エッセイ「声のアンソロジー」
あらゆるものと同様に詩にもたくさんの部屋がある。部屋の中は出入り自由でいつまでいてもいいし、すぐに出ていってもいい。すべてが自由だ。私はポエトリー・リーディングという詩の部屋に入って早5年になる。
ポエトリー・リーディングの特徴を述べようとするなら、自作詩の朗読を主とする点だろうか。もちろん自作詩を読むことをただ“朗読”と呼んでも差支えはない。イメージが掴みにくい方へ向けた特徴だと考えていただければありがたい。
ポエトリー・リーディングは主にバーやライブハウスにて音楽イベント形式で開催されることが多い。また、観客がステージ上で朗読するオープンマイクという文化も盛んだ。他にも互いの朗読で競い合って優勝者を決めるポエトリー・スラムという遊戯的要素を取り入れたパフォーマンスも特徴的だろうか。
イベント会場では、みんなが詩に身体まで浸かるように聴いている。仕事や雑事を忘れて詩を楽しむ。部屋の中で誰もが自由だ。
詩を読む時、何かを演じるような声になる人もいれば、普段より声を震わせる人もいる。技術的な面はあれど、誰もがマイクの前に立って“詩を届ける姿”になり会場を自分なりの言葉で満たそうとする。その姿が私にとって書物の詩集を読む時の感動に寸分違わない気持ちを起こしてくれる。その日その場限りの身体と声による詩を全身で感受する。こんな可変性の高い詩のアンソロジーは中々読めない。
詩が合わない人がいるように詩が好きでもポエトリー・リーディングが合わない人もいる。それでもいい。でももし気になるなら一瞬でも部屋に入ってみてほしい。そこから出ていくのも居続けるのも自由なのだから。初めて詩を書いた時の気持ちで、えいやっと足を踏み入れてほしい。部屋に居続ける私からの甘い言葉をこの場所に残しておく。
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