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「敗戦の後」 - 中日新聞コラム「目耳録」の転載。または、超個人的なセラピー的文章。

昨日行われた天皇杯 JFA 第104回 全日本サッカー選手権大会 2回戦「名古屋グランパス vs JAPANサッカーカレッジ」の結果を受けて、5年前の同大会 2回戦「名古屋グランパス vs 鹿屋体育大学」の敗戦を思い出された方も多いのではないでしょうか。

昨日の試合を錦にあるダーツバー「FUKUROU」で観戦していた私も、試合後直ぐに5年前の試合を思い出してしまいました。

豊田スタジアムの状況は、YouTubeライブを通じてしか見て取れませんでしたが、どうしても5年前にクラブスタッフとしてピッチレベルにいたパロマ瑞穂スタジアムの当時の様子を思い出してしまい、先制されてから試合終了までに至っては、座っているのも辛いような状況でした。

同時に、豊田スタジアムに行くことができなくて良かったのもしれない、とも感じました。そのような昔の思い出に影響されてしまっている状態では、サポーターの皆さんと同じような熱量と姿勢で応援できていたか怪しく、足を引っ張ってしまっていたであろうことは明白だったからでした。

そのような、サポーターにとって思い返すだけでも辛い昨日の試合ですが、5年前の天皇杯の翌週、2019年7月12日の『中日新聞』夕刊に掲載されたコラムをご紹介したいという一心で、このnoteを書いております。

もしよろしければ、その記事だけでもお読みいただけましたらと思います。以下、その記事の転載です。

『敗戦の後』

「名古屋出てけって言われました」。

サッカーJ1名古屋グランパスのある選手が言いにくそうに明かした。

惨敗した試合の後、会員制交流サイト(SNS)を通じて届いたメッセージ。同様の内容は一日で六十件に上ったという。

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ただ、限度を超えれば逆効果だろう。生活とプライドを懸けた試合に敗れた直後、スマホに届く、顔の見えないファンの中傷じみた言葉。それが選手の奮起を促すとは、思えない。(荒井隆宏)

『中日新聞』2019年7月12日 夕刊「目耳録」

※中日新聞社より、2024年7月12日まで一ヶ月間の掲載許諾を得ております。なお、本文からの転載は、一切禁止いたします。いただいておりました。

上記の転載で、このnoteで伝えたいこととその目的の大部分は、果たすことができました。以降の文章につきましては、お時間がございましたり、気が向きましたら、お読みいただけますと幸いです。

記事掲載に至った経緯

5年前の天皇杯敗退の翌日、トレーニングのためにトヨタスポーツセンターにやって来たある選手の様子は、明らかに普段と異なっておりました。

挨拶すればひと笑取ってくれるような選手でしたが、トレーニング中はどこか様子が変で、トレーニング後はいつも取材に来られていたメディアさんと戯れあったり記念撮影に勤しんだりするのですが、その日はそのようなこともありませんでした。また、パンデミック前は恒例であった帰宅直前の取材もこの日ばかりは素通りで、思わずメディアさんと目を見合わせた記憶があります。

この時は週末にリーグ戦を控えていて、天皇杯に出場した選手がそのリーグ戦の試合において出場の機会が無いであろうことは、トレーニングを見れば一目瞭然でした。

選手たちの気持ちが分かるなどとは、口が裂けても言えません。しかしその感じでいたであろう辛さは、そばにいて痛いほどに感じていました。それは、取材に来てくださっていた中日新聞の番記者であった荒井さんも、同じようでした。

「私たちに何か力になれることはないか。」

そう話し合い、公式メディアでできること、荒井さんの担当メディアである中日本紙にてできることをお互い模索し、世に出すことができたのが、冒頭の中日新聞での記事でした。

荒井さんから夕刊のコラム枠で記事掲載の目処が立ったと連絡を頂いた際はとても嬉しかったですし、出来事が風化しない試合翌週のタイミングでその枠を勝ち取るのには、相当の難儀な調整とご苦労があったことは容易に想像がつきました。

そのように掲載された記事は、読者の方や中日新聞プラスの利用者の方だけでなく、選手たちにも届きました。また、イリーガルでしたが、記事を撮影した画像をTwitterに転載したサポーターの方が当時おり、この文章をお読みの方の中にも、その画像を目にしたことがある方がいらっしゃるかもしれません。

当該選手の中には、天皇杯の翌月に他クラブへ期限付き移籍が決定し、そのまま名古屋での出場機会が無いまま、そのオフシーズンに退団してしまった選手もいました。ひょっとしたら今もなお、当時のことを思い出してしまう選手もいるかもしれません。

私自身も結局、担当する公式メディアでは何もできませんでしたが、荒井さんの多大なるお力により、辛い経験も糧にできるだと信じることができていました。この記事をきっかけに、SNSにおいて悲しい出来事がもう起こることがないように、そう願っておりました。

再び起こった悲しい出来事に感じたこと

しかし昨日の天皇杯の試合後、私のXのタイムラインには、目を背けたくなるような投稿がいくつもありました。選手名を明記し、対面では発することは決してないであろう言葉を記載するような投稿もありました。

SNSでの辛辣な「独り言」は、選手へ面と向かって発しているのと同じことです。5年前と同じような悲しい出来事が昨日も起こってしまった、そう私は感じてしまいました。

5年前のような、選手のSNSアカウントへの罵詈雑言や暴言は無いと私は信じています。しかし、5年前の出来事や記事をご存知ない新しいサポーターの方もいらっしゃるかと思い、また5年前を経験しているサポーターの方にも当時のことや記事を思い出していただきたいと思い、中日新聞社に申請をし、5年前の記事をこちらのnoteに転載させていただた次第です。

私は、SNSが気軽に投稿できるツールであることは理解しているつもりですし、昨日のようなプロとして疑問符のつく敗戦後であれば、サポーターとして愚痴の一つや二つ投稿したくなる気持ちも分かるように思います。

そして、選手たちへ「怒り」の意思表示することに対しても、「否」を唱えるつもりはありません。

しかし、そういった皆さんの吐き出す言葉の一つひとつの意味や解釈は、受け取る選手やクラブスタッフに委ねられるのだ、ということだけ伝えさせていただきたいです。

先週の6月3日、関東サッカーリーグに所属する南葛SCのマーケティング部長である江藤 美帆さんが、下記 noteを発表されました。

印象的な文章を、少し長いですが引用させていただきます。

私はことスポーツ領域においては、子どもじみた誹謗中傷よりも、正当な批判が雨あられのように降ってくるほうが、まったく反論の余地がないという点において当事者に与えるダメージが大きいと思っている。

ではファン・サポーターに「批判を一切やめていただきたい」と我々や選手がお願いできるかというと、それはナンセンスだ。スポーツを含むエンタメ産業というのは、そもそも人の感情を動かすことで成り立つ産業だからだ。その感情は必ずしもプラスばかりではなくマイナスの場合もある。プラスはいいけどマイナスの感情を出すのはやめてね、というのはあまりにも虫の良い話だろう。実際、この業界で働く大半の関係者は、そういった毀誉褒貶はあって当然のことだと受け止めていると思う。

では、矢面に立つ受け手側(選手や監督)はどうすればいいか。

私も散々試行錯誤をしてきたけれども、2024年の現段階で最も確実で効果が高いと思ったのは、そもそもこういった投稿を「見ない」ということに尽きる。これが一番シンプルで確実性が高い。

『私がSNS講習で選手に話していること』えとみほ

とても感銘を受けたのですが、「もっと早く読みたかった」というのが私の正直な感想でした。

私はクラブ在籍時、江藤さんに選手への研修用資料を参考にさせていただけないか、相談したことがあります。しかし、当時は諸事情によって資料を拝見することが叶わないまま時が過ぎ、江藤さんの資料のキーファクターとなる「見ない」という対処法を、体得することが終ぞできませんでした。

そのような私は、選手たちに「ファン・サポーターの皆さんが喜ぶように、どんどん発信しよう」と言い続けたまま、クラブを辞めることとなりました。

私自身、クラブ公式アカウントとしての別人格ではありましたが、日々届く罵詈雑言や暴言、そして江藤さんの仰る「正論」が含まれた投稿の怖さを身を持って体験していたはずなのに、選手たちへSNSの使用を半ば強制してしまっておりました。

そういった後悔もあり、この文章を書いたところもあります。ですので、この文章を書くこと自体が私自身の懺悔であり、セラピーのようなものでした。そのような個人的な文章に、ここまでお付き合いさせてしまい申し訳ございませんでした。

最後に、そのような拙文へ意味性を投入いたしたく、冒頭の記事内において “サポーターの権利” と荒井記者が書いた「ブーイング」に関する、私の取るに足らない所感を記させていただきたいと思います。

ブーイングに関するひとつの所感

不甲斐ない試合後のブーイングを、私もクラブスタッフ時代に何度もピッチレベルで浴びました。

そのブーイングの対象は選手たちであるのだと思いますが、クラブスタッフもその責任の一端があると思っていましたので、自分事として受け止めていました。

その耳から離れない残響と共に試合後の残務処理を行い、また次の試合へ向けた翌日からの業務中においても、前の試合のゴール裏の光景やブーイングの音が、脳裏や耳をよぎってしまうことがよくありました。

その中で当時、一つやるせなさを感じていたことがあります。サポーターの皆さんは、ブーイングという「カタルシス」がありますが、クラブスタッフにとってのその試合における切り替えは、各自に委ねられているなと。つまりは試合後のブーイングは、選手やクラブにとっての切替のスイッチに、果たしてなっているのだろうかと。

今年からサポーターになってみて、ブーイングをするサポーター側も辛いのだ、ということを感じることができました。心を鬼にして選手たちへブーイングするという辛さを持って、一区切りにしているのだと。

だからこそ、こうも思うのです。

ブーイングをしたまま、喧嘩別れのような状態で、サポーターと選手が次の試合までの一週間(ないしは数日間)をお互い過ごす必要は、果たしてあるのだろうかと。

そして、サポーターとしては「叱咤激励」としてブーイングをしていても、選手やクラブへは「叱咤」しか伝わっていないのではないかと。

そこで、私の取るに足らない提案です。

選手たちへのブーイングを、その選手たちが立ち去ろうと背を向けたタイミングでフェードアウトするのではなく、選手と向き合っている間に行い切ってしまい、そのブーイングの中にある “メッセージ” を伝え終えた後は、お互いの「心の握手」をする時間とする、というのはいかがでしょうか。

その時間は静かなまま選手たちへ正対してもいいですし、拍手で補完してもいいかもしれません。その時間によって、ブーイングという「叱咤」だけでなく、心の握手による「激励」も、選手たちへ伝えるのです。

そうすれば、次の試合までの期間を、仲違いしたままお互いがやるせなさを抱え続けて過ごすことなく、その期間がクールダウンとして機能し、選手たちと私たちをヒーリングしてくれるのではないでしょうか。

そんなことをふと思った次第です。
サポーター一年目、生意気過ぎますでしょうか……。

最後に

ここまで読んでくださった方にとりまして、少しでも気付きが感じられたり、1ミリでも何かのきっかけになるのでしたら、望外の喜びです。

しかし、この文章の大部分は、自分のために書いたようなものです。そのような超個人的なセラピーのような文章に最後までお付き合いくださり、感謝いたします。ありがとうございました。

名古屋グランパス 公式サイト

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