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小説を書き始めた経緯

 今さらながら、小説を書き始めた経緯に関して語ろうと思う。

 私がもともと小説を書こうと思ったのは「自分が早く自立するにはどう手を打てば良いのだろうか?」と中学生の頃考え、いつものように過ごし、家で角川文庫の小説を読んでいたところ、

 巻末だったかしおりに『電撃文庫大賞』の文字があり、読んでみれば『小説作品募集』のようなことが書いてあるではないか。……しかも賞金もはずむ。

「これだ!」

 自分が自立するための一歩にはこれしかない! そう思ったものの、応募するには大量の原稿用紙、またはPC、スマートフォンといった電子機器が必要であり、まず原稿用紙を買っては親に

「あんたそんなに買ってどうすんの?」

 と怪しまれるのは確定。後者の電子機器は、私が何とかほぼ自由に使え、ネットにアクセス出来る電子機器はpsvitaしかなかった。(スマートフォン、PCは所持していない)

「あれ? 俺もしかして小説応募出来ない?」

 psvitaはメールアドレスを作成することが出来ない、そう、情報を集め、インプットは出来てもアウトプットが出来ないのだ。ショックは受けたものの、情報が入るだけマシだ、と思い、中学時代は小説の設定を練ることに専念した。

 小説の設定を練るとき、「自分が伝えたいことは何だろう?」と考え、まず思い浮かんだのは「反戦半核」であった。

 これが思い浮かんだ理由は、私がMETAL GEAR SOLID(以下MGS)をプレイし、強く影響を受けたからである。

 MGSは世界的に高い人気を誇り、海外の雑誌で「二十世紀最高のシナリオ」と評価されている程だ。

 テーマはナンバリングごとに異なっているが、共通しているのは「反戦反核」そして「次の世代に語り継ぐもの」である。

 これに関しては私が語ると長くなりそうなので、MGSをプレイする、もしくは動画などで見ていただきたい。

 さて、話を戻すと、私が小説で反戦反核を伝えるにはどうすれば良いか、それを次に考えた。

 私は考えている中、幼い頃から自分の中にある疑問が、気泡が水中を昇り、水面で爆ぜるように、突然思考の中から浮き出てきた。

「人は死んだらどうなるのだろう?」

 誰もがこれについては一度は考えたことのある問題だろう。

 生まれ変わる、何も無くなる、天国か地獄に行く……様々な議論が交わされるが、答えはわからない。

 それもそのはず、死人に口無し、死んだら誰も喋れ無いし、墓場から「あの世あったよ~!」なんて死体が喋ったら大騒ぎだ。

 私は幼い頃から虫に触れてきた、ダンゴムシ、バッタ、アリ、カブトムシ、クワガタムシ、トンボ……思い出せばきりがない、いや、きりはあるか。失礼。

 そして、虫は生物、必ず死ぬ、寿命で死んでしまったものもいれば、中には私の世話が行き届いていないせいで死んでしまったものもいた。

 死んでしまった生き物は必ず土に埋めていたのだが、その度に思っていた。

「彼らはどこに行くのだろう? 生まれ変わってもまた虫?」

 埋めているのだから、微生物に分解され、土に帰るのは当然だが、魂は? 心は? いったいどこに行くのだろう?

 疑問が生じて仕方無かった。

 それについてもっと考察して、私の小説の世界に落とし入れよう、その思いがあって、生き死にについて取り扱う作品にしよう、と思い、私の処女作「異世界でノーキル縛りは難しい」が生まれたのだ。

 そして、私に、もっと生き死について考えろ、と言わんばかりに追い打ちをかけるものがあった。

 特定阻止のため、詳しくは話さないが、親友の死を改めて実感することがあったのだ。

 死を改めて実感する一年程前に、親友は闘病の末亡くなった。

 このことを知った時も当然悲しんだが、死を改めて実感した時はさらに重く感じた。

 そのせいか、うつ病が前回発症した時よりも重く再発した。

 彼に関しては整理がついてから、いつか詳しく話したい。

 暗く考えていたら彼に「前を向いて生きろ」と言われそうなので、おかしなことだが、明るく考えるとしよう。

 生き死について、そして生きる意味について。

 そうだ、私は自分を見つめ直すため、自分らしく生きるためにも小説を書いていのかもしれない。

 彼は死してなお、私に大きなものを与えてくれたのだ。

 ああ友よ。 私と友達になってくれてありがとう。

 君のお陰で、私は今こうして前を向いて生きていられるのだ。



 死ぬまで書こう、彼のためにも。

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