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その輝きは

 僕の曾祖母はとても長生きで、100歳以上生きていた(厳密な歳はよくわからない)

 アルツハイマー病を患ったらしく、それがきっかけで、介護施設に入所することになった。

 この介護施設が衛生管理、介護共にしっかりしていた施設だったのはよく覚えている。

 だが、僕は曾祖母に会う度にいつもこう思っていた。

「これが生きていると言えるのだろうか?」

 僕らが会う時、いつも曾祖母は鼻チューブを通し、ずっとベットの上で仰向けになっているだけだった。

 そして、いつも祖母が会うたびに、耳元で、曾祖母に聞こえるようはっきりした声で

「ひ孫が会いにきたよー」

 と言うのだが、聞こえないふりをしているのか、それとも聞こえてないのか、反応を示すことはなかった。

 曾祖母の前にいる時は、決まって曾祖母にまつわる話、それに関する思い出について話しているのだが、僕はあまり記憶にない。

 理由は、曾祖母の部屋(曾祖母がいる部屋)の窓の外からツバメの巣が毎年あり、そのツバメのさえずりがとても聞いてて心地良かった(僕にはそう聞こえていた)のと、曾祖母に会うたびにいつも

「本当にこれが生きていると言えるのか?」

 と考えてしまうからだ。

 鼻チューブがあるだけで、無理に生命を伸ばしている訳ではないが、僕はいつも考えてしまう。

 彼女に意識はあるのか?

 もし、意識の無いまま生命活動を行っているとしたら、それは生きていると言えるのか?

 もしそうだとするのなら、すぐそこでさえずりをしているツバメの方が立派に生きているのではないか?

 そんなことを考えている間に曾祖母と共に過ごしている時間はいつも終わってしまったのだ。

 曾祖母が死ぬまで、僕は施設に行くことが出来たのだが、一番記憶に残っている出来事は曾祖母では無く、一人のご老人の話だ。

 施設では、部屋から少し離れたところに介護者や、介護される人、つまりご老人達が交流出来る場所がある。

 その場所にいたとある老婆が、僕らがこの施設にきた理由が、曾祖母に会いに来た、ということを知るやいなや

「わざわざ……家族に会いに来てくれるなんて……」

 と、感極まったのか、涙をこぼし始めたのだ。

 この時、老婆が泣いた理由を、当時、まだ小学校中学年だった僕には理解出来なかったが、僕の心に小さな小石のようなものを残したのは確かだ。



 曾祖母が死ぬ一、二年程前だったかだろうか。

 いつもの様に、祖母の家に訪れた時、ある一枚の写真に僕はひどく驚かされた。

 その写真は、施設で行われたクリスマスパーティーの時に取られたらしく、写真の中で、曾祖母がクリスマスの時に被るとんがり帽子を被りながら、カメラに向かい、嬉しそうに笑っていたのだ。

 その笑顔は、僕の知る曾祖母の中で、一番命が輝いているように見えた。

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