死ななかったあなたへ
どうも山ぱんだくんです。学会発表まで20日を切ったって話はひとまずいいじゃないですか置いておきましょう。
さてさて山ぱんだくんと月曜の理屈
第七十一回は「死ななかったあなたへ」
第七十一回 死ななかったあなたへ
去年も同じタイトルで8月31日の夜に向けて文章を書いたんですけど
今年も同じタイトルで同じようなことを書きます。きっとこれからも、毎年この時期に同じようなことを書いていくのだと思います。同じタイトルで、少し違った言葉で。
死ななかったあなたへ
小学校四年生か五年生のころ、あなたは部屋の窓を見ながら「ここから飛び降りたら死ねるんだろうか」とよくぼんやり考えていました。残念ながら二階のあの高さから飛び降りても死ぬ可能性は低いです。骨折どころか無傷かも。あなたは賢いのでそのあたりよく分かっていただろうけど。
いささかクレバーすぎたあなたには友達がいなくて、それはいじめと呼べるほど激しいものでもなくて、ただ「まあ向こうにも友達を選ぶ権利はある」という早熟な諦観と宙ぶらりんな孤独を扱いきれるほど大人でもなかった。不謹慎かもしれないけれど、いっそいじめてくれたらもっと楽だったのになあ、と思う。
誰も悪くない世界でカテゴライズ出来ない辛さに具体的な悲鳴を上げることも出来なかったし、戦うこともできなかった。だって彼らは友達として僕を選ばなかった、僕も選ばなかった、それだけのことで。ただぼんやりと辛くて、誰に助けを求めたらいいのか、この場合の助けとはそもそも何なのかすら分からなかった。
結局、あなたは死にませんでした。死ななかったのは劇的な救いがあったわけでも、何かが解決したわけでもなく、どうにかこうにか騙し騙し、ダラダラと生き続けただけのことです。申し訳ない。ただ、そのおかげで僕は23歳になりました。
中学生になったらこの生き辛さはなくなる、大人になったらきっと大丈夫になるって思ってたでしょ。ごめんね。今もまだ、状況は変わっていないです。
相変わらず普通のことが上手に出来なくて、
人との関わり方が分からなくて、
心は強くならないまま守りたいものが増えて、
大切なものをどうやったら大切に出来るのかも知らないし、
誰かと深くつながりたくて近づいては些細なことに傷ついて諦めてしまうことの方がずっと多い。
最近は夜中に「いつか死ぬ!」と叫びながら飛び起きるんだけど、一体何が辛いのか、何をそんなに追い詰められているのか相変わらず分からないままです。もしかしたら今の方がずっと辛いことが多いかも。申し訳ない。
それでも僕は生きるのが結構好きだなあと最近思います。何を見て思ったのか、何かを聞いて思ったのか、それは思い出せないんだけど、何かの拍子にふと思ったわけです。
ああ、僕は結構生きるのが好きだなあ。
具体的な辛さがないように、具体的な理由もないんだけど。
生きづらさなんてみんな抱えているものなんだろうと思います。あのクラスの子たちがどうだったのかは知らないけれど、少なくとも僕の周りの人たちは、多分そう。
みんな苦しいんだから文句言うなって話じゃなくてさ、隣にいる誰かもきっと必死に戦ってるんだから、もう少し優しくなれたらいいなって最近は思うんだよ。自分の人生もままならないけど、ままならないからこそ、人に優しくなりたいよ。
僕の人生はえてしてこんな感じです。
君は、どんな感じですか。