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その場しのぎの保育になってない!?

来週の
月曜日は園庭で自由あそび
火曜日に遠足で動物園に行く
水曜日は動物の絵を描こう
木曜日は運動遊び
金曜日は楽器の練習

こんな計画の立て方をしていませんか?

わたしはしてたなぁー

行事に追われると、週案とかパパッと終わらしたくなる。行事に追われない日は、何したらいいかよくわからんから自由遊び!

これはよくない。

子ども主体保育と言われるこの時代になってよく聞く言葉が、

「その保育は何のためにするの?」

それはおそらく、保育が線ではなく点になっているからです。つまりぶつ切りになり、保育が子どもの意思とは別のイベントみたいになってしまっている。

どう改善していくかを、上記で言う遠足で考えてみよう。


○行事の次の日は大体絵を描きがち

これをしてる人はなぜ絵を描かせるのか。
きっと誰もが納得する答えを持ってる人はごく僅かだと思います。

「園の文化だから」
「先輩がしてるから」
が具体的な理由ですかね

例えば遠足で動物園に行ったとして、そこで子どもは何を感じたでしょう?

遠足で実際に動物園に行った時に子どもの興味は

・動物
・餌の自販機
・動物の餌
・園内マップ

と言う姿がありました。

私はこれを感じて、次の展開を考えます。
・自販機作りをしよう
・動物の餌をしらべる
・マップのイラスト?写真?

もっと深く考えていますが、簡単に言えばこう言うことを考えます。見てわかるように、ここに絵を描くと言う選択肢は出てきません。

行事の後に、理由もなく絵を描く活動を入れるのは、簡単に言えば大人の型にはめているだけで、そこに子どもの育ちはないと言えるでしょう。

○保育は繋がりを必ず意識して

行事の後、絵を描きがちの例を出した時になぜこう言う状況になるのか、これは答えはとても簡単です。

・絵を描かせたという結果に大人が満足している。
・形に残せる方法をとることで、やったという証拠を残している。

ドキッ!とした方もいるかもしれませんが、私はこれしたことあります!

今となれば形に残す、もはや証拠を残す方法を選ぶことはほぼないです。

○こども全員がしないといけないと言う概念を捨てて

でも例えば、自販機を作るにしても全員で作ることは恐らくできません。
それは興味がない子は、もちろんしたくないというのもあります。

そう言う時は、小グループごとに分けて、興味のある活動ごとですると言うのもオススメです。

それでもやりたくない子には、

「やりたくないというのも、子どもの立派な権利」

という考えをしっかりともっていてほしいです。

役職を持つ職員たちがこの認識を持つだけで、園の保育はだいぶ変わるのですが、新人の先生がこれを変えていくのは、なかなか難しいですよね。

やりたくないって言えることは私はすごいことだと思っていて、この凄さを保育者や保護者にプレゼンすると、大概はなるほどと言ってくれるのですが、この話はまた別の記事で紹介します!

○大人の型にはめる保育と子どもの興味からつながる保育の違い

子どもの興味からつながる保育には、試行錯誤が見られます。例えば、餌の自販機は、

どう言う構造か
→お金を入れるとレバーが回るのに入れないと回らない

どんな素材であれば、園でも再現できるか
→段ボール?アルミ製の箱?

一度試しに使っても、おそらく一回で作り切ることはできないと思うので、どこがうまくいかなかったかを考えるとなると、頭の中をぐるぐると思考がめぐり、時には友だちと知恵を出し合い、時には地域に出向き、調べ学習のようなことをします。

一方、園の文化である、絵を描くにはどんな子どもの思考がめくるでしょうか。
絵を描くことが悪いのではなく、ただ保育者が何も考えず絵を描かせているということが、子どもの育ちの壁になってしまっています。

保育者主体のさせる保育から、子ども主体の共に育ち合う保育が増えていくことを願わずにはいられません。

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