかくんです。毎年八月の最終週に「死ななかったあなたへ」というタイトルで文章を書いています。


過去の自分への手紙を、少し違った言葉で、少し違った立場から。

さてさて、「よなかくんと月曜の理屈」
第一二二回は「死ななかったあなたへ」

死ななかったあなたへ

自分の部屋の窓を見ては「ここから飛び降りたら死ねるんだろうか」といつもぼんやり考えていた小学生のあなたにお手紙を書きます。

正直君に言えることが、今の僕にはないのです。「今は辛いかもしれないけど、だんだん良くなってくるよ」なんてことはないし、その行き場のないぼんやりとした辛さは今もあまり変わっていない気がします。ごめんね。

「いじめ」という明確な敵がいれば、立ち向かうべき巨悪があれば、少しは楽だったかもしれない。でも実際いじめられていたわけでもなく、「ただ友達がいない」という事実に「まあ彼らにも友達を選ぶ権利はあるし」という早熟な諦観と宙ぶらりんな孤独を扱いきれるほど大人でもなかった。誰も悪くないのにぼんやりとした辛さがあって、具体的な悲鳴を上げることも助けを求めることも出来なかった。この場合の助けとは何だったのか今でも分からない。

今も結局、その時と変わっていないのだと最近思います。
就職しました。ちょっと、しんどいです。それは仕事内容とか仕事量に問題があるわけじゃなく、周りの人に恵まれて業務上はなんの負荷もかかっていないのに、日々の細やかな出来事とかいろんなことになんだか悲しくなってしまって、どうすればいいか分からない。外の世界は危険がいっぱい。誰かが悪いんじゃなくて、ただ自分がダメなだけで。

誰も悪くないのは分かっているのにぼんやりと辛くて、誰かを手っ取り早く恨むことも「仕方ないよね」と笑って流せるほど大人になることもできていない。呆れるほどに成長も変化もなくて、何も解決していなくて申し訳ない。

それでも一つだけ過去の自分に誇れることがあるとすれば、今は死ぬのがちゃんと怖いです。飛び降りるとか絶対無理。


死ななかったあなたへ。

何かが分かったわけじゃない。何かが変わったわけじゃない。何も解決しないまま、ただ死にたい中で騙し騙し生き延びて、だらだらと生き続けてくれたおかげで僕は24歳になりました。生きててよかったなんて簡単には言えないけれど、生きてることは嫌いじゃないです。死なないでいてくれて、諦めないでいてくれて、ありがとう。

嫌な言葉が耳に入るたび、今日自分に向けられた微笑みが本当でありますようにと祈っています。

大丈夫。僕はもう少しだけ、諦めたくないと思っている。

君はどんな感じですか。