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【短編小説】病死

 僕は今日もストレスの溜まる仕事をしている。この仕事は約二十年続けてきた。事務系。

 以前も胃腸の調子が悪く、検査をするために胃カメラを飲んだ。検査中、カメラが胃の壁に触れるたび、えづき、が起きる。このえづき、というのは「オエッ」となる現象。

 僕の担当医は胃カメラの操作が下手なのか頻繁にえづきに襲われた。結果はピロリ菌がいることが判明した。これは、抗生物質を飲んで菌を殺しましょう、と医師は言った。

 僕は言われた通り七日間飲み続けた。最初の二、三日はお腹が下った。でも、それ以降は大丈夫だった。きっとピロリ菌もいなくなったのだろう。胃の調子がよくなった。ピロリ菌がいると、胃ガンになりやすいらしい。それは怖い……。治療して正解。治療代や検査代云々など言ってられない。健康第一だから。

「元気があれば何でもできる!」
 と、怒鳴り散らすプロレスラーがいる。確かにそうかもしれないが、僕はそんな意欲的ではない。そういう気力が欲しい。性欲だってあまりある方ではない。三十九歳ならまだ子どもだって作れる年齢の男なはずなのに。心身ともに軟弱な僕こと田畑大治たばただいじは母親も体が弱い。何度か胃ガンになり、手術している。現在母親は七十歳。父親は六十九歳で亡くなっている。五年前に大腸ガンで。

 僕には妹がいる。妹も体が弱く、身体に障がいがある。右足が生まれつきないのだ。だから、障がい者就労支援事業でパソコンで名刺などを作る仕事をしている。田畑家はなぜ、こんなに体が弱い人間ばかりなんだ。しかたないけれど。

 前回、胃腸科の病院にかかってから約一カ月が経過する。毎月検査して、薬を処方してもらっている。今回はお腹を下して診てもらった。念のため内視鏡検査をすることになった。この検査は嫌なんだよなぁ……。お尻の穴から内視鏡を入れて検査する。若い女性看護師がそばにいたら恥ずかしいし。

 検査の結果、大腸にポリープができていることがわかった。それでも僕は喫煙と飲酒はやめなかった。どうせ短い命だ、好きなことをして人生を全うしよう! と思ったのだ。太く短い人生を送る、そう考えている。

 中年間近になった年齢。それでなくても病気になりやすいのに、追い打ちをかけるかのように四十歳を迎える。

 徐々に命のともしびが短くなっているような気がする。親より先に死んだら親不孝、と聞いたことがある。確かにそうかもしれない。でも、こればかりは寿命だから仕方ないと思う。

 きっと僕の家計はガン家系だと思う。父親も母親もガンになったし。聞いた話によると祖父は膀胱ガンで祖母は肺ガンで亡くなったらしい。僕は何のガンで死ぬのだろう。

 僕は正直、死にたくない。これは当たり前の思いだと思う。けれど、いずれ生き物
は死を迎えることになる。なぜ、死ぬのか? 永遠の命というものはないのか? でも、体が弱く短命かもしれない自分を受け止めなければいけない。

 僕は痩せていて、でも身長は百七十センチある。まるで骸骨のようだと自分でも思う。若ハゲだろう、前髪が生えてこなくなってきた。出身地は東京。でも、僕の父親の転勤で北海道にやって来た。その時、僕は十七歳だった。東京にいたかった。北海道には正直来たくなかった。田舎だから。まあ、運よく札幌の中央区に引っ越したから東京ほどではないが都会だ。僕は友達は少なく、異性の友人がいない。男性の友達が一人いるくらい。だから、彼女はいない。今日は日曜日で家にいるから、楽な恰好でいる。紫のジャージ上下を着ている。趣味は読書で好きなジャンルは、SF小説とホラー小説。自覚している長所は、人の痛みがわかるということ。短所は気が小さく落ち込みやすい、というところ。うつ病ではないにしろ、たまに死にたくなる。これはいったいなんなんだ。たまにそういう自分が嫌になる。

 いまの目標は一人暮らしをすること。仕事はしているが、それができるほど給料はもらっていない。でも、母親はなんとか自分のことは自分でできるが、妹は右足がないからどうしても移動するときなど介助が必要になる。そういう二人を残して自分だけいい思いをするのはどうなのだろう。

 それから定期の病院受診の検査で見つかったことがある。それは大腸ガン。来る時が来たか、と思った。母親や妹にも話さなければ。きっと、ショックを受けるだろうな。でも、それも現実だ。逃れられない。だから、打ち明けるしかない。

 いまは夜八時過ぎ。家族三人でいるときに僕は言った。
「二人に話さなければならないことがある」
「どうしたの、急に」
 母が言う。
「お兄ちゃん、顔色悪いよ」
 妹も言う。
「……実は僕、大腸ガンなんだ」
「ええ!?」
 母は驚いている様子。
「お兄ちゃん、冗談きついんだからぁ」
 妹はこちらを見ないで言った。
「冗談じゃないんだ……」
 妹は顔が引きつっている。母親は、
「ステージいくつ?」
「いまのところ、ステージ3だよ」
 母も妹も顔面蒼白している。
「いつから入院?」
「来週の月曜日から。手続き頼むよ、二人は保証人になってほしい」
 母も妹もただ頷いていた。

                 *

 私は大治の母の田畑修子たばたしゅうこ、七十歳。田畑家は体が弱いようで、しかも、ガン家系だと思う。私の楽しみと言ったら、刺繍ししゅうくらいか。娘の妙美たえみは生まれつき右足がなく、申し訳なく思っている。もちろん、そうなるように産んだわけではないのだが。そんなことは本人に言わなくてもわかっていると思うけれど。

 私の見た目は、病気のせいかなかなか太ることも出来ず、ガリガリに痩せている。身長は百五十センチくらい。

 出身地は大阪府。そこに住んでいたときは、方言が強かったけれど、北海道に来てから徐々にそれは減った。

 私は入院していた頃に知り合って友達になった六十代の女性がいる。あまりあったりはしないけれど、たまに電話はする。趣味も似ていて、彼女は服を作ることが好き。今度、私の服を作ってもらおうと話をしてある。

 異性との関係はほとんどなく、退職する前から一緒に働いていた男友達はいる。現在の職業は無職。

 自覚している長所は、気が長いこと。あまりイライラしない。短所は人を信じすぎること。それで、騙されたことが数回ある。

 できれば、大治と妙美の孫を見てみたい。きっと、可愛いと思う。

 思っていることがある。それは、大治と妙美と私の三人で旅行に行こうということ。でも、大治は入院することになってしまった。しかも、大腸ガン。代わってやりたい。退院して体力ついたら行こうと思う。いつになることやら。

 大治が身の回りの整理整頓をしている。いつもならだらしなく散らかしてあるのに。私の祖父は亡くなる前になって物置きの中を整理して入院して亡くなった。もしかして大治もそのパターン?

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