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映画『カラオケ行こ!』感想

私は和山やま作品のファンで、とくに『カラオケ行こ!』にはかなり狂わされた人間です。おそるおそる公開初日に(!)みにいってきました。総じて、映像にして生身の人間が演じることのパワーを思い知らされました。良い意味でも悪い意味でも。
ちまたでは結構評判です(体感絶賛に近いです)が、個人的にはあんまり良くないなあと感じるところも結構あったので、よかったポイントとよくないと感じたポイントを分けて紹介したいと思います。なんかあんま褒めてないような感じになってますが、良かったです(なんかみんな褒めてるしわざわざ言う必要もないかなと思って細かいところは触れてません)、気になってるならとりあえず観といて損はない!と思います。

あらすじなどは以下の公式サイトからご確認ください。

よかったところ

齋藤潤と綾野剛

特に岡聡実役の齋藤潤さんは完全に聡実くんでした。映画終盤の聡実くんによる『紅』は、映像作品にしかできない、岡聡実と齋藤潤が共鳴し合った刹那性の捕捉であり、まさに青春としての一瞬のきらめきを捉えたものでした。
綾野剛の成田狂児は原作とはぜんぜんビジュアルが違いましたが、素敵でした。より生々しく、不気味で、怖かった。あと「裏声のキモさ」の再現がめちゃくちゃよくて笑いました。合点がいった。

モチーフとしての『紅』

原作よりわかりやすく聡実と狂児をつなぐものとして『紅』が用いられていました。それゆえ、聡実くんの歌う『紅』への喜びもひとしおです。あのときの齋藤さん、ちょっと本当にすさまじかった。あんなの見せられたら、そりゃねえ……

和田のフィーチャー

原作では存在感を放ちながらもそんなにフィーチャーされていなかった合唱部の後輩・和田(そして合唱部のみなさん)。この物語を青春モノとして描き出すには欠かせない要素ですが、すごく素敵なキャラクターに改変されていて超よかったです。お芝居も素敵でした。和田、かわいかったなあ。

よくないなあと思ったところ

青春モノとしてのふたりの関係性

「青春モノ」として聡実と狂児の関係を描写することには違和感がありました(追記:ここはもっと細かく言うべきでした、ポスターとかに「青春」という言葉を使ったのがあんまり良くなかったと感じたという方が正しいです)。いちおう大前提として、現役として暴力団に所属する人間と未成年者のこういう関係は到底許容できるものではありません。
原作では聡実くんが高校の卒業文集で中学時代にあった狂児との思い出を振り返る、というモノローグ形式で一連の出来事が語られていますが、映画ではその形式を取っていません。モノローグならまだ「この数年前に終わった話は、聡実くんの中では美化されているんやろうな」と思えるのですが、それすら不可能になっている。
さすがに原作にあった「これは犯罪過ぎる」と思わせるような狂児のセリフなどはカットされていましたが(青春モノとして描くとすると間違いなく削るべきなんでしょうが)、むしろ逆で、ダメなところをちゃんと見せて怖がらせてやっとふたりの関係性が成立するのが『カラオケ行こ!』という物語だったんじゃないかと思わされました。物語が明文化された「青春モノ」のガワに入れ込まれることで、「いまここで犯罪が行われている」危うさをシュールな笑いの材料として物語が動いていくという原作の持っていた側面が有耶無耶になっている。むしろ有耶無耶になっていることになっているという方が正しいかもしれないです。「臭み消しをしたけどまだ臭みの残っている肉、でも臭み消しをされていることを知っているので臭みのない肉として食す」みたいな違和感。例が下手だな。
ただ、映画版の狂児は冗談や上面のラインが原作よりもわかりやすく描写されていた気がするので、その点では原作と比較すると聡実くんと狂児の関係性は健全だったと思います。
そもそもこの作品はフィクションなんだからファンタジーじゃんというのはもちろんそうです、ヤクザを描いたフィクションなんてファンタジーだし信じる人もいないでしょうからいくら魅力的に描いててもらってもいいんですが、絡む相手が中学生であるという要素に起因する別の問題の話をしています。映画では暴力団員としての狂児の怖さもしっかり残されていましたが、それは臭み消しでも消しきれないが故の逆説的な効果も手伝ってのことだった気がします。 もうちょっとしっかり怖がらせてもよかったんじゃないかなと思ったし、映画化自体はすごく素敵なんだけど「青春モノ」で売り出して本当にいいの?!?!という戸惑いが上映中ずっとついてまわってきたところがあんまりでした。初恋だか気の迷いだか友情だか青春だか知らないけれども、あの短い期間にふたりの間に起こった強烈な経験に名前がついていないところがこの作品の素晴らしさだなと思っていたので(原作はジャンルとしてはBLです)。
ただこの映画はちゃんと青春エンターテインメントのつくりになっているので、普通に面白おかしくみることも出来ると思います(個人的にはユーモアの肌感覚があんまり合わず、面白かったですけどめちゃくちゃ好きな感じの笑いではなく歯がゆい思いをしました)。そこはあまり心配しなくて大丈夫です。

映画部のくだり

これはほんとうに好みの問題になります、好きな人もいると思います。
聡実くんには合唱部以外にも居場所がある(それが映画部である)という改変がなされていましたが、そのこと自体に文句があるのではなく、劇中での映画(部)の使われ方があまり好きではなかったです。
中学3年生に愛について語らせたり(「愛ってなんなんやろ」「与えることらしいで」)、「大人は汚い」と言わせたり、彼らのイノセントさを象徴するような描写なんでしょうが、結構クサいなあと感じました。そんなことわざわざ言わせんでも、ヤクザにホイホイついていってオトモダチになってるんだから、じゅうぶん純粋で子どもじゃないですか。それに、聡実くんくらいの知能のある中3ってもっとさかしい気がします。
ただ映画部関連で好みだったところが1つだけあります、ビデオデッキの巻き戻し機能が壊れているくだりです。映像作品としての聡実くんのこのひと夏の体験は、巻き戻して最初からやり直すことはできない、という事実が重くのしかかってくるところがグッときました。

まとめ

とにかく文句無しに齋藤潤のための映画だった。彼の『紅』のためだけに、2000円でも3000円でも払う価値がありました。タイトル通り歌うシーンが沢山あるので、観たいという方は絶対映画館で観た方がいいです。マジで。映画館行こ!

はやる気持ちのまま書き綴ったので、また修正・追記などします。


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