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自転車漕いでパリを想う超眠い1時半

大森靖子みたいなタイトルだなって思う。


メイクをすると自分から「お母さん」みたいな匂いがして耐えられない。
母だとか母性だとか、柔らかくてスベスベでゆったりふんわりしている、ゴツゴツザラザラギシギシガチガチの対義語みたいな、女という漢字の成り立ちに出てくるような、ひらがなの「ゆ」みたいな、ゆったりとやんわりを足して「ゆんわり」って言いたくなるような、つまりそういう概念としての女に自分がなっていくことがひどく恐ろしい。
鏡に自分の姿を見て、いわゆるグラマラスだとかそういう部類には間違っても属さないけれど、どう見ても女であることに愕然とした。質感が、女なのだ。昔は男みたいな手をしていて男みたいな腹筋を隠していて男みたいなふくらはぎを晒している、と言われたのに。母親から。男の子があんたの手を握ったらびっくりするよ、逃げられるかも。とか。
それがなんだ、知らないうちにしっかりと「女」になっている。なっていた。なってしまっていた。泣きそうだ。女になるなんて。わたしが女になってしまうなんて。自分が、女になるなんて、思ってもみなかった。
ふんわりもっちりって、気持ち悪い。他人のふんわりもっちりは綺麗だとも思うし、ときどき無性に触れたくもなる。けどやっぱりなんだか気味が悪い。「ゆんわり」が終わったらスカスカになるんだろうなって気がする。男のガサガサゴツゴツは、硬くて汚くていずれゴシゴシになるんだろうなって感じ。
両方いやだけど、すべすべしていてふわふわしていてそれから「ゆんわり」した質感の集団に自分が属するのはより受け入れられない。落ち着かない。落ち着けない。
どちらか選べるなら、ガサガサゴツゴツで汚くてもいいから、ゴシゴシになってもいいから、そのどうしようもなく「ゆんわり」した肌を脱ぎたい、と思う。

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昨日の続き。思い出したこと。深夜に自転車を漕ぎながら思ったこと。超眠い一時半の戯言。


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