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子宮のある人間にとってお腹が痛いのはデフォルト

大きな台風がきているらしい。
ようやくフルタイムドイツ語学習者の終わりが見えてきた。あと5日である。
いくらやれ楽しいだの面白いだの言っても疲れるものは疲れるし小さなストレスはしっかりと蓄積されているらしい。
トラムの揺れにかこつけて近づいてくるクラスメイトにひどくイライラした。いやこれは妥当性があるか。

とにかくコミュニケーションに飢えている、かと思えば人と話すことにもストレスを感じる。
いつも誰かといる人たちが信じられない。わたしは何も話さずひとりで眠りたいのだ。
孤独には慣れていたむしろ望んでいた。

いやほんとうは頭を撫でられながら眠りたい。
ひと月先まで休みがなくて、ようやく3月半ばに背中をとんとんしあう目処が立ったのだけれど、予定を組んでいたらバイバイするときのことを思ってすでに寂しくなってしまった。エンデの正体は乙女であった。



ドイツ人と話すときはあれこれ無駄にまくしたてるよりか「わたしは小説を書くものだ」とだけ言いあとはニコニコヘラヘラしておけばよい。
ついでにミヒャエル・エンデとヘルマン・ヘッセを褒めておけばよろしい。

ドイツ人、それも『我はドイツ人であるぞ!』という意気のドイツ人諸氏は学問が好きであるというポーズをとるのがお好きとみた。
わたしが何やら難しそうな本を広げて、それがかなり色褪せていたりなんかしようものならいっぺんに「ホウ」といったような顔をする。

Kindleは東欧移民からのうけがよい。
彼らは「テクノロジーの国ジャパン!」などというなんともおもはゆい言葉を屈託なくキラキラとぶつけてくる。

わたしの大学での専攻は禅なのだけれど、それを打ち明けるとたいていどこにおいても「わあーお、ワンダフル!」といった反応を得られる。
そしてインテリっぽい(あるいはインテリぶっているだけの)オジサンなどは明らかに先ほどより肩幅を縮めるのである。
あれほど小気味よいものなどなかなかない。
大学ではひどい成績をとっていたにも関わらず、ここぞとばかりに威張りたくなる。

東洋っほい不敵な笑みをたたえて古い文庫本を広げあるいはKindleを片手に構えておけばだいたいの人間は優しくなるし、わたしが日本人だと判るや否や、彼らの肌トーンは2つほど上がる。
日本人ブッディストはSK-IIか?


『真面目で賢く無害なアジア人』とされている我々日本人は、彼らから『英語もドイツ語も往々にして下手だがモノのわかる奴ら』という評価を受けているように思う。
やはり喋るなどという愚行はやめたほうがよいのかもしれない。

巧言令色鮮し仁とはよく言ったもので、賢い人というのはあまり無駄口をたたかない。いや賢い人の発言には無駄がすくない。
ああこの人は頭がいいのだなあと日々感心するクラスメイトが何人かいるのだけれど、彼女たちのバランスのとれようといったらもう。凡庸なわたしは頭がいいとはいいなあ羨ましいなあと指を加えながら宿題と復習にとりかかるしかないのだ。
わたしが真に賢ければこんなところでこんなことをグダグダと述べているはずがないし、真に賢くなりたいのであればこんなところでこんなことをグダグダと述べている暇などないはずである。凡庸なメンヘラ(卒)。


いっぱい食べても寝てなくても遊んでても仕事してても恋してても生活がちゃんとしてる人ってどうなってるんだろう。
わたしの体力のなさが異常なのか彼らが精神力でもってしてなんとかしているのか。
皆がどの程度がんばって我慢して普通に暮らしているのかを知りたい。

わたしはやはりまた小説が書きたいし、いろいろとがんばりたいのである。
眠気と低い集中力とそこはかとない絶望、虚無、孤独感などと付き合って四半世紀をゆうに超えたけれど、未だにひとつもコントロールできない。
もうすこし高い頻度で頭をなでてもらえればあるいは。


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