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消化試合

鳥栖の(教育虐待で両親を刺殺した)犯行当時19歳だった被告は「残りの人生は消化試合だと思っていた」と語ったという。

幼いころから父親により繰り返された暴力や人格否定の果ての犯行だった。親族も同情的で減刑を望んだということだが、だったらどうして、こうなってしまう前に止めなかったのかと思う。皆、知っていたのに見逃していたのだ。消極的協力者ではないか。被告によると関係は良好で「死んでもいい」とは思っていなかったという母親を含めて。彼にもどこにも味方がいなかった。

大学に入って、家を出て、親の呪縛から解き放たれて学び自由になっていける可能性だっていくらでもあったはずなのに、そうはならなかった。「仕返しをすることをずっと支えに生きて」いた彼にとって、大学は親に無理矢理入れさせられたところ、屈服の歴史の結果にしかなり得なかったのだろう。彼は「自分」の「個」を築くことができなかった。否定され続けてきたから、知らなかったのかもしれないし、諦めたのかもしれない。
その個を徹底的に否定し踏み躙る、どんなに逃れたくても避けられない、延々と繰り返される理不尽と暴力の中で、彼は自身にも親とは別の人生があるということと、その先に広がる可能性を見て歩んでいくための目や光を潰された。
そしてせっかくの合格も入学も、その後の学びや生活も自身のものにしていくことができず、高校生の時に決めたという「10年以内」を実行した。

もしたった一人でも、彼の現実、噛み殺し押し潰し続けてきたその声にもならなかった声を受け止めようと動いた大人がいたならば、こんなことにはならなかったのではないかと思う。

「父は“なんで?”と言っていた。あれだけ辛い思いをさせておいて覚えていないのかと怒りを感じた」

上は被告の言葉だが、怒れるだけまだ大丈夫。絶望していない。
どうか生きて。そしていつか外の世界へ出られたら、今度こそ自分の生を全うしてほしい。

その頃、この世界はどうなっているのかな。


去年の2月から続けてきてしまった「消化試合」。
全てはどうにもならず、無駄だった、私には24年度の道は無いと、きちんと納得できた。
だから穏やかな気持ちで私は旅立てる。
コロナも麻疹ももう気にしなくていい。
理不尽も暴力も、無くなることも、逃れられることもないのだから、全ては仕方ない。怒りも望みも全て無駄。

遅くなってしまったから、既に北海道ですら熊の目撃が相次いでいる。
溶連菌と熊とどっちがつらいだろうって考えたけど、熊のほうがさらに短時間だろうからマシなのかもしれない。
その時意識が無いことだけが望みだ。そこだけはしっかりしなければいけない。

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