#49 河村隆一と推理小説
河村隆一を聴いている。
河村隆一をずっと聴いていたのは大学一年生のときだった。十何年もまえの話になるが、僕は横須賀から渋谷までずっと電車で大学に通っていた。片道だいたい1時間半くらいで、何もしないでいるには苦痛でしかない時間だったので、いつしか本を読むようになった。
文学部に入りはしたが、高校時代は読書家というわけではなかった。読書が好きになったのはこの長い電車通学のおかげだった。何を読み始めたかと言えば、推理小説だった。
シャーロック・ホームズは高校時代からそこそこ好きで読んでいた。新潮文庫の『シャーロックホームズの冒険』はもうボロボロになっている。推理ものは好きで、さらにさかのぼれば中学時代にははやみねかおるの青い鳥文庫のミステリーも読んでいた。そういうわけで推理小説の素養はあった。
どの本がきっかけだったのかよく覚えていないが、おそらく綾辻行人の『十角館の殺人』がすべての扉を開いたと思う。もちろん、この小説がおもしろかったばかりではなく、この作品の登場人物は有名なミステリー作家の名前がニックネームになっており、『十角館の殺人』を読むこと自体がミステリー小説への入り口になっているのだ。
そこでエラリー・クイーンやガストン・ルルーだとかヴァン・ダインだとかっていうミステリー作家を覚えては、興味を覚え、次々に読んでいくことになるというわけだ。もちろん、アガサクリスティーの『そして誰もいなくなった』もおそろしく感動したが、よく読んだのはエラリー・クイーンだ。
日本の作家も、綾辻行人の館シリーズはすべて読んだし、有栖川有栖、二階堂黎人、島田荘司、森博嗣などと次々に読んでいった。島田荘司の御手洗潔シリーズも本当に夢中になったし、森博嗣の切れ味するどい言葉には心酔もした。いま思い出してもすべてがワクワクして、もう一度あの電車通学をやり直したい。
ミステリー小説は、事件やトリックを作るためにさまざまな世界観を形作る。それはオカルトだったり、伝説だったり、そういうものがよく素材にとられる。そうしたものから、さらに、それぞれの事柄に興味をもってさらにミステリー以外も読み、どんどんと世界が広がっていく。
『占星術殺人事件』で占星術や錬金術を学び、『聖アウスラ修道院の惨劇』で吸血鬼を学んだりする。なかでも篠田真由美の建築探偵桜井京介シリーズでは、建築にのめりこんで、東京にある名建築を見てまわったりする。なんにせよ影響を受けやすいたちなので、桜井京介になりたがっていた。
さて、なぜ河村隆一から語り起こしているのに、なぜ推理小説の話になったのかというと、その電車通学の最中、推理小説を読んでいるさなか、常にぼくは河村隆一の曲を聴いていたからなのだ。
僕は河村隆一の曲を聴くと、それらの推理小説の世界が生き生きと甦ってくる。そして、そのときのワクワクが、あの昼過ぎのすいている電車と、明るい陽射しの入り込む座席が目の前に浮かんでくる。
この感覚だけは、誰とも共有できないものとして僕のなかにある。
もう一人、自分がいたらなあと思う。
あのときのことを、そうだよね!そうだよね!あ、そうそう!『虚無への供物』がさ!アントニイ・バークリーの『毒入りチョコレート事件』がさ!モーリス・ルブランの『怪盗リュパン』が!エラリー・クイーンは「事件簿」がよくてね!なんて、もう一人の自分と語り合いたい。
そして、河村隆一の曲についても。
アルバム「Love」はもちろん「深愛」「バニラ」あたりがたまらず、とにかくずっと聴いていた。このときはLUNA SEAにははまらず、とにかく河村隆一が好きだった。
きっとそういう甘さもあって、僕はその後、立原道造などに接近していくのだと思う。
そういえば、詩との出会いも推理小説だったような気がしてきた。
そうして派生して、これから先、どこに辿りつくのか。
まだまだ、生きてみせないといけない。
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