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貝を食べるとアホになる


今、僕の目の前で、ブリブリに太った『蛤』が6個、焼かれている。

炉端焼きの有名店らしい。店内は痺れるくらい古びており、レジの上には2008年頃に書かれた、誰かしらのサインが飾ってある。店内の至る所には、天皇陛下のカレンダーが吊るされている。窓も相当きている。潮風になびき、ホラー映画のような異音を立てている。僕のお尻の下には、木で出来た重たい椅子。何万人分の体重を支えて来たであろう、ペラペラの座布団が敷かれている。もはや、布団では無く、タオルケットである。尾骶骨が痛い。

目の前には、大きな一枚板のテーブル。長い時間このお店と共にして来たのだろう。油に塗れて粋である。そしてテーブルの上には、炉端焼きの卓上コンロが置かれている。コンロの中を覗くと、ずいぶん年季を感じる。網だけは新しそうだ。テーブルの下から伸びて来ている、ガスホースの蛍光オレンジが、目に入る。

2人用の小さなコンロ。『蛤』がコトコト揺れ、泡を吹いている。

ああ、怖い。



僕は貝が嫌いである。理由は至ってシンプル。フォルムが怖いからだ。

でも、言っておくが、食べる前から『嫌い』だが、食べてからもっと『嫌い』になったので『食わず嫌い』みたいなしょうもないモノでは無い。真剣に『貝嫌い』として人生を謳歌している。

僕は、貝以外の海産物は何だって好きだ。なんて言ったって、美味しい。海老なんてすごい。美味しいだけじゃなくフォルムがカッコいい。昔から戦隊モノなどに、海老っぽい怪人が出てくると狂喜乱舞している。だから、海の恵みに、とても感謝している。旅行で海を訪れた際は、必ず、沖に向かって『ありがとう』と胸に手を当てている。

それらの海産物(主に海老)を目当てに来ているのに、皆んな勝手に『貝』を注文する。

唐揚げのレモンは『絞る派か絞らない派』か聞くくせに、『貝を食べれる派か食べれない派』か、は聞いてこない。そうやって『皆んな貝が大好き』という風潮の所為で、炉端焼き器の舞台の上は『貝のみ』と化し、僕は、お椀に盛られた『ふっくらご飯』が乾燥していく様を、まざまざと見せつけられている。これが日本人の悪いところである。

みんな『まだかまだか』と首を長くしているが、僕の首は短い。『一生来るな』と思っている。あと、『お前らのご飯も乾燥しろ』とも思っている。

しばらくして、丸々としたおばちゃんが、ステンレスのボウルに、たっぷりと『蛤』や『帆立』、『牡蠣』を入れて持ってきた。テーブルの上に大量に並んだ貝を見て全員が『美味しそう』などと言っている。

コイツらは、どうしようもない『馬鹿』である。
よく見てみなさいよ、決して『美味しそう』ではないでしょうよ。

『美味しそう』と言うのは、ファーストコンタクトでも尚、『美味しそうだな』と思えた食べ物だけに使うべきである。コイツらは、この貝たちの味を知っていて、その味を思い出せるから『美味しそう』と言っているだけであって、この貝のフォルムを初めて見た場合、『美味しそう』となどと言える『はず』がない。どう考えても『バケモノ』である。

僕は、貝全般を『プレデター』だと思っている。それを何故食べる。これは僕の見解だが、貝の摂取量があるラインを超えると『プレデター』になる。だから、食べるやつは『馬鹿』である。

なので『美味しそう』などと言う奴は、この先の人生、ちゃんと『馬鹿』として生活して欲しい。



今一度、しっかり思い出してみて欲しい。特に凄まじいのは『帆立』である。

貝柱はまだ良い。貝殻を開いたり閉じたりする『筋肉』だからだ。僕にも筋肉はある。僕が好んで食べる魚も牛も『肉』の部分を食べる。だからまだ納得はしている。

でも、問題はそれ以外『すべて』である。『すべて』だ。



まずは、貝殻の外側に敷き詰められている『ビロビロ』の部分だ。どうやら『ひも』と言うらしい。どうだ、ネーミングが既に怖いだろう。

何だ『ひも』って。あるなよ、そんな部位。

僕の体には『ひも』は無い。『あってたまるか』とすら思っている。そして、僕が知る限り、この世界中の皆んなにも『ひも』は無い。人間にも、猫にも、牛にも、魚にも、昆虫にも『ひも』は無い。だから怖い。

しかもこの『ひも』、なにやら黒い斑点がある。太陽を望遠レンズで撮影した時に見る『黒い斑点』みたいなやつだ。で、だ。あの斑点が『目』らしいのだ。

ビロビロがある時点で怖いのに、それに目がある。大量にある。世界には、あの斑点の数を調べた猛者がいると言う。彼によると、どうやら『80個』あるらしい。『80個』だぞ?僕は『2』、天津飯で『3』、両面宿儺で『4』、鬼滅の上限の壱のやつで『6』。なのに、帆立は『80』。ふざけんな、怖すぎんだろ。

『帆立』は、いっぱい見ているのだ。『帆立』は、いつでも深淵からコチラを覗いているのだ。



しかも、大量の目でコチラを見ているのに、全くもって『感情』が読み取れない。それも怖い。

猫は、だいたいわかる。これは『チュールをよこせ』の顔である。すぐわかる。猫以外の生き物も行動で、何を望んでいるかくらいはわかる。『嫌だ』『好き』くらいは判断できる。

なのに『貝』は全く分からない。なのに『ベロ』がある。(実際は生殖器らしいが)いい加減にしてくれ。


貝殻を開くと、貝柱の周りに『オレンジ』の部分がある。あれを、俗に『ベロ』と言うらしい。

僕は『心理学の本』を読んだ。『舌』を出す時というのは『どんな心理が働いているのか』を調べた。心理学の本なんて普段、これっぽっちも読めないのに、この為に読んだ。貝と全面的に戦う為に、『心理学の本』を読んだのだ。

どうやら心理学でいう所の『舌』とは、『人に見られたく無い内側』を意味するという。よって『舌を出す』というのは『人に見られたくない物を見せる』という心理が働いている。人に見られてはいけない『好意』なのか、はたまた『拒絶』なのか。それくらい『本心』に近いの意味が込められているのだ。かの『アルベルト・アインシュタイン』が舌を出した理由も、憶測が飛び交ってはいるが、なんにせよ『本心』であった事は、間違いない。


で、だ。この『帆立』は貝殻に隠れて、僕に『本心』を見せる事はない。だから、仲良くなれない。

そもそも『貝殻』って何。僕でいう、どこ。何。


軟体である彼らが『生存戦略』として行き着いたのが『貝殻』で身を守る事らしい。他の種から身を守る為だ。もちろん『柔らかい』より『硬い』方が強いだろう。それはいい。これからも頑張って生き残りたまえ。陰ながら応援している。

その『貝殻』を作る工程は、体から液体を分泌し、それを硬質化させて作る、という事のようだ。

何で。

どう考えても『貝殻』を作るより、体を硬くした方が良い。その方が動きやすい。もしくは、カッコいい『海老や蟹』のように『鎧』と纏えば良かったのではないのか。そしたらモチーフにしたカッコいい『怪人』とかが出てきたはずである。なんで液体を出して硬質化させようと思ったのだ。

しかも、出来上がった『貝殻』は種類によっちゃあ、『七色でテロテロ』に光っている。貝から出た液体が、なぜテロテロに光る。何故だ。馬鹿か。

ついでに『真珠』もやっておこう。
『真珠』は、貝の体内に『ゴミや寄生虫』が、たまたま奇跡的に入り込み、それを貝から出る例の成分が覆い、テロテロして丸くなり、マダムが『まぁ綺麗』となる。

それを耳につける。冠婚葬祭でいっぱい首にかける。大往生したじいちゃんが死んで、焼酎を呑み交わしながら、ほろ酔いで思い出を語り合って楽しんでる首に、そんなものぶら下げるな。どんな風習だ。


ダメだ。やはり、僕には食べられそうにない。僕とは違いすぎる。

ドラマなどで『あいつにも赤い血が通ってたんだな』などというセリフをよく聞く。バケモノじみたあいつにも、人間らしいところがあるじゃないか、と言う意味合いで使われるセリフである。

でも、貝の血は『無職透明』らしい。

完全に『バケモン』だ。

この『蛤』も似たようなもんだ。


そんなこんなを考えているウチに、『蛤』が、焼き上がったらしい。

丸々としたおばちゃんが、いそいそとやって来た。手には『アイスピッグ』である。

このおばちゃん、『アイスピッグ』で、こじ開ける気らしい。

貝も怖いが、このおばちゃんも怖い。

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