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そして生活はつづく

どうも山ぱんだくんです。母親が某アイドルを見ながら「あなたもこうなるはずだったのに…」と私に言うのですが、どこからその自信が来るのだろうと問いたい。

さてさて、山ぱんだくんと月曜の理屈
第三十八回は「そして生活はつづく」
生活はつづくよ、どこまでも!!

第三十八回 そして生活はつづく

諸君、大晦日である。2018年もラストの投稿、今年の締めくくりにふさわしいちょっといいことを書き散らしてやろうじゃないかと意気揚々と原稿に向かったはいいが結局何も書けずに日曜の夜である。年末の締めくくりにふさわしいいい感じのことは書けなさそうだ。

この「今年の締めくくり」という変に張り切った感じがよろしくないんだな。
僕のようにFacebookなどで今年の振り返りとかしちゃう性質の人間は大抵、年末になると「今年の振り返り」なるものをして来年の目標だとか、ありたい自分の姿を夢想する。新しい年になったら新しい人間になれるような気がしてしまうのだから困ったものだ。

明日から始まる日々は確かに新しい年ではあるが、結局のところ今日までの日々の続きに過ぎない。明日は今日の次の日で、昨日は今日の前の日だ。今日できなかったことは明日も出来ないし昨日出来ても今日出来るとは限らない。後者は特に意味はない。まあ、何が言いたいかというとだ、大したこと出来なくて当たり前よって話。

生まれ変わることも大変身も出来ない代わりに僕たちはなんと「今日の続き」をすることが許されている。これまで積み重ねてきた日々の上に同じようなものをまた積み重ねることができる。もしかしたらその積み重ねるものが少しずつ色を変えていくかもしれない。そのぐらいの、変化だ。

明日になっても、何も変わらないだろう。朝起きて顔を洗って朝食をとり1日を始める。時がくればやるべきことをやり、好きなものを探して集めて書く。大切な友人を大切にし、たまに美味しい酒と料理に舌鼓を打つ。

そうして、生活を続けていくのだ。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。きまぐれに始めたこの連鎖が38回まで来たのも、単に読んでくれる人がいたからだと思うのです。来年も飽きるまで書き続けますので、よろしくおねがいいたします(‘ω’)

#エッセイ #年末