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1.Tonight,tonight キッシュ

フランス料理と聞いて具体的で確固たる何かを連想できる人は一体どれくらいいるのだろう?

作り笑顔の反吐がでる社交場、評論家じみた汚い髪と肌の女、感情のない男の感情のないお金、お人好しの美辞麗句、料理の粗探しに余念がない中途半端な生活レベルの中途半端な粗探し、あなたが作ってるのはフランス料理ではないと主張する男、情熱という言葉を信じ騙され裏切られ、果てに自分の未熟さに気付き涙が出る....
ナイフとフォークを使わなきゃいけないオシャレな料理ではなく、僕が思い浮かぶのはそんな風景だ。

抽象的な話をしている訳じゃない、これは具体的で確固たる話だ。
そして個人的な話でもある。

明確に浮かびやすいのはキッシュだろう。こいつだけは何故かすんなりと日本に浸透した。短絡的に考えると、おそらくイタリア料理のような感覚で馴染みやすく入ってきてるのだろう、チーズ料理が好きなんだろう、キッシュという語感も良いのだろう。そもそも短絡的に考えなければ僕に語る事なんて何もなくなってしまう。客観に見過ぎて主観を失うように。謙虚な言葉を横柄に語るように。

僕はキッシュを作るのが大好きだ。なにしろ工程が長い。工程が長けりゃ料理したなって感じるに決まってる。ただフランス料理が面白いのはキッシュを作り上げれば完成という訳ではない事だ。
物販として切り売りするならばそれで成立する。だけど僕達はこれをさらに1皿の中で成立させないといけない。何かソースをつけようか?ガルニチュールはどうする?ピクルスのような酸味のあるものか?じゃあ何の野菜をピクルスにする?単純に葉野菜のサラダにしようか?セルフィーユのような主張の奥ゆかしいハーブのサラダにしようか?飾り立てはどうしようか?逆にメイン料理の横にキッシュを置こうか?
そんな事をいつも考えてる....

キッシュの作業工程のひとつひとつはとてもシンプルだ。ブリゼと呼ばれる練り込みパイ生地をバター、小麦粉、卵、塩をこねて作る。
タルト型に生地を貼って重石を乗せて焼く。
さらに卵黄を塗って軽く焼き艶を出し冷ます。
好きな具材を入れて、卵と生クリームで作った液体を入れて、グリエールチーズをかけてオーブンで焼く。
文章にすると簡単だ。夢はかなく虹のように完成する。好きな具材なら何でもいいと思う。じゃがいもだろうが、ベーコンだろうが、トリュフ、フォアグラ、こんにゃく、いくら、木耳...何でもいれてしまえばいい。料理の失敗なんて他人が決める事だ。
だから他人に食べさせなきゃいいんだ。そうだ、他人に食べさせなきゃいいんだ、こんな美味しいもの。
あとはこのグリエールチーズが総てを解決してくれる。いまいちメジャーになりきれないスイスのチーズが魔法をかけてくれる。

パルミジャーノ、モッツァレラ、リコッタ、カチョカバロ、マスカルポーネ....残念ながら総てイタリアのチーズだ。さすがイタリア、イタリアは素晴らしい!そんな事は判ってる。
ところがフランスのチーズはどうだろう?カマンベールチーズを食べる時、人はフランス料理を感じるだろうか?
こいつはそもそもフランスのノルマンディのカマンベールという村の名前だったのに、誰もそんな話はしない。平和と愛に関心はあるけども、誰も平和と愛について真剣に語る訳にはいかないのだ。(ニックロウとエルヴィスコステロに敬意を表して)

そしてオーブンで焼き上げられたキッシュが完成する。最高に美味しそうな匂い。長い工程の先にあるものはカタルシスであり快楽だ。いつだってカタルシスには中毒性がある、Quicheっていうスペルもなんだかカッコいい。Kで始まると思ったらQなんだ。この素朴な料理もQuicheと書くとまるでSmashing pumpkinsが演奏してるような気がしてならない。
高校生の頃、良い曲と良い料理が何故か頭の中で勝手にリンクしてた。ガキの頃の夢なんてそんなもの。ありがちなロック少年のパッケージング化された自己顕示欲....
そして今僕はこの夢について書いてる。キッシュではなくQuicheだ。誰かに食べてもらわなければならない。

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