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吊り橋遺構のバス待合所

去年の秋に奈良、三重、和歌山を巡った際、吊り橋の主塔跡と一体化したバス待合所に出会いました。バス停は村営バス路線のものでした。あまりにも独特な姿だったので、どのような経緯で設置されたのかを調べました。

思わず見入ってしまう姿

この吊り橋は住吉橋という名前で、1929(昭和4)年に架けられました。 ここ一帯は昔から林業が盛んな地域なのですが、自動車のない時代、山から切り出した材木は川に流して運んでいました。人の往来に船が使われていた時期もあったようです。ところが戦後、車が通れる幅広の道路が山の奥にまで開通すると、材木は陸路で運ばれるようになりました。1961(昭和36)年、2輪車までしか通れなかった吊り橋のすぐ隣にトラス橋が架けられました。吊り橋は撤去されましたが、主塔はそのまま放置され、およそ20年の歳月が流れます。

1961(昭和36)年に架けられたトラス橋

1980年代初頭に小学校の統廃合に伴って、この場所にスクールバスのバス停が設置されることになりました。 既に路線バスのバス停と待合所(現在は撤去されている)が設置されていましたが、当時はバスを利用する人が多く、朝は待合所に人があふれていたといいます。
そこで、スクールバスを利用していた児童の親の一人Aさんが、児童の安全のためにもうひとつ待合所を設置することを思いつきました。早速役場から許可を取り付けます。

手前のブロック土台は撤去された待合所の跡

では、どこに待合所を建てようかと考えたとき、Aさんは以前から心配事の一つだった吊り橋の主塔跡を利用することを思いつきました。スクールバスが通る以前から、主塔は児童の格好の遊び場になっていました。しかし、吊り橋は撤去されていましたので、主塔の向こうは何もありません。誤って転落する事故がそれまでに2件起きていました。主塔を待合所で塞いでしまえば、そうしたことは二度と起こらないと考えたのです。こうして、Aさんは早速自費で手元にあった廃材を使って、主塔に待合所を建てました。

「屋根の傾斜や主塔との一体感が見事ですね」と私がいうと、「私は大工なものですから。自分で図面を引いたのですよ」と嬉しそうに教えてくれました。

Aさんの二人のお子さんは、今や40代と50代になり、村内で働いているそうです。

真横からの眺め
採光のためにポリカーボネートの波板が貼られている

1944(昭和19)年生まれのAさんは、川を堰き止め、一斉に材木を流す川流しの光景をうっすらと覚えているとおっしゃいました。今回お話を伺う中で、対岸の神社やお寺へお参りに行く際に吊り橋を渡ったことも思い出してくださいました。
橋が架け変わった1961年当時、Aさんは17歳です。「若くて一番感じやすい年頃でしたから、時代が変わっていくという実感がありました」と懐かしそうに話してくれました。

私も対岸に渡ってみました。すると、針葉樹の木々に隠れるように吊り橋の対の主塔が残されていました。

対岸の主塔。どうやら「住吉橋」と書かれているようだ
塔のデザインがおしゃれ。苔のむす様がまるでラピュタのようだ。

撮影した2021年時点で主塔は築92年。放置されている人工物としては良好な状態なのではないでしょうか。こんなに凝った意匠の橋を他で見たことはありません。村役場に、この吊り橋の資料が残っているか問い合わせましたが、不明ということでした。

現在、村は少子高齢化が進み、人口を1980年時と比較すると約3割に、14歳以下の子どもの数は10分の1になりました。民間のバス路線は廃止され、代わってこの村と隣り町が平日に7本、土曜に4本の公営バスを走らせています。村役場によれば、2020年のこの停留所の年間利用者数は乗車9人、降車0人だそうです。
Aさんが地域の子どもたちのために建てた待合所は、40年を経ても今なお、数少ない利用者のために働いています。(了)

2022.03.23

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