見出し画像

3.Downward spiral コンソメ

初めてコンソメが作られる過程を見た時、その神秘性に興奮が抑えられなかった。

香味野菜、トマトペースト、牛ミンチに卵白を加えて、結着させるように手でしっかりと攪拌する。そこにブランサンプルと呼ばれる、牛すじなり鶏ガラなりの何かしらの出汁を加えて火にかける。白く濁り脂の浮いたその液体は、これから最高峰の料理になるような片鱗など全く見せない。

よく混ぜながら火にかけ、68℃を超えて卵白が固まりだしたら放置し、ゆっくりと温度を上げる。やがて卵白が灰汁を吸い上げて固め、曇り空のように汚れた雲で鍋は覆われてゆく。心ない人の悪趣味な悪戯にしか見えなくなる。

螺旋の下に堕ちていき、混沌で過ごし、廃棄物を目的もなく産み出していく。カタルシスのない生産作業は調教された奴隷生活のようだ。悲観的な若きニヒリストの呟きのような場所からそれはいきなり現れる。

卵白が完全に固まると、中から透明で琥珀色の美しい液体の光が怒涛に溢れ出す。
これがもうたまらない。何度作っても美しく感動してしまう。

一般的にコンソメという単語は殆どの人が知っていると思う。市販のキューブ状、あるいはポテトチップスの味などでだ。
ではコンソメを作った人はいるだろうか?そもそもコンソメを知っている人はいるだろうか?
ポトフ....カレーに入れる....いまいち使い方が判らない....ブイヨンと何が違う?....鶏がらスープで良くないか?...安っぽい....美味しくない...美味しくない....美味しくない....

もはやプロパガンダだ。冗談じゃない。コンソメは英語でもイタリア語でもなくフランス語だ。完成された、あるいは完璧なという意味をもつ。コンソメは美味しくなければならない。それも完全に、完璧に...

コンソメとは出汁でなくスープのことだ。それもフランス料理の最高峰といえると思う。ここがブイヨンやフォンドヴォーと違い、そもそも比較対象ですらない。種類でいえばミネストローネやコーンポタージュ、クラムチャウダーなんかと同じ部類になる。
何故コンソメがブイヨンなどの出汁と混同されるようになったのかは、おそらくコンソメの驚異的な汎用性だろう。スープとして完成されてるのにどんな食材とも調和して、しかも相手を引き立てる。レモングラスのコンソメ、オマール海老のコンソメ、ジビエのコンソメ、あらゆる発想にすべて応えてくれる。
ゼラチンを加えてジュレにすればオードブルにも使える。発想でいえば野菜サラダにクラムチャウダーをかけてるようなものなのに、コンソメジュレだと美しく成立してしまう。
煮詰めてバターモンテすればソースになるし、焼いた鴨やローストビーフにスープをそのままかけても良いし、冷製パスタにコンソメとオリーブ油と薬味を合わせても美味しい。パイ生地やパンとも相性が良い。非の打ち所がないのだ。

誤解をされたまま伝えられてゆくが、インフルエンサーに罪などない。
いわゆるシェフと呼ばれる人達による、これが俺のフランス料理だ!という自己顕示欲の塊を、フランス料理というカテゴリー内でぶつけ合う....それが日本のフランス料理の現実だ。もちろんそこから素晴らしい作品も産み出されるが、その多くは本質を失った自己満足だ。その結果、フランス料理って何?って質問に誰も答えれなくなる。あるいは長々とフランス料理に対する個人のイデオロギーを語られたりする。フランス料理の敷居を自分達で上げて、自分達で客が来ないと嘆く。
フランス料理はコンソメとかブイヤベースとかクロワッサンとかだよ。イタリア料理はパスタとかピザだよ。....それで充分じゃないかと思う。フランス料理として認知されてはいないだろうけど、少なくともコンソメという単語は誰でも知っているのだ。

人口増加に伴う夢や希望をもった島国...そして成熟と緩やかな衰退と共に、夢と希望は終わってゆく。
そんなに悲観的になることなんてないじゃない?素晴らしい国で、豊かな生活を豊かな人達と共有してるじゃない?なんの不満があるの?
その通りだ。幸せなんて気の持ちようだ。少なくともこの国では。
どこか歪んだ土台に、歪んだ正義感と目的意識からくる、歪んだ大義名分が、歪んだ商品と価格を産み出す。僕達は価値も判らずに歪んだ螺旋へと堕ちてゆく。世の中って何かおかしいよな.....そう呟いて違和感の中にいると日々の生活がまともに過ごせなくなる。受け入れて幸せに感じ、そしてまたフランス料理を作ってゆく。
堕ちてゆく螺旋からはみだすことはできない。立ち止まって螺旋を見上げ、美しく完璧で完成されたものを探し出す。
コンソメのように.....なーんてね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?