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【ショートショート】義父の意外性

#短編小説 #一次創作 #義父 #意外性 #病気

 僕は死にたいと常日頃から思っている。理由は生きていてもつまらないから。いじめには合うし、電車のなかで、痴漢と間違わられて警察署に行くハメになるし。もちろん、僕は痴漢などはしていない、していたのは別の男だということになったが。

 でも、生きることより死ぬことを選ぶほうが大変かもしれないと思う。例えば、首吊りをしても後始末が大変でまわりの人に迷惑をかけ、少なからず悲しむ人もいるだろう。いや、悲しむ人は母さんくらいかもしれない。僕は母さんの連れ子で義父からは好かれていない。

 母さんは義父に、
「優しくしてあげてよ」
 と言ってくれるがなかなかそうもいかない。
 僕の名前は大瀬勝おおせまさる、28歳。この「勝」という名前は自分にも周りにも勝つんだ! という意味で付けたらしいがダメダメだ。体型は背が低く、太っている。チビデブというやつ。この年にしては、髪の毛が薄い。いかにも幸薄そうな僕。実際、友人にもそう言われたし。あのときはショックだったなぁ。

 幸が薄そうって自分で言うのも悲しいのに、周りから言われるのはもっと悲しい。逆にイライラしてしまう。

 僕はうつ病を去年患って、自殺未遂をした。薬を大量に飲んで死のうとしたけれど、死ねなかった。母さんが言うには、
「それなら、あんたは生きる運命にあるのよ。いいことじゃない」
 でも、本当は死にたかった。死んで、なにもかも白紙にしたかった。でも、そうはいかなかった。

 義父の名前は、大瀬大樹おおせたいきといい、56歳。職業は無職。病気があるらしく、なんの病気かは聞いていない。うちは生活保護をもらっている。だから、車も持てないので買い物などが大変。買い物に行くときは3人で行く。だから、冬が大変。寒いから。だから、暴風雪のときは買い物に行けないし、たまにタクシーで行くときもある。そういうときは、保護費をもらってある程度お金があるときに限る。

 母さんの名前は、大瀬光子おおせみつこといい、58歳。母さんは実母で義父と再婚したのは3年前。母は、リウマチを患っていて、体中が痛いらしい。可哀想に。

 僕はうつ病だから、意欲が湧かず、働くこともできない。僕が思っていることは、義父はどうなってもいいが、母さんにだけは長生きして欲しい。兄妹もいないし、母さんが亡くなると天涯孤独だ。それは避けたい。悲しすぎる。

 僕は未だに義父に「おとうさん」と呼んだことがない。正直、呼びたくない。

 母さんには弟がいたが、肺がんで亡くなった。原因はきっと煙草の吸い過ぎだろう。敬介おじさんは、1日に3箱吸っていたらしい。それは肺がんになるわ、と誰もが言っていた。

 最近、僕は調子が悪い。希死念慮もある。でも実行には移さない。病気のせいだということはわかっているから。でも、病気のせいばかりではないと思う。この若さでこんな病気になってしまって、将来を悲観している。本来なら30歳も目前にしているから、結婚して子どもの1人や2人くらいいてもおかしくはない。個人差はあるにせよ。でも、実際、僕は彼女はいてもいいと思うけれど、結婚願望や子どもが欲しいとはあまり思っていない。僕には責任が重すぎる。なにが足りないかって、経済力がない。生活していくにはお金が必要だ。言わずもがななことだけれど。いまは障害年金しか収入がない。いくら奥さんになってくれる人が働いても足りないだろう。まずは、病気を改善させないと、なにもできないし、なにも始まらない。

「あのー、すみません」
 僕が義父を呼ぶときはこう呼んでいる。すごく他人行儀な言い方だからきっといい気分ではないだろう。お互い様だ。義父は僕を好んでないし、僕も義父を好んでいない。でも、こんな気分のわるい状態で生活するのはいつまで続くのだろう。生活保護をもらって僕が一人暮らしするしかないのか。でも、自分のことさえろくに出来ない状態の今はそれをするのは無謀ではないだろうか。掃除、洗濯、炊事の全てが今は出来ない。というか、どうでもいいと思っている。食欲もないし、風呂にだってはいるのが面倒な状態。汗をかいても、自然と乾けばそれで良いと思っている。汚いと思うが、とにかくなにをするにも億劫でしかたがない。
「なんだ?」
 眉間にしわをよせ、こちらを見た。あきらかに不機嫌なようす。
「そんなに怖い顔で見なくてもいいんじゃないスか」
「お前の他人行儀な呼び方がムカつくんだ!」
「お前って言わないでください」
「何でだ! 俺は義理とはいえ、お前の父親だぞ!」
 僕は、何度言っても分かってもらえないなぁ、と思い呆れている。
「もういいです……」
「何だよ! 話したいことがあるなら言えよ!」
「そんな荒々しい言葉遣いでは、言う気もなくなります」
 義父は黙った。
「チッ! しょうがないやつだ。なんだい? お話を聞かせておくれ。こんな感じでいいのか?」
「だから、もういいですと言ってるじゃないですか」
「ケッ! 好きにしろ」

 本当は義父でも家族3人で仲良く生活したい。あいつが、義父の態度が悪いから上手くいかないのだと思う。母さんのことは大好き。病気に対しても理解があるし。それに、とにかく優しい。母さんは義父のどこがよくて再婚したのだろう。もっと良い人いると思うけれど。義父は、母さんや僕の病気を理解していないと思う。だから、自分に甘く人に厳しい。はっきり言って性格が悪い。

 僕のことを義父に知って欲しくて、1度はもういい、と諦めかけたが、やっぱり言うことにした。聞いて欲しい事があります。
「お! 話す気になったか。なんだ? 女の話か?」
 義父はニヤニヤ笑っている。ちゃんと聞いてもらえるか不安だ。
「僕ね、最近『死にたい』ということばかり思うんです。病気のせいだと思いますか?」
「そうだな、病気のせいもあると思うが、気持ちの持ちようもあるんじゃないのか?」
 気持ちの持ちよう、昭和の人間が多く使う言葉だ。それと同時に義父は母さんを家政婦のように扱っている。母さんはそれに対して不満はないのか?今度、母さんに訊いてみよう。義父の母さんへの扱い方は、可哀想に思える。ご飯を作れ、掃除をしろ、洗濯をしろ、など自分ですればいいのにと思うことが度々ある。

「それと、俺に敬語で話すのはやめろ」
「何でですか?」
「水臭いからだ。血の繋がりはなくても、親子だからな」
 この人がそんな人間味のあることを言うとは思わなかった。冷たい人だと
ばかり思っていたから。でも、病気にもっと理解を持って欲しいと思う。母さんのリウマチと、僕のうつ病に対して。僕は思っていることがある。それを義父に伝えてみよう。
「おじさん、僕の病気のことだけど、怠けているって思ってる?」
「そんなことはないぞ。病気があるから、やる気も出ないんだろ? ていうか、俺のことを、おじさん、て呼ぶのは止めろ」
 義父が突然、理解があることを言い出したから驚いた。
「そうだよ、分かってるんだね。じゃあ、何て呼んだらいい?」
「それくらい分かってるさ。俺の妹も鬱病だからな。義父とうさんでいいだろ」
 それは初耳。義父さん。呼びたくないと思っていたけれど意外に良い人だということが分かったから、勇気を出して義父さんと呼んでみるかな。

「と、義父さん」
 つい、どもってしまった。初めて呼ぶからだろう。義父さんは笑っている。
「笑うな!」
 だって面白いだろ。そう突っ込みたかったが、やめた。
 義父、いや、義父さんの意外性には驚いたな。もっと、冷たくて理解のない人かと思っていたから。『義父さん』と呼ぶようになるまで時間はかかるだろう。

 母さんに訊きたい事があるので、義父さんがいない時に訊いてみよう。用事で出掛けている時に。

 今日の夕食は、夏だというのに、鍋だ。キムチ鍋。母さんが作る料理は、季節は関係ない。暑くても、体にいいものを食べる、というのが母さんの考え方だ。今の時刻は、午後3時過ぎ。今、家の居間には僕と母しかいない。訊きたいことを訊けるチャンスだ。
「母さん」
「ん?」
「母さんは義父さんにあれやれ、これやれ、と家政婦みたいな扱いをしてるけど、不満はないの?」
 母さんは驚いたような顔をして僕を見ている。
「あんた、なかなか見てるじゃない! そうねえ、体調不良じゃなければ不満はないよ。体調不良の時に言われると、手伝って欲しいと思うよ。でも、あの人はそう言っても何もしてくれないのは分かってるから諦めてる。いろいろしてあげるのは頼られてるみたいで気分は悪くないしね」
 へえ、そうなんだと思い、感心した。
「でも、悪気があって言ってるわけじゃないから、あの人に言われると、ついやってあげたくなる。そういうもんよ。夫婦ってのは」

 夫婦ってのは、か。深いな。僕はまだ若いからいずれ家庭を持ちたいと思うようになってきた。僕と妻と子どもが2人くらいいて、幸せな家族生活を送ってみたい。家族の為に働いて、家族と共に過ごす。良い感じだなぁ。そういうのを夢見て、病気はあるけれど病気とも上手く付き合いながら生きていくのも悪くないだろう。

                             (終)



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