【短編小説】彼女の失恋と僕の未来
僕は心の病を患っている。病名は、『統合失調症』。今朝、僕は凄く寂しかった。なぜ? わからない。考えられるのは、秋だから? 去年までは、寂しいという感情は湧かなかった。
発病したのは21歳の秋。精神科に母と一緒にかかった。すると、医者が言うには、『幻聴だね』と言っていた。病名は、『統合失調症』と言っていた。希死念慮もある。
とりあえず3日分の薬をもらった。朝、昼、夕、寝る前のそれ。睡眠薬をもらったが、飲んだばかりか寝られない。困った。今度、医者に相談してみよう。
僕の名前は、│沢野武《さわのたけし》という。22歳。大学を卒業する間際に調子を崩して我慢出来なくて退学した。父は、「もう少しで卒業なんだから頑張って卒業しろ」
と言っていたが僕は、
「我慢出来ないくらい具合わるい。だから、大学を辞める」
と言い切った。それからと言うものの、父との間柄は悪くなった。
因みに母は、肺がんで亡くなった。煙草を吸っていたし、母方の両親も煙草を吸っており、ガン家系なのかもしれない。遺伝したのかも。因みに母は1日に3箱喫煙していた。父や僕が「減らせ!」と言っても言うことをきかず、最期はこのありさま。
診断を受けてから約1年が経つ。医者は言った。
「『デイケア』に通ってみない?」
「デイ……ケア、ですか? それはどんなところですか?」
「大まかに言うと、メンバーさんや、スタッフと交流をはかって、いろんなプログラムに参加して、薬以外での療法だよ。病院までの送迎もあるし」
僕は、医者の話に興味をもった。
「行ってみたいです」
「そう、いつから行けそうかな?」
僕は考えた。
「父にも話したいので決まったら報告でもいいですか?」
「うん、それでもいいよ」
父はあまり僕の病気に理解が乏しい。1年経った今でも怠けだ、と言うときがある。でも、デイケアに行くには勝手に行くわけにはいかない。父にも相談しないと。
父の職業は、トラックの運転手。だからなのか、気性が荒い。前に父の会社の仲間がこの家に3人もやってきた。その時、母はまだ健在だった。なのでお客さんが来るというので料理の腕を振るった。刺身に天ぷら、焼肉と豪勢なものばかり。僕はまだ小学5年生だった。両親と父の同僚3人の計5人でどんちゃん騒ぎ。母もその時はビールを呑んでいた。次の日、僕は学校なのでいつものように午後8時には寝たかった。でも、騒いでいるのでそれが耳障りでなかなか寝付けなかった。
最近では、そんなどんちゃん騒ぎをすることも殆どなくなった。一緒に働いていた同僚も今では別な会社に勤めているらしい。でも、僕の父は今でも同じ会社に勤務している。勤続年数が長いからきっと上司からの信頼も厚いだろう。そういうところは尊敬している。
夜になり、父は帰宅した。まずはシャワーを浴び、晩酌のおかずをつくるためにキッチンに向かった。
「肉食うか?」
「……いや、調子悪いからいらない」
「なかなかよくならないなぁ。今の病院でいいのか? 病院変える気はないのか?」
「うーん……。病院は変えないよ。今日、医者にデイケアに行かない? と松本先生にいわれたのさ」
「デイケア? なんだそりゃ」
「僕も最初どういうところかわからなくて先生に訊いたんだ。そしたら、メンバーさんや、スタッフと交流をはかって、いろんなプログラムに参加して、薬以外での療法らしいよ。病院までの送迎もあるらしい」
「そうなのか。でも、金かかるんだろ?」
「多分ね」
父は黙っていた。何かを考えているようにも見える。そして、話し出した。
「支払う額次第だな」
今度は僕が黙った。
やっぱりお金の話しかと思った。父は何かにつけて金、金、金、という。そういうところが嫌だ。いやらしいというか。
「病院に訊いてみるよ」
「ああ、そうしてくれ」
翌日、僕は病院に電話をした。そして、デイケアに通うと1日いくらか訊いてみた。すると、「昼食を摂ると、700円」と言っていた。職員の方から言ってきたのは、昼食を摂らなければ、350円と言っていた。高いな、と感じた。
夜6時30分頃、父は帰宅した。僕はすぐさま父に話しかけた。
「父さん、病院に電話したよ。デイケア代の話しね」
「おう、そうか。いくらかかるんだ?」
「お昼ご飯を食べると700円で、食べなかったら350円らしいよ」
「高いな。そういえば障害年金貰えるんじゃないのか? 初診から1年
経つだろ?」
「そういえばそうだね。病院に訊けばいいのかな?」
「そうだな。明日、訊いてみろ」
「うん、わかった」
「今夜は肉焼いて食うぞ」
僕は何も食べたくない。でも、父が焼いてくれるみたいだから、頑張って食べる。
「たまにはビールでも呑んで気分転換しろ」
「アルコールは薬と合わないから呑んだら駄目みたい」
「ちっ! 今夜だけ薬飲まなければいいだろ」
「そういうわけにはいかないよ。薬抜いたらまずいよ」
「お前はすっかり薬漬けだな」
嫌なこと言うなぁ、と思った。言ってはいないけれど。
次の日。障害年金の話しをするためかかりつけの病院に電話をかけた。すると、職員は、
「その話しなら込み入った話になるので病院に来て下さい」
と言っていた。
「今、行ってもいいですか?」
訊いてみると、
「職員の予定を訊いて空いている時間に来て欲しいので訊いてから折り返し電話しますね。なので少しお待ち下さい」
「わかりました」
電話をかけたのが午前九時頃。折り返し電話がかかってきたのが午後二時過ぎ。対応が遅すぎる。電話の内容は、
『明日、午前中に来れますか?』
というもの。僕は、
「午前中なら何時でもいいですか?」
と訊いた。すると職員は、
「担当の者は午前中なら空いているということなので午前中なら何時でもいいですよ。ただ、早めに来てくれた方がゆっくりできますよ」
「わかりました。では、明日行きますね」
「はい。因みに担当の職員は山口といいますので、受付に来て呼び出して下さい」
そう言って電話を切った。父が帰って来たら言わないと。僕一人で大丈夫かな、少し不安。父と一緒がいいな。なので明日、父は仕事だけれど休みをもらって一緒に行ってもらおう。父に電話をかけた。何度か電話をかけて繫がった。
『もしもし、武。どうした?』
きっと父はハンズフリーで電話をしているだろう。
「病院から折り返し電話がきて、明日の午前中に病院に来て欲しいと言われたのさ。障害年金の話しは難しそうで僕一人じゃ不安だから明日一緒に行ってくれない?」
少しの間、父は黙っていた。
『そうか。わかった。明日、有給使って行くよ。少し遅いがな』
話は終わり、電話を切った。
何だか調子が悪くなってきた。幻聴も聞こえるし。幻聴の内容はネガティブな内容で、
シンデシマエ
ドコカヘイケ
ナンデイキテル
というもの。毎回聞こえる内容は違う。聞こえるたびに嫌な気分になる。そういえば明日受診日だ、忘れてた。十三時に予約している。忙しいな。今日、松本先生に幻聴が治まらなく、寝つきが悪いことを伝えよう。
夜七時前に父は帰宅した。開口一番、
「いやー、有給の届けを出すのが遅くて上司に文句言われたわ」
「ごめん、電話するの遅かったね」
「でも、病院から電話が来た後に俺にすぐ電話したんだろ? ならしかたないさ」
父はこういう話しには理解があり、優しい部分もある。
「僕は明日午前中は話し合いで、午後一時から受診だわ。忙しい一日になりそう」
翌日になり、僕は七時にアラームをかけていたので、その時間に目覚めた。テレビで以前、起きる時間は毎日同じ方がいいと言っていたので父に相談した結果、七時に起きることにした。なぜ、七時に起きることになったかというと、父は七時三十分までに出社しなければならない。だから、行く前に僕と話をしてからにしたいというのだ。気が強く、負けん気も強い父でも僕のことは大事に思っているように感じる。
以前、僕が中学生の頃、苛められていたところを父がたまたま見付けてくれ、校庭にトラックを停め、そいつらを一掃してくれた。僕は怪我をしていたので校内に入り、担任の先生と話をしてくれた。校庭で苛めを受けているのになぜ、気付かないんだ! 知らない振りをしているのか? と先生に怒鳴った。先生は、そんなことは決してないです、と言い謝っていた。謝るくらいなら気付いてくれ! と更に父は追い打ちをかけた。先生は平謝りをしていた。怪我の治療をしてくれ、保健室の先生いるんだろ? と父は詰め寄った。先生は、わかりました、保健室も先生に連絡しておきますので保健室に向かってください、武、保健室まで自分でいけそうか? と先生に訊かれたので、はい、と返事をした。俺も行くわ、帰り送るから、と父は言ってくれた。治療を終え、父は家まで送ってくれた。父はまだ仕事があるようで行ってしまった。寂しい……。僕には学校に友達がいないのでいつも休憩時間は読書をしている。父にはこのことを言っていない。言ったら友達を作って喋ろ、と言われるに違いない。でも、僕としては読書をしているのは楽しい。だから、言わないでいる。読書は、文豪や最近発売されたものまで様々なジャンルを読んでいる。それは、最近までの話しだが。
最近、死にたい、という気持ちがまた出て来た。去年と同様に。秋だからなのか? 主治医に話してみよう。
僕は上下紺色のジャージ姿で、面倒なので髪だけ洗った。父は黒い長袖のTシャツを着て、ジーンズを履いている。僕は面倒なので病院には行きたくない。でも、行かないと薬もないし、病気もよくならない。
僕なんかこの世に必要ないだろう
と思った。でも、父には言えない。こんなことを言うと怒られると思うから。父の口癖は、自分を大事にしろ、だ。確かにそうかもしれないが、僕はたまに自傷行為をする。リストカットやオーバードーズ。自分のことがどうでもよく思えた時、やってしまう。もちろん、父には内緒。自傷行為をしたことがある、というのは知っているが。
こういう気持ちになるのは季節の変わり目も影響しているのだろうか? 秋だから死にたくなる、という。同じ病院の精神科にかかっていて、同じ病名の患者さんにも訊いてみようかな。
病院で知り合ったあずさ、という二十三歳の女性がいる。この前、LINEを交換してくれた。統合失調症は幅が広い病気で難しい病気でもあるらしい。感情鈍麻という症状というのかなんというのか、主治医が言うには、症状として捉えるかどうかが問題、とも言っていた。要は気持ちが平板化する。喜怒哀楽の波が平たくなる。だから、あまり喜ばないし、怒らないし、悲しまないし、楽しくない。僕はこういう感じ。人と思えない。まるで、ロボットのようだと自分では思う。
あずささんにLINEを送ろう。
<こんにちは。久しぶり。訊きたいことがあるんだけど、あずささんは、季節の変わり目で死にたくなることある? 例えば秋とかに>
何をしているのかわからないが、なかなかLINEがこない。一時間くらい待ったがまだ、こない。でも、苛々はしない。更に一時間待ってようやくLINEがきた。
<あたしはそういうことあるよ。今も消えたいし。武くんもそういうことあるの?>
僕はすぐにLINEを返した。
<うん、あるよ。季節の変わり目に調子が悪くなるのは僕だけなのか? と思って、あずささんにも訊いてみた>
<そうなんだ。他の人もあると思うよ>
<そうかぁ、わかった、ありがとう>
少ししてLINEがきた。あずささんから。開いてみると、一文だけ書いて有った。
<いっしょにしぬ?>
僕は、え! と思った。僕も死にたい、けど死んだらどうなるのか? 家族が悲しむかもしれない。あずささんも去年、統合失調症と診断されたらしい。僕と同じく安定しないみたいだ。死ねるものならそうしたい。でも……でも、ほんとに死んだら、と考えるとちょっと怖い。あずささんは怖くないのだろうか。訊いてみた。
<あずささんは、ほんとに死んだらと考えると怖くないの?>
<……こわくない、と思う。むしろ今一番望んでる>
マジか……。
<ごめん、僕は怖い……。だから、死ねない>
<あっそ、意気地なし。あたしだって死ねないよ。お母さんのこと考えたら死ねない。きっと悲しむだろうから。でもお義父さんは悲しまないと思う。何でだと思う?>
え!? 何でだろう。必死になって考えたけど、思いつかない。なので、
<わかんない>
と答えた。
<わかんないかぁ、じゃあ、答えをいうね。あたしのお義父さんは、義理の父親なの。お母さんが再婚したからね>
<そうなんだ>
この話しはあまり深く突っ込まない方がいいかと思い、そうなんだ、としか言わなかった。
あずささんは、お母さんのことを大切に思ってるんだ。僕は父のことはあまり大事に思っていない。父は自由人だから、僕も自由に生きている。勝手な人だけど、僕のことを大切に思っているように感じる。一人息子だから尚更だろう。
朝七時に目覚めた。今日は父と一緒に病院に障害年金の話しをしに行く予定。父は既に起きていて、朝ご飯を作っていた。卵焼きにウィンナーを炒めたもの。それと、インスタントの味噌汁をお湯で溶かしてお椀に入れてある。
「武、食べちゃえよ。病院に行くぞ」
僕は食欲がなかった。なので、
「食べたくない……ごめん……」
「何だ、せっかく作ったんだぞ。調子悪いのか?」
図星だ、さすが父。見抜かれている。希死念慮も沸々と湧いてきている。これは主治医の松本先生に相談しないと。父には、うー……ん、言うべきだろうか……。また、季節の変わり目だからだ! と一蹴されるだけだろうか。でも、思い余って言ってしまった。
「死にたいよ、僕……」
父は黙った。
「それは、先生に相談しような。少しでもいいから食え」
僕はコクンと頷き、その場に胡坐をかいた。そして、一口食べた。黙っていると、
「残してもいいからな。食べなかったらエネルギーもつかない」
二口食べて僕はテーブルの上に箸を置いた。
「着替えてくる」
そう言ってから立ち上がり二階の僕の部屋に行った。父の視線が刺さった。ごめんね、お父さん。
今の季節は秋。だいぶ涼しくなった。それと共に調子は下降の一途を辿った。上下黒のジャージを着て、その上に黒いジャンパーを羽織った。歯も磨いていないし、顔も洗っていない。お風呂も一週間くらい入っていない。そのことも父に指摘された。「髪を洗って歯を磨け」面倒だ。別にそれをしなくても死なないし。そう伝えると、くだらん理屈を言うな! と怒られた。
僕はビビった。仕方がないので父の言う通りにした。洗髪していないからと言って禿げてきてはいない。でも、虫歯は増えてきている。奥歯が痛い。でも、歯医者は行きたくない。そんなことを考えていると、父に、
「用意はできたか?」
と訊かれた。それに対して僕は、
「うん、行けるよ」
時刻は八時三十分頃。
「よし、行くぞ」
と父は言った。因みに父は太っているので青いシャツを着たが、ピチピチになっている。それと、ブルージーンズをはいた。うちの車は普通車でもちろん父が運転する。病院には十分くらいで着いた。ああ……辛い……。早く診てもらいたい。番号札をボタンを押して取った。三番目。九時に予約してあるので、あと五分。それから二、三分後に職員が出て来てシャッターを上げた。いつものことだけれど。僕は財布の中から診察券を取り出して番号札と一緒に受付の職員に提出した。おはようございます、と挨拶をしながら。父
と一緒に診察室の前の長椅子に座った。怠い……死にたい……。でも、病院に来ているということは治したいということだろう。心の底ではきっとそう思っているのかもしれない。
僕の番がきて名前を呼ばれた。看護師がドアを開けてくれたので父と一緒に診察室の中に入った。看護師は椅子を一つ追加して、父が座った。僕はいつも座っている椅子に座った。僕は松本先生に懸命に言った。
「先生、僕死んでしまいたくて……気分も沈んでるし。どうしたらいいですか?」
松本先生はこう言った。
「入院しますか?」
父が話に割って入ってきた。
「入院してよくなるなら、入院させて下さい!」
と言った。
「武くんはそれでもいいかな?」
僕は何度も頷いた。
松本医師は看護師に何か話している。
看護師は僕に話しかけた。
「武くん、入院なんで四病棟に行きましょう」
僕は立ち上がりゆっくりと歩き出した。松本医師は、
「お父さんは今お話できますか?」
「できるよ」
「看護師と入院の際の書類についてお話してもらえますか?」
「わかった」
それ以降、僕は病棟に上がったので、先生と父のやり取りは聞いていない。
入院してから約二週間。希死念慮は消えた。それだけでも楽。そして今日は、松本先生の回診の日。幻聴はたまに聞こえるが。僕は看護師に訊いた。
「もう退院できそうかなぁ」
「症状は消えたの?」
「入院したばかりの頃と比べたらよくなった。死にたい気持ちも消えた。幻聴はたまに聞こえるけど」
「松本先生に話してごらん?」
「うん、そのつもり」
回診は十四時から。今の時刻は十三時過ぎ。
「退院したくなった?」
「うん、家の方がいい」
「そりゃ、そうよねえ。でも、仲良しになった患者さんもできてよかったじゃない」
「まあ、そうだね」
四病棟で知り合った女性がいる。瑠偉さん、二十五歳。彼女の病名は強迫性障害というらしい。初めて聞く名前だ。気になったのでネットでどんな病気か調べてみた。内容は、[自分の意志に反してある考えが頭に浮かんで離れず(強迫観念)、その強迫観念で生まれた不安を振り払おうと何度も同じ行動を繰り返してしまうこと(強迫行為)で、日常生活に影響が出てしまう状態をいいます。」難しい。
でも、だいぶ症状も落ち着いてきたらしい。LINEも交換した。今度遊ぶ約束もした。ある程度調子が回復してから、彼女にLINEをした。入院したと伝えると驚いて見舞いに来てくれた。相変わらず優しい人だ。お土産に僕が甘いものが好きだということを知っているので、スイーツを持ってきてくれた。でも、嬉しいとは思わなかった。これも、感情鈍麻の部類に入るのだろう。僕は感情鈍麻は病気の症状だと思っている。松本先生が言うには、「読書をするといい」と言っていた。でも、僕はあまり読書は好きじゃない。だから、していない。昔とは違う。それと共に、女性に恋愛感情を抱いたことがない。人として好きになったことはあるけれど。だから、あずささんにも、瑠偉さんにも恋愛感情はない。二人ともいい人だということは感じるけど。
時刻は十四時くらい。松本先生の回診の時間。僕は一番奥の角の四人部屋。もちろん男性ばかり。でも、老人ばかりで話すことは殆どない。まるで屍のような患者ばかりで寝てばかりいる。一体、どんな病気なのだろう。
僕がいる部屋には十四時三十分頃回診に来てくれた。そこで僕は退院したい、という話しをした。症状が治まってきている話もした。そしたらまずは「外出から始めましょう」と言っていた。近くにコンビニもあるし、三十分くらい歩けばスーパーマーケットもある。まずは、そこから始めて、それで調子が崩れないようなら、次は外泊をして様子をみる、という話しをされた。だからまだ、退院はできそうにもない。父は面会には来ない、多分、仕事が忙しいのだろう。一応、今日の回診で先生に言われた話を父にも電話で伝えた。父は、『そうなのか。なかなか面会に行けてないな。患者同士で友達になった人はいるのか?』そこで、瑠偉さんの話をした。すると、『よかったじゃないか』と言ってくれた。『まあ、あせらずしっかり治してこい』そう言ってくれた。
更に二週間が経過した。その間に父が一回と、あずささんは三回くらい面会に来てくれた。瑠偉さんとは、毎日のように喋っていた。話をして感じたことは、とても頭のいい女性だということがわかった。この病院に入院する前は、高校の国語教師をしていたようだ。だからたまに難しい言葉を使うのはそういうことかと思った。でも、退院したら教師はもうしない、と言っていた。彼女の愚痴を聞いているとかなり激務な仕事のように感じられた。無駄話をしているので注意しても言うことのきかない生徒など、ストレスが溜まる仕事だと思った。当分は実家で暮らしながら短時間の仕事をして暮らす、と言っていた。
この二週間の間に、外出もしたし、実家に外泊もした。そして今日。回診の日がきた。次こそは退院出来そう、僕の憶測だけど。今回も十四時三十分頃に松本先生はやって来た。いつものように四人の内の一番最初に僕のところに来てくれた。松本先生はこう言った。『外出も外泊も順調にできた?』
というので、「はい、できました」と珍しく笑みを浮かべながら僕は喋った。『表情や顔色もいいね』僕を見ながらそう言った。
『よし、退院しましょう!』と先生は大き目の声で笑顔でそう言った。この時僕は初めて、嬉しい、という気持ちを感じた。いい気分。「ありがとうございます!」と僕はお礼を言った。『お父さんは今日迎えに来れそう?』
「訊いてみます」
『そう、じゃあ、都合のいい時間に退院してね』
「わかりました」
そう言って先生は次の患者のところに行った。
僕は早速、父に電話をかけた。七回ほど呼び出し音を鳴らした。ようやく繋がって、
『もしもし、武。どうした?』
父は明るい声だ。僕が言おうとしていることを察しているのかな。
「今日、先生に退院していいよって言われたよ。今日何時頃来れそう?」
『そうだな、定時で上がらせてもらうよ。五時だ』
「わかった。用意して待ってるね!」
僕は笑みを浮かべた。我ながら珍しいと思った。
ナースステーションに行って父が五時以降に来ることを伝えた。「夕ご飯食べて行くかい?」と訊かれたが断った。たまに、父の手作り料理を食べたい。友人の瑠偉さんの部屋に行った。彼女は読書をしていた。
「あの、瑠偉さん」
声をかけると、
「あら、武くん。部屋にくるなんて珍しいじゃない」
「うん、話したいことがあって」
「あ、じゃあデイルームに行こう?」
そう言って僕らは移動した。
そこは大きな硝子に覆われていて、太陽の光が燦々と降り注いでいる。暖かくて気分がいい。そこにはテーブル二脚と椅子が四脚ずつ置かれている。瑠偉さんとはいつもここでお喋りをしている。今は誰もいない。そこの椅子に向かい合って座り僕は話し出した。
「実は僕、退院するんだ」
「あ! そうなの? おめでとう! いいなー。わたしも早く退院したいなー。たまには面会に来てね!」
「わかった。父親の仕事が終わってから来るから、五時半ころ帰るよ」
「そうなんだー! なんか、わたし自分のことのように嬉しいよ」
「ありがとう! 瑠偉さんも早く退院できるといいね」
「そうだね。まあ、焦っちゃいけないらしいけど」
「うん、僕は本を見て知った。焦っちゃいけないって」
「そうなんだ。松本先生だよね? 主治医。言われなかった?」
「言われてないよ」
「そうなんだ」
瑠偉さんは何やら落ち着かない様子で僕を見ているので、
「どうしたの?」
と訊くと、
「わたしの方が三つ年上だけど、どう思ってる?」
「え、どうって頭のいい人だな、と思ってるよ」
「それだけ?」
「うん、え? 何で?」
「なんか、ほら、あるじゃない。恋愛感情とか」
なるほど、僕はようやく理解した。
「恋愛感情は今まで抱いたことないのさ。病気のせいか、何でかわからないけど」
そう言うと彼女は苦笑いを浮かべていた。
「そっか。残念……」
瑠偉さんは落胆した様子。
「もしかして瑠偉さん……」
僕は彼女を見詰めると、コクンと頷いた。
「やっぱりそうかぁ。僕がこんな気持ちじゃ瑠偉さんに失礼だよ」
瑠偉さんは話を続けた。
「交際している内に、恋愛感情湧いてこないかな?」
そう言われ僕は困った。
「うーん、それはわからない。何とも言えない。だから、仮に付き合っていても恋愛感情湧かなかったらそれこそやばいよ。失礼どころじゃ済まされない。傷つけてしまう」
瑠偉さんは黙っていた。そして……。
「まあ、ねえ。確かに武くんの言う通りね」
「うん、だから友達でいるならいいけどね」
そう言うと、彼女は笑い出した。
「それこそわたしが辛いよ。好きな人が傍にいて、付き合えないの知って傍にいるなんて」
「ごめん……そうだね」
「謝らないでよ。余計に辛くなる……」
僕は黙り込むしかなかった。でも、彼女は、
「大丈夫よ! わたしなら大丈夫だから。そんな深刻な顔しないで。今まで通りでいてよ」
「わかった。今まで通りね」
瑠偉さんは黙ったまま笑顔で頷いた。
「じゃあ、僕、退院の準備してくる」
「わかった、またね」
そう言って僕は部屋に戻った。
看護師がちょうどやって来て、
「職員の山口さんがお話したいことがあるっていうんだけど、お父さんと一緒の方がいいのかな?」
「そうですね、障害年金の話しですか?」
「多分、そうだと思うよ」
「今日じゃないとだめですか? 五時半頃、父が迎えに来るんですよ」
「そうなんだね、じゃあ、山口さんに言っておくよ。武くんもいつなら都合がいいかお父さんに訊いておいてもらえる?」
「わかりました」
父が病院に迎えに来てくれ、ナースステーションに行き松本先生と看護師さん達に頭を下げてお礼を言った。先程の看護師が来て、父に話しかけた。
「武くんの障害年金と、これからのことについてお話がしたいので、都合のいい日取りが決まったら病院の方に教えていただけますか? 山口が対応しますので」
「わかった。だいぶ時間かかるの?」
父が訊くと、
「そうですね、はっきりとした時間はわかりませんが」
「じゃあ、明後日も午前中がいいな。明日は急だから会社に迷惑をかけるから」
「わかりました。伝えておきます」
父は再度頭を下げて、
「ありがとうございます、では」
と言い、僕も、
「ありがとうございました」
お礼を言った。
翌日の午後二時頃、病院から僕のスマホに電話がかかってきた。
「もしもし」
『あ、武くん? 山口です。退院おめでとう』
「ありがとうございます」
『話し合いの日程聞いたよ。明日の午前九時半はどうかなって。お父さんに伝えといてもらえる?」
「わかりました」
「では、明日ね」
僕は父に電話をかけた。運転中だとは思うけど。大事な話しだから。何度目かの呼び出し音で父に繋がった。
『もしもし、武?』
「うん、今、山口さんから電話がきて明日の九時半はどうかって言ってた」
『ああ、多分、大丈夫だ。』
「わかった、山口さんに伝えとくね」
僕は再度病院に電話して山口さんに繋いでもらい、明日の九時半でいいという旨を伝えた。
翌日。僕は自分でアラームをかけて、八時半に起きた。父は何時に起きたかわからないが、すでに朝ご飯の用意をしていた。外泊の時は食べられた。なので退院して一日目も食べられた。卵焼きとベーコンを焼いたもの。ご飯も普通盛りで一膳、おかずと共に完食した。美味しかった。父に、
「美味しかったよ」
と伝えると、
「そうか? これが普通だぞ。病院食は薄味だろ?」
「まあ、そうだね」
と言った。
入浴は昨夜済ませたので、寝ぐせを直して、パジャマから私服に着替えた。時刻は九時過ぎ。「そろそろ行くか」と父は言った。
病院の受付で父が職員に、
「沢野ですが、山口さんはいる?」
「はい、少しお待ち下さい」
事務の職員は電話をかけている。かけ終わってから、
「今、来ますのでそちらの椅子に座ってお待ち下さい」
そう言った。
十分くらい待ってスーツ姿の男性がやって来た。この人が山口さんかな。首から下げるネームプレートに山口浩二と書かれている。父も気付き、山口さんの顔を見て、
「山口さんですね? 沢野だけど」
「あ、武くんのお父さんですね? こちらへどうぞ」
ドアに医療相談室と書かれている。山口さんは鍵を開けドアを開けた。入り口付近にテーブルと椅子があり、「どうぞ、お座りになって下さい」と僕と父を促した。山口さんは数枚の書類とペンを二本持ってきた。僕らは座り山口さんが話し出した。
「こちらは障害年金の書類です。それともう一つお話したいことなんですが武くんの今後の生活についてです。書類を書く前に、先にお話の方を提案してよろしいですか?」
「うん、いいよ」
父は相変わらず敬語じゃない。誰に対してもため口。
山口さんはコピー用紙を一枚持って来て、話し始めた。
「この話しはあくまで提案ですので、別に考えていることがありましたら、そちらを優先して下さい。まず、退院して社会復帰しました。その次ですが医師からも提案があったと思うのですが、デイケアに通いませんか? そして、暫く通って、B型の就労支援事業所で働きます。ここから先は暫く働いてもらい、それから障がい者雇用枠の職場に着く、というのが僕の提案です。もし、今、話した感じでいくのでしたらお力添えをいたします。今すぐにどうするか、答えを下さいというわけではありません。よくお考えになってからお返事を下さい。お話はここまでです。あとは障害年金の書類の記入ですね。一緒に書いていきましょう」
こうして僕と父は将来について家で考えることになった。いい方に進めばいいのだが。今のところ山口さんの提案がいいような気がすると、父と話している。これから一歩ずつ進んでいく。
了